Hiroko Morimotoの旅

HITOTABI By Luke Magazine #2

Hiroko Morimotoの旅

Contributed by Daijiro Inaba

People / 2021.11.10

ー旅の数だけ出逢いがある。
人生の旅を続ける人材コンサルタントDAIJIROが、これまでの旅路で出逢った「自らの人生を変えたこの人!」との対談を綴る”HITOTABI”。それぞれの人生に込められたドラマをたっぷり掘り下げながら、数々の出逢いの中でDAIJIRO自身が学んだことをお届けします。


#2

人参タワー

『HITOTABI』第二弾は森本裕子さん。
「教育の変革者」として新たな教師像を築いている森本さんの魅力にあふれるインタビューをお届けします。



富士山本宮浅間大社と富士山@富士宮

 

「バイオテクノロジー」



-これまでのキャリアについて教えてください。

「将来、何したらいいんだろう?」と初めて真剣に考えたのが中3の時でした。ある時、姉との何でもない会話の中で「私、なにやればいいと思う?」と聞いたんです。そしたら「バイオテクノロジーとかやれば」と返ってきて、直感的に「なんかそれいいじゃん!」って思いました。「ところでバイオテクノロジーって何だ?」と思い、電子辞書で調べたら、「遺伝子組み換え、細胞融合、品種改良、環境、、」とか出てきたんですよね。当時、小学生のときにドラえもんの漫画を読んで環境問題に関心があったのもあって、面白そうだなって思ったのがきっかけでした。「バイオテクノロジーで環境どうにかしよう!」って決めました。高校2年生の時、当時通っていた塾の先生にその話をしたら、「目指すは明治の農学部だ!」って言葉をもらって。でも実は、横浜市立大に行くって心では決めていたんです。

-なんで横浜市立大ってきめてたんですか?

生後1か月で痙攣の発作を起こしたときに、周囲の病院どこに行っても「特に異常なし」って診断され続け、横浜市大病院でようやく副甲状腺機能低下症という病気だとわかったんです。即入院でした。もしあのとき発見が遅れていたら、普通に日常生活を送れていなかったんですよね。横浜市立大のおかげで今があるから、すごく感謝しているんです。だから、「横市入るぞ!」っていう気持ちでセンター試験の勉強ばっかりしていましたね。

-そんなことがあったんですね、、、それで進学はどうされたんですか?

センター試験の直前の模試で、センター試験利用入試で出願予定だった私立大学がオールA判定だったから、これならイケるわと思っていたら、センター当日ずっこけて…。明治は一般受験で受けて、ありがたいことに特待で受かったんです。思い続けていた横市も一応受かったんだけど、特待で受かったし「ここでバイオテクノロジーの勉強しよう! そして院まで行くぞ!」と思って、明治に決めました。

-大学生活はいかがでしたか?

友達ととにかく遊びましたね。国内外へ旅行に行って様々な経験をしました。海に潜ってナマコを掴んだこともありました。テニスサークルに所属して、人間関係の難しさを感じさせられるようなことも色々あったけど、なんだかんだエンジョイさせてもらいました。
勉強面では、単位を取るのが大変でした。特待生で授業料が免除だったのですが、それを次年度も更新するためには成績を維持する必要もありました。3年生のときに成績が足りなくなって、4年生のときは、授業料を払いました(笑)。
あと、学科の実験がとても楽しかったです。実験班のメンバーでワイワイするのが楽しみでした。
また、大学入学後間もなく、小学生の時に通っていた塾から「塾講師やりませんか」というお誘いのハガキが来たのがきっかけで塾講師を始めました。
大学3年生になって微生物の研究室に入りました。そしたらガラス器具は割れまくるし、菌に振り回されるし、研究室にこもって太陽に当たらないし、もう嫌だ! ってなりました。大学院に進学して研究を続ける夢は、ここで破れました(笑)。
そんな中、塾講師の仕事を通して子どもたちと接するのがすごく好きになって「先生になろう!」と決めました。そして「バイオテクノロジーの研究の道はあきらめよう!」と。「大学院には行かず、学部を卒業したら先生になろう!」と決断したのが大学3年生の夏ですね。

古宇利大橋

総武線浅草橋駅-両国駅間で見るスカイツリー

 

『やんちゃボーイズ』



-卒業して、先生になられたんですね。教員生活のスタートはいかがでしたか?

埼玉の私立高校で働き始めて、思いっきりハードワークをしていました。とにかく怒られましたね。伝説をたくさん作りました。また、とにかく激務だったので、年中体調も壊していました。社会人3年目の時に結婚してから、家庭のことをもう少し優先したいと考えるようになり、公立に行こうと決意しました。それから1年間猛勉強して、5年目のときに公立高校の教員採用試験を受けて何とか合格し、6年目の28歳になる年に公立に行きましたね。そこで着任したのが夜間定時制高校だったんです。そしてすぐに3年生の担任を受け持つことになりました。着任してすぐに取り掛かった仕事は、修学旅行の手配です。ほぼ引き継ぎなしで、渡されたのは担当者の名刺1枚だけでした。とりあえず先方に電話して、諸々確認するところから始めました。1学年1クラス制だったので、自分が動かないと何も始まらない状況でした。ちなみに夜間定時制高校は4年生まであります。4年間のゆったりとしたカリキュラムなんです。

東京スカイツリーからの東京タワー

動物たちのイルミネーション@東武動物公園(埼玉県)
 
-いきなり波乱万丈なスタートですね! 新しい職場でいきなり担任、それも3年生の担任とはすごい経験ですね。

はい、1、2年次に担任していた先生が突然退職されたので、そこを埋める形で3年から担任になったんです。クラスに13人いて、今でも全員のことよく覚えてますよ。

-どんな生徒さんだったんですか?

みんなすごく個性豊かで、やんちゃな子たち(やんちゃボーイズ)もいました。そのやんちゃボーイズとの対話が印象に残っています。ある日、その子たちに感情的になってしまったことがあったんです。そうしたら、生徒側がさらに感情的になってぶつかってきて、事態は収拾つかずでずっと平行線だったんです。こっちが感情的になって生徒にぶつけると、あっちはもっと感情的になることを知って、「生徒に感情出しちゃダメなんだ」と思いましたね。怒るではなく、叱るなんだなって。そうすれば、柔らかく寄り添うことができるなって、そこで学んだんです。

山奥に佇むコテージと月@箱根

 

『低学年からのキャリア教育』



-やんちゃボーイズとのヒストリー、もっと聞かせてください。

やんちゃボーイズの1人が「美容師になる!」って言っていたと思ったら、4年生の始業式でいきなり「アメリカでスケボーやる!」って言いだしたんです。理由とか背景とか、細かいこと聞いても、「そんなの知らねーよ!」って言いながらいろんなもの蹴っ飛ばしたり、睨みつけてきたり、みたいなことがあったんです。この経験から、キャリア教育のことを思う気持ちが強くなりました。やんちゃボーイズの担任は急遽3年生からやることになったけど、1,2年生の時に進路のことについて考えたり話し合ったりする機会を作ってあげられたら、生徒たちが悩まずに済んだんじゃないか、って思ったんですね。そこで翌年にキャリア教育を計画して、翌々年に学校に採用してもらって、総合の時間を使ってキャリア教育を始めたんです。

ポートタワーとホテル@ハーバーランド(神戸港)

『TOKYO2020』@東京スカイツリー

 

『生きてりゃいいことあるさ』



-大切にしてる言葉ってありますか??

『生きてりゃいいことあるさ』ですね。

-どのような経験からこの言葉を?

今までの濃い経験を振り返ると、仕事も大変だったし、家庭も大変だったし、なんか、すごく大変だなってずっと思っていたんですよね。でも、なんとかその時期を乗り越えたんですよね。そこをどうにか乗り越えた時に、今まで大変だと思ってたことに悩まなくなったんです。

-それってほんとすごいこと。森本先生だからこそ伝えられることかもしれません。

乗り越えた先には、誰もが「こうありたいと思う自分」になっているんですよね。うまく言えないけど、その感覚をすごく大事にしています。

自由の女神像

 

『生徒が先生』



-仕事をするうえで大事にしていることってありますか?

『生徒ひとりひとり、誰かの大事なお子さんである』ってことはすごく思うようになりました。

-ぱっとこの言葉が出てくるってすごいですね。

最初に勤めた学校では、生徒にとって「ただ単に友達っぽく、話していて楽しい」存在でいようと思っていたんですね。今は見方が変わって、「生徒たちの将来が明るくあってほしい」と思うようになったんです。不妊に悩んだ期間もあったからか、「この子たちがいま、ここにいることって奇跡だな」「この子たちが今、ここに存在するのは、保護者の存在があるからだな」って強く思うようになったんです。

-友達っぽくいるって、すごく森本先生っぽく感じます。

そうですね、ずっと友達みたいな感じできていて、目線はずっと生徒に合わせているつもりです。だけど、少し自分自身が生徒より上だと思ってたんじゃないかなって思った時期があった気がしています。舌を巻いたり、厳しめの口調で発言したり、ということもしていたので。

-いつ変化があったんですか?

夜間定時制高校に行ったときに、今までのやり方が一切通用しなくて、「そもそも教育って何だっけ?先生って何だっけ?」って、教育の本質と向き合うようになったんですよね。そんな日々を過ごしてたら、いつからか自然と、自分が上だと思わなくなった。生徒から学ばせてもらっているなって思うから、「生徒が先生」って思うようになりました。今まで関わった生徒が私を育ててくれた。子どもって大人が思っている以上に大人だってすごく思います。



-読者に向けてメッセージをお願いします!

どんなことでもとりあえず乗り越えたら明るい未来が待ってるよ!

-10年後の自分に、メッセージをお願いします。

10年後は甥っ子が高校生。この前会った時にすごくかみつかれて痣になった。高校生になったらご飯おごってよね!って約束した。だから、
「ハルキ君におごってもらったご飯はおいしいですか?」ですね!

田植え前の田んぼと夕焼け@埼玉県

森本先生の周囲がいつも温かい空気で包まれているのは、森本先生がたくさんのことを乗り越えてきたからなんだなって改めて思った。かっこいいと思うのは、乗り越え方。乗り越えて、振り返ったときにその出来事を肯定的にとらえている姿。あと驚いたのは、今まで関わった人のことをものすごくよく覚えていること。本編には書ききれないくらい一人一人との具体的なストーリーがありましたが、すごい情報量だったため、割愛させていただいています。森本先生の周囲はいつも愛で溢れていて、その中にいられて、僕もたまらなく幸せです。


HITOTABIは続く。




森本裕子(もりもと ひろこ)
1988年兵庫生まれ、神奈川育ち。埼玉在住。趣味はピアノを弾くこと、散歩すること、音楽を聴くこと、食べること、寝ること。埼玉県立高校の理科の先生。生徒たちの将来を本気で考える教育とは何か。『生徒が先生』『低学年からのキャリア教育』という信念のもと、日々奮闘している。
https://unportalism.com/education/teacher/morimoto/


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