SAIGON, FLOWERS, AND NIGHT

サイゴン、花、夜 みな気だるく色っぽい。

Contributed by anna magazine

Trip / 2017.11.15



花市場、赤いポリバケツ


旅先で市場に行くのが好きだ。その町の暮らしぶり、名物が見えてきておもしろい。市場のシーンはどんな町でも魅力的で絵になるけれど、ヴェトナムのサイゴンは、花の市場がとりわけ似合う。

亜熱帯のまとわりつくような空気と、口々から流れ出る言葉が作り出す喧噪、料理に欠かせない香草や人いきれ、突然の雨がない交ぜになった甘ったるい匂い。そんなものが容赦なく染み渡るように迫ってくる、独特の色気のある風情を纏った場所、私にとって、サイゴンはそんな町だ。その一角の花市場に、働く人々が行き交い、生け捕りにされた色とりどりの花たちがずらりと並んで、妖しげな美しさを放つ。そんな様を思い描いただけで、写真家としては心そそられ、胸がざわめくというもの。

友人の運転するスクーターの後ろにまたがって町外れにたどり着くと、そこはまるで色の市場だった。南国の花々は、花そのものの形が個性的だから、それだけでも目を奪われるが、ここにはそれよりも印象的なものがある。他で見たことのない花たちの姿だ。



薄いブルーのあじさいが赤いポリバケツに突っ込まれていたり、茎を短くつめられたえんじ色の蘭が、束でずらりと軒先に吊るされて、裸電球に照らされていたり、新聞紙に1ダースずつくるまれた金色のマリーゴールドが山のように積み上げられたり…、売り手はきっと意図していないだろうが、その花の扱い方が潔く大胆で、まるでミュージアムのインスタレーションのよう。ちょっと野蛮で無造作、誇示しなくても、美しさがじわじわ溢れ出てしまう感じが憎いのだ。作為と崩しが共存して、気だるい空気の漂うこの土地のムードに、そんな花たちの有り様がピッタリとはまっている。この市場での花の楽しみ方は、こんな風に少し荒っぽいけど、何とも言えず贅沢なのだ。花を挿す時、人はそれが自然にあった姿を頭に浮かべながら、少なからず近いかたちを再現しようとすると思うが、この市場の花々に、そんな思いははなから寄せられていない。商品なので丁寧に扱われてはいるものの、生けるのが目的ではないから、ただバサッと陳列されている。それがかえって絵になってしまう。ぶっきらぼうな佇まいにおさまった花が、綺麗なだけでは収まらない魅力を持って眼に写るのはそのあり方の「違和感」のせい。この市場で鎮座する花たちは、不自然という妙に包まれている。それが、私にはたまらなく美しく見える。

今どきの町の男の子たち

ヴェトナムは若い人の国だ。ヴェトナム戦争でたくさん人が亡くなっているから、日本に比べたら総人口のうち、若い世代が圧倒的に多い。世の中が数十年でドラスティックに変化し、物も情報も流れ込んできたのだから、当然若者たちと親の世代の、物事を捉える感覚が大きく違っている。

サイゴンの町で若い人を見ていると、男女ともに垢抜けていて、今を身体いっぱい楽しんでいるのが見て取れる。でも、同時に底抜けに明るい印象とは正反対の、独特のけだるさを纏って、憂いのある眼差しを持ち合わせている。それがなんともいえない色気を湛えていて、彼らの独特の魅力になっているのだ。

この町で、若い男の子たちを撮ろうと思った。町を象徴する存在、そこに生きる色っぽい存在として。町を歩きながら、気になる人を見つけると声をかけて、その人に会った場所で、あえてセッティングもせずに撮影させてもらった。

初めて会う人に「写真を撮らせて下さい」とお願いするのは、写真家でも一寸勇気のいることだが、思い切って声をかけると、ヴェトナムの人たちは写真を撮られるのが大好きなようで、大変ノリよく快諾してくれた。



大学の仲間と、露店の居酒屋で鍋を囲んでビールを飲んでいた男の子は「このあとみんなで踊りに行くんだ」流暢な英語でそう言っていた。一つも贅肉のない薄い身体にピタッと張り付いた、タイトな白いシャツとパンツでばっちり決めている。すぐ近くにあったガジュマルの木の前に立ってもらうと、街灯に照らされていい雰囲気だ。こちらが指示しなくても、自分であれこれポーズをとってくれるのが面白く、いっそ彼の勢いに乗ってしまえと、そのまま何枚か撮った。レンズに向ける眼差しが堂に入っている。自分が美しいことは十分承知しているようだったが、それを鼻にかけない、礼儀正しさを持ち合わせた若者だった。写真を送ることを約束し、アドレスを交換すると、「撮ってくれてありがとう」そう言われて私も少し嬉しくなった。

色めく町、夜のサイゴン

サイゴンは夜が似合う。

昼間のサイゴンは、活気と湿気と暑さで、錯乱してしまう、そんな印象がある。それもこの町らしいのだけど、夜の明かりに包まれたサイゴンは、独特の趣がある。元々あった中国風の家々や、フランス統治時代の建築物は今や少なくなってしまったが、年期の入った長い塀が、柔らかいオレンジ色の街灯に照らし出され、街路樹の影がゆらゆら揺れていたりすると、世界のどこともつかないような、架空の空間が浮かび上がって、たちまち息を吹込まれる。



高層タワーが七色に灯る傍ら、屋台で夕食をかっ込む人がいる。ベランダが鉢植えで溢れかえった家を横目に、バイクの後ろに横乗りする細身の女の子が通り過ぎる。橋の上でたむろする男の子たちは、フラッペを食べながら無邪気に笑い転げている。眼に入るもの、どれもこれもが、そこにそっと染み付いていて、昼間は姿を晦ませるけど、夜にはまた現れる。そんな幻影みたいなサイゴンの夜だ。湿った空気に抱かれながら、この町を漂うのは楽しい。

写真・文:在本 彌生

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