ヴィンテージのリング

Just One Thing #25

ヴィンテージのリング

松本詩乃(競輪選手)

Contributed by ivy -Yohei Aikawa-

People / 2023.02.09

 街は、スタイルが行き交う場所だ。仕事、住む場所、友だち、パートナー、その人が大切にしていることが集約された「佇まい」それこそがその人のスタイルだと思う。
 絶えず変わりゆく人生の中で、当然、スタイルだって変わる。そんな中でも、一番愛用しているものにこそ、その人のスタイルが出るんじゃないかって。今、気になるあの人に、聞いてみた。
「一番長く、愛用しているものを見せてくれないか」


#25


「私服でいられる日は、本当に、ひたすらハッピー。競技の時は、着るものは決まっているし、ヘルメット被るから髪もはねちゃうし、メークも崩れやすいし…『あー、もう』って思っちゃうんですけど(笑)」

今日はオフの日だという、プロ競輪選手の松本詩乃(まつもとしの、以下シノ)。待ち合わせた公園へ、自転車を押して来てくれた。それは競技用の自転車で、街中では乗れないらしい。車に載せてきた、といいながら少し恥ずかしそうに笑う。



その日のシノは、洗い込んでグレーになったブラックデニムと『FRED PERRY』のトラックジャケットを着て、よく磨かれた『NIKE』のスニーカーを履いていた。スポーティーといえばそうかもしれないけれど、街中のストリートスタイルに溶け込んでいる。リラックスしたオフの様子や、よく笑いながら話してくれる姿を見ていると、彼女が週6でハードな鍛錬を積んでいるアスリートであることを忘れてしまいそうになる。

「オンとオフは切り替えたいんですよね、私は。そうじゃない人も他の選手にはいるし、ずっとストイックでいられるのは本当にすごいなぁって思うけど…私には無理かも。レースで結果が出ないときとか、練習でも調子が悪いときとか、本当にプライベートだけだとどん底になっちゃうんです。それに、私は基本『0か100』だから、休まず没頭してると何が好きとか、何がやりたいとかわからなくなっちゃうんですよね。たまに私服を着るとどこか行ってみようとか、誰と会おう、とか自分で考えられて。日曜日はオフにしよう、って決めてます」

公園のベンチに腰かけて話していている間、よく手元を見ながら話していた。指輪を着けていて、きっとお気に入りなんだろう。やはり、その指輪こそがシノの愛用品だった。彼女の祖母から譲り受けたものらしい。





「私服で出かける時は必ずつけてます。たぶん6、7年は使ってるかなぁ。その時は高校生で、お金がないけどアクセサリーが欲しくて。だから、まずはお母さんとかおばあちゃんの昔使ってたものを見せてもらおう、って思ったんです。指がちっちゃいから、はまる指輪がなくて…けどこれはぴったりで、形もすごく気に入って、一目ぼれでした」

彼女にとっては服も、メークも、アクセサリーも、ファッションに関わる全てが競輪から離れた「ハッピー」な時間そのものだ。そんなときにずっと、いつも身に着けている指輪は、彼女のプロアスリートとしての日々、そしてこれまでの人生を振り返るうえでも欠かせない物といえる。


この指輪を譲り受けたとき、まだシノはプロの競輪選手ではなかった。競技を始めてから競輪選手になる今までの間に、生活や環境、様々な変化があったかもしれないが、そもそも競技を始めたのはどんなきっかけがあったのか。

「中2の時、『タレント発掘プログラム』みたいなチラシが学校で配られました。その時は東京オリンピックの開催が決まったときで、『未来のアスリートを探そう』『マイナー競技を盛り上げよう』って。なんとなく応募してみようかな、と思って受けたら、ボクシングとかアーチェリーとか色々ある中で、たまたま自転車競技が合格して『あなたに向いてます』みたいに言われたんです。そのまま始めて、そのプログラムで渡されるTシャツを着て高校の説明会に行ったら学校の先生から『特待生にするんで、うちに来ませんか』って言われました。正直、受験が嫌で(笑)行こうかなって決めましたね。その時、私の家は裕福ではなかったので、周りの人の協力もあったからこそ必要な機材を揃えて、競技を始めることができたと思います。環境に恵まれていました」

様々な偶然が重なって入ることになった自転車競技の世界。やがてレースへ参加したり、本格的な練習へ取り組むようになってから、その魅力に没頭していく。

「ずっと団体競技の部活にいたから個人競技が初めてだったけど、それが合ってました。結果は全て自分の責任だし、頑張った分だけ力がつくのが面白くて。で、高校生の時、初めて出た全国大会で決勝までいった時にすごい楽しくなっちゃったんです。全国で名前が知れてる人たちが出ている中で、アウェイな中に飛び込んでいく感覚がすごくよくて。知らない世界を知れる感じ、すごいワクワクしてきました」

自らの意思をもって、知らない場所へ飛び込んでいくことが楽しい。この感覚を実感できること自体、なかなかないかもしれない。やってみようかな、と応募したプログラムで、全く知らなかった競技を始めたことは、シノのこの考え方がそのまま反映されていた要にも思える。

そんなシノのマインドは、競技から離れ、指輪を身に着けているプライベートの時間にも垣間見えた。



「全く知らない世界の人と出会ったら、絶対、仲良くなりたいんです。自転車競技をやっていたことで、競技に限らず自転車が好きないろんな人と仲良くなる機会ができました。友だちで古い自転車のパーツを集めて、自分で組み立てたり、ストリートで想像もつかないような乗り方をする子たちがいて…それこそ知り合った時はめちゃくちゃアウェイですよ(笑)」

今では全国に自転車を介して仲良くなった友人がいるというシノ。それは必ずしも自転車が彼女にとって競輪だけのものではない、ということを物語っている。

「ある友だちの話が印象に残っています。両親の離婚で会えなくなっちゃったお父さんに会いに行くために、ある夜ママチャリで何十キロも漕いで行った、って話。その子が『自転車は漕いだ分だけ見たい景色を見せてくれる』みたいなことを言ってたんです。そういう話を聞くと、より自転車が好きだなって私も思えてきて」

意志の向かう方向へ自らの脚で漕いでいく。その感覚自体が彼女を自由で、且つ彼女自身の意思を持った実感をくれることだった。
 


「競技でも、競輪でも、人と会うときでも、知らない環境で爪跡を残したい、って思ってます。これはたぶん、ちっちゃい頃からずっと。目立ちたい、っていうのももちろんあるけど、それ以上に『私はここにいるよ』って実感したいし、証明したいんです」


人間は誰一人として同じ存在はいなくて、みんなそれぞれ意志とストーリーを持った特別な存在だ。ただ、日々を生きているとそんな当たり前のことが実感できないことがある。駅ですれ違う大勢の人が「みんな同じ」に見えてくるように、自分もその中の一人であるような気がしてしまう。
シノはそんな社会の中でも、自らの存在を実感できる、その瞬間と方法を心得ている人だ。それは、自転車に没頭し、結果を残すことも、自分で好きな服を選んで、会いたい人へ会いに行く、行きたい場所へ行くことも根本としてはそこに繋がる。

プライベートの「ハッピー」な時間に身に着ける指輪は、そんなシノが自分の存在を実感できる場所を見つける前から、ずっとその手元にあったものだ。その時も、今も、シノがやりたいこと、楽しいことは変らないから、ずっと使い続けている。

「走りで自分のスタイルを体現したい」

競技について語るときは、少し力強い口調で語るシノ。彼女がまぶしいくらいの笑みを浮かべていて、どこか楽しそうなのも、自分がほかの誰でもない自分自身であることを強く実感できているからかもしれない。近くで話しているとそのことに不思議と確信が持てて、同時に心の底から羨ましく思えてきた。


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松本詩乃(競輪選手)
東京都昭島市出身。高校時代から自転車競技を始め、インカレ1位、全日本大学自転車競技大会優勝、等の輝かしい実績を持つ。大学卒業後の2022年5月、プロ選手としてデビューを飾った。好きな音楽はヒップホップで、お気に入りのアーティストは『Nas』。トレーニング中も聴いているという。趣味でイラストを描いており、Instagramでも時折作品を見ることができる。
Instagram:@shinobaby37
選手データ:http://keirin.jp/pc/racerprofile?snum=015672


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