『Dr.Martens』のブーツ

Just One Thing #2

『Dr.Martens』のブーツ

Em(学生)

Photo&Text: ivy

People / 2022.03.24

 街は、スタイルが行き交う場所だ。仕事、住む場所、友だち、パートナー、その人が大切にしていることが集約された「佇まい」それこそがその人のスタイルだと思う。
 絶えず変わりゆく人生の中で、当然、スタイルだって変わる。そんな中でも、一番愛用しているものにこそ、その人のスタイルが出るんじゃないかって。今、気になるあの人に、聞いてみた。
「一番長く、愛用しているものを見せてくれないか」


#2



「初めて、自分のために履いた靴なの」

今日も彼女の足元は、『Dr.Martens』の8ホール。15歳からの愛用品で、イングランド製のかなり年季が入ったやつ。まるで身体の一部かのように、どんな服を着ていても見事にその足元に収まるんだから不思議だ。

 2021年10月、コロナ禍の最中、突如フランスから日本へやってきた学生のEmii(エミリ)、通称「Em(エム)」。母親は日本人で、父親がフランス人。実家はフランスのブルゴーニュ地方。8歳まで日本で育ったので、日本語も流暢に話す。

 端的にいうなら、表現力とバイタリティの人。最初から今まで、イメージは変わらない。頭の中にあるものを言葉だったり歌だったり絵だったり、色々な形で鼻歌交じりに表現できる、そういう才能を持っている。

 たとえば、去年の忘年会。私とEm、その他にも仲のいい友達4人を呼んで呑み明かした日のこと。夜もすっかり更けて、みんながうたた寝を始める頃、突然Emは言う。

「ねぇ、ペンある?」

 その辺にあったメモ用紙と事務用の油性ペンでそこにいたメンバーの似顔絵を描きだした。サラサラっと。ごく自然に。みんなが気づかないくらいの、あっという間の時間で。その絵はあまりに素敵で、こっそり私は額に入れて飾っている。

 最初に会った3日後には、ピアノの弾き語りライブをしていたし、いつも会話していて口にする言葉がどれもやけに印象的で力強いし。当たり前のように、自分自身を表現できる人。そんな彼女の存在自体が多くのアーティストに愛されてきたDr.Martensのブーツとぴったりじゃないか。



「今も昔も音楽が大好き。ドク(Dr.Martens)が欲しくなったのも、それがきっかけ。10代でアメリカへ留学していた時、すごく影響を受けたの。それまで聴いたことがなかったような、ダークで辛いこと、苦しいことを歌っている音楽に出会って」

 音楽への目覚めは、14歳、偶然友人が好んでいたTwenty One PilotsやNirvana、といった90年代のオルタナティブロックだった。特にNirvanaのKurt Cobainには強いシンパシーを感じていたという。

「こんなにクソつまらない人生で、どうして普通でいられるの!」
 
 当時のEmは、そう思いながら音楽を聴いていたという。

「会社へ働くこと、学校へ通うこと、みんなと仲良くすること、素の自分を隠すこと...全部が最悪だった。みんなが当たり前のようにしていること全てがつまらないと思っていて。Kurtは普通でいられない、みんなの『普通』が理解できない人だと思うの。むしろ、それをぶっ壊しちゃえ!みたいな(笑)」

 すべてがつまらなく思えていた10代、そして日本へ来るまで、Emは表現を自ら抑制していた。そうなったのは、フランスへ移住した直後、学校でいじめられてから。「日本から来た外国人」というだけでいじめられた。だから、周りから目立たないように、嫌な思いをするくらいなら人に関わられないように、自分らしさをひた隠しにした。

「みんなと同じ髪型をして、同じような服を着て、馴染もうと必死だった。内心では、『普通』がわからないのに。好きじゃない、女の子っぽい服も着ていたかな。その時はずっと自分に自信がなくて、絵も歌も人前でやらなかったの」

 それでも、そんな自分が本来の姿ではないことにEm自身が気づいていた。

「周りの友達にパンクスがたくさんいて。その子たちみたいに好きなスタイルを着飾れることへ憧れていたかな。その時、本当にドクが欲しくて!15歳のときに買ったの」

 初めて買った、Dr.Martensのブーツは、自分を「普通」に見せるための、周りのための靴じゃなかった。好きなものを着て、好きな人と会う。他でもない自分のために。Emが「クソつまらない人生」の中で、彼女であるために履いた靴だ。
 
 日本へ来てからのEmは、冒頭で説明した通り。ごく自然に、自分を表現できているように見える。

「日本に来たら、どうせ私は目立つんだ。だから好きに生きよう、って思えてきて(笑)」

 久々にやって来た日本で、人前で歌い、ピアノを弾き、誰かに自分が描いた絵を見せるようになった。

「日本に来てピアノライブをしたときが、人生で初めて自分一人の音楽を褒められたときなの。ティーンのときにバンドをやっていたけど、一人でステージに立つ自信はなくて」

 たまたま寄った代官山のバーで、お店の人と仲良くなり、翌週には店でライブをした。誰もEmのことを知らない場所だからこそ、そこに迷いはなかった。
 
 この記事が載る頃、Emはもうフランスへ帰っている。自分がやりたいように生きて、行動して、改めて大学へ戻りたくなったという。

「語学は、私にとって両親からの贈り物。両親はそれぞれ違う言葉を話して、違う国で育ったから、当たり前に話せて、語学を勉強したの。大学を卒業したら、同時通訳の仕事をフリーランスで始めたい。でも、アートや音楽は絶対にやめたくないから。好きな時間に働いて、必要なだけお金を稼いで、好きなことを続けたい」

 展望を語るEmの声はこの日、一番明るい。きっと今日もEmは、自分のために初めて買った、お気に入りのブーツを履いている。遠い海の向こうでも、変わらないはずだ。それは彼女にとって、自分のために生きていく、欠かせない相棒だから。
 


Em(Emili)
学生。母親が日本人、父親がフランス人のハーフ。8歳まで東京で育ち、その後フランスのブルゴーニュへ移住した。Pink Floydが大好きな父親のもと、音楽やアートに幼少から触れてきた。そのような家庭環境もあり、ジャンルを問わない柔軟な自己表現で会う者を魅了する。今後は大学で専攻している語学と、自己表現・創作活動の両立を目指す。時間やお金に縛られない、自由なライフスタイルを追求していくとのこと。
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