HIKER TRASH

ーCDTアメリカ徒歩縦断記ー #6

Contributed by Ryosuke Kawato

Trip / aug.31.2018


美しいウインド・リバー・レンジ・セクション


画面が真っ黒なスマートフォンを眺めて、僕は困り果てていた。どのボタンを押しても反応しないのだ。

アメリカの国立公園内は携帯電話の電波がない。通話やインターネットへの接続はできないが、衛星と通信してGPSで位置確認をする事はできる。もちろん紙の地図だけ見てハイキングは可能だが、今いるセクションに関してはGPSの位置情報が無いと心配な僕がいた。


バックパックもかなり汚れてきた

ワイオミング州のウインド・リバー・レンジ・セクションは、コンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)の中でも、特に美しいとされている。
実際に噂に違わぬ絶景の数々であったが、それは、この場所が険しい岩山に囲まれて人が容易に入る事ができない場所にある、という意味でもあった。


切り立った岩山を描く

このセクションにはCDTの本線から外れて、ナップサック・コル、そして、サーク・オブ・タワーと呼ばれる、より険しい代替ルートがあり、僕は美しい景色を求めてそちらを歩いていた。


ナップサック・コル付近の万年雪を歩く


ナップサック・コルの上からスケッチ

ナップサック・コルを歩き終えた僕は、予定よりも歩行距離が下回っていた為、日が暮れ始めていたのにも関わらず、歩き続けていた。
目の前に8メートルほどの川が現れたのは、そんな時だ。本来ならば、薄暗い状態で徒渉すべきではないが、周囲に手頃なテント設営地が無かった事、そして何より疲労により思考が働いて良いなかった僕は、特に何の不安も抱かずに冷たい川に足を入れた。
雪解けで思っていたよりも流れが激しい。脚をすくわれないように、トレッキングポールで体を支えながら一歩一歩進む。


ウインド・リバー・レンジでの渡渉

ちょうど中盤に差し掛かり、少し気を緩めた瞬間だった。突如、目の前が真っ黒になり、ゴボボボボと大きな音に包まれて、僕の体は二転三転と回転した。
一瞬何が起こったのか分からなかったが、すぐに自分が川に流されているのだと気づく。これはまずい! と思った瞬間に、僕は意外なほど冷静になった。

水を飲み込まないように息を止め、流されながらも必死に地面を蹴って移動する。僕の体は徐々に岸へ近づいていき、そしてバックパックが浅瀬の岩に掛かり、運良く停止した。
必死に岸に上がると、あまりの疲労に倒れこんでしまった。打撲していているようで、所々がズキズキと痛い。
じっと呼吸を整えて、しばらく放心していると、今度は冷えにより身体がガタガタと震え始めた。
バックパック内部に浸水していないかと、恐る恐る覗く。防水用の大きなナイロン袋がしっかりと水から守ってくれていて、衣服も寝袋も無事だ。

すぐに乾いている服に着替え、寝袋に包まり、そして、急いで作った薄いココアを飲み、僕はやっと落ち着く事ができた。
その時、ふと、バックパックのショルダーベルトのポケットに収納していたスマートフォンの事を思い出した。
取り出してみると、ソニーのスマートフォンは冷たく濡れていて、黒い画面には何も表示されていない。電源ボタンを押してみるが、反応はなかった。
どう考えても水没により故障している。呆然とスマートフォンを眺めていたが、もちろん、そんなことで直るはずもなく、心底疲れ切っていた僕は諦めて、テントを設営して寝ることにする。


ウインド・リバー・レンジでのテント泊

翌朝、目を覚ますと自分でも驚くほど体力が回復していた。打撲もほとんど気にならない程度になっている。枕元のフリスビーの上に置いたスマートフォンを手に取り、そして起動を試みるが、動かないままだ。暗い気持ちになったが、なんとか気持ちを切り替え、荷物をまとめて歩き始めた。

久しぶりに紙の地図を見ながら歩く。しかし、ルートが消失している箇所では、GPSが無いとどうにも心細く、なかなか思った様に進む事が出来ない。
僕は一旦バックパックを降ろし、最後の望みを賭けてスマートフォンを一度完全に乾燥させてみる事にした。僕のスマートフォンの背面は硝子でできているので、ナイフで角を破り、そこから引っ剥がす。やはり内部にまだ水滴があった。天日に晒し、その間、のんびりと景色を眺める。


湖と残雪のウインド・リバー・レンジ

先週歩いていた湯気と硫黄の香りが漂う平坦なイエローストーン国立公園から一変して、このウインド・リバー・レンジは険しい岩山が聳え立ち、麓に広がる湖とほとりに残る雪がきらりと輝いている。標高があるので空が近く、雲が頭のすぐ上を流れて行く。


内部を乾燥させる

2時間ほど経ってから、スマートフォンの背面硝子を付け直し、恐る恐る電源ボタンを押してみる。すると直ぐに短い振動と共に、暗い画面にロゴがフッと浮き上がり、そして見覚えのあるホーム画面が現れた。僕は歓喜し、画面上の見慣れたGPSマップが何とも愛おしく感じたと同時に、こんなにも電子機器に頼りきっている自分がどこか恥ずかしくもなった。

ハイキング中に使用しているGPSマップ

スマートフォンが直ると、僕の歩くスピードも元に戻ったが、休憩していた2時間分の遅れにより、当初の計画で越える予定だったテキサス・パスの麓に着いた頃には、少し日が落ちかけていた。

昨日の苦い経験もあるので、流石に闇雲に突っ込む気にもならず、まだ早いが今日はこの場所で野営する事にする。


テキサス・パス前でカーボーイキャンプ

地面は大きな岩盤に覆われていて、テントのペグが刺さりそうに無い。どうせならテキサス・パスが綺麗に見える場所でカーボーイキャンプ(テントを張らずに地面にそのまま寝る事)をしようと考える。

岩の上にグランドシート、そしてマット、寝袋の順に敷く。今日の寝床はもうこれで完成だ。時間にして、2分くらいだろうか。寝袋に包まりながら、クッカーとストーブでお湯を沸かす。毎晩食べているクノールの乾燥パスタにスパムを入れて茹でる。流石に飽きてはいるが、やはり疲れてる時は、何を食べてもそれなりに美味い。


夕日で染まり始めるテキサス・パス

見上げるとテキサス・パスが夕日で赤く染まり始めている。峠までの道はかなりの急登で頂上までは、それなりに時間を要するだろう。その時、そこを登るひとつの人影を見つけた。この時間まで歩くのはCDTハイカーに違いない。僕よりも少し先行しているハイカーといえば、アメリカ人のバックトラックくらいしかいないので、おそらく彼だろう。

僕もスルーハイカーなら、彼と同じようにリスクを覚悟でもっと歩くべきなのではないだろうか、そんな考えが頭を過る。しかし、今の僕には身を危険に晒してまで、アタックする余裕はなかった。
ところで、今は何時なのだろうか? そう思ってスマートフォンを見る。なんと、画面はまた真っ黒に戻り、うんともすんとも言わなくなっている。今度こそ完全に壊れたのかも知れない。
これはどうにもならないや、と諦めて寝袋に潜り込む。


テキサス・パスをスケッチするも、途中で力尽きる

どんなに不安な気持ちの時も、眠気はすぐにやって来る。今日も睡魔はあっと言う間に僕をすくい上げ、眠りに落とした。


フリスビーは画板代わり


時折姿を見せるマーモットが可愛い

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