HIKER TRASH
ーCDTアメリカ徒歩縦断記ー #10
Contributed by Ryosuke Kawato
Trip / 2019.03.01
CDTはアメリカのモンタナ州、アイダホ州、ワイオミング州、コロラド州、ニューメキシコ州を縦断する全長5,000kmのトレイルで、メキシコ国境からカナダ国境まで続いている。
この連載は、そんな無謀とも思える壮大なトレイルを旅した河戸氏の奇想天外な旅の記録だ。
*コロラド州のトレイル
「ねぇ、どうしてあなたは何ヶ月もトレイルを歩いているの?」
クルマの助手席に座っているエミリーは、僕の方を振り返ってたずねる。16歳の少女の澄んだ青い瞳が僕を捉えると、どこか戸惑いを感じてしまい誤魔化すように笑みを浮かべた。
「そうよ、どうしてなのよ?」
今度は運転している母親のニコールがたずねる。
「そうだな……」
僕は伸びたあご髭をねじりながら、答えを探すように窓の外へ視線を移す。エミリーをハイスクールへ送るクルマは、コロラド州の街クリードに向かって走っていた。外に建物は見当たらず延々と深い森が続く。ここ数日は悪天候が続いていたが、今日は嘘の様に晴れている。心配していた雪も街に近づくにつれて無くなりホッと胸を撫でおろす。
*雪が積もるコロラドの山脈
「ねえ、どうして?」
エミリーの方を向きなおす。この種の質問はヒッチハイク時の定番とも言える。僕はこれがとても苦手だ。彼らが何か壮大な冒険譚や、あるいは旅の悟りの様な話を求めている気がして、それに応えられそうもない自分に戸惑ってしまうのだ。
*2015年、PCTスタート時の写真
「僕は大学生の頃からずっとバックパッキングをしていて、色んな国をうろうろしてたんだ。でも、ある日突然、旅行するのが当たり前みたいな感覚になって、昔ほど興奮しなくなってきた」
「私とママはパスポートすら持ってないわ」
「アメリカは広いからね。国内だけでも砂漠があったり、雪山があったり、海もある。でも、これは他の国ではなかなか凄いことなんだ」
実際にアメリカ人でパスポートを持っていない人が、意外に多くて驚かされる。
「それでもっと楽しい事はないかな。と思った時に、どうせならバックパックひとつに、テントや寝袋とか生活できる全てを詰めて旅行しよう考えたんだ。できる事なら、歩いてみたかった。だってそれって冒険みたいだろ。アメリカにすごく長いハイキング・コースがあるって知って、よしこれをやってみよう。そんな、軽い気持ちで始めたんだ。ほとんど登山経験がなかったから、それもまた刺激的だったよ」
「実際、楽しいのよね? 何がそんなに良いのかしら?」
*2015年のPCTではいろんなハイカーと毎日楽しんでいた。
「歩いていると色んな人たちと出会って、その刺激が楽しいと思っていた。でも、これは違ったんだ。だってコロラドの山中なんて誰とも出会わないじゃないか」
「それは言えてるわ。ムースくらいしかいないでしょ」
エミリーは笑いながら言う。
*山中で見かけたムースの骨
「だから、最近になって気がついたのだけど、僕は単純に一方向にひたすら歩くのが好きなんだ。見知らぬ土地をどんどん通り抜けて行くのって、なんだか興奮するだろ」
「それって、クレイジーだわ」
エミリーがまた笑って言うと、ニコールも「ほんとそうよ」と続ける。自分でも説明になっていないのは分かるが、数ヶ月に及ぶ徒歩旅行はシンプルな一本の糸の様でいて、実際は様々な事象の細い糸が絡み合ってできていて、とても複雑でどうなっているのか自分でも理解しきれていない。それでも、少しだけ説明責任を話した事で、落ち着きを取り戻してきた。再び窓の外を見る。景色は先ほどと全く変わっていない。
*コロラドの風景を簡単にスケッチ
クリードのはずれにエミリーの通うハイスクールはあった。とても小さいが真新しい綺麗な建物だ。
「じゃあ、気をつけてメキシコまで歩いてね」
そう言うと彼女は校舎へ走っていった。僕らはのんびりとその後ろ姿を眺め、見えなくなると、ニコールはゆっくりとクルマを発進させる。
クリードはとても小規模の街だが、ハイスクール同様に建築物が新しい。彼女は食料品店に寄るとの事だったので、そこで降ろしてもらうことにした。
CDTのルートはこのクリードを経由していて、道路を進んでいけば山道の入り口までたどり着くことが出来る。補給はすでに終えていたので、すぐに歩き始めることにした。街のメインロードを15分ほど歩くと、またハイウェイが森の中へと延々と続いていて、さらに30分ほど進むと『Deep Creek Trail Head』と書かれた看板が現れた。ここからトレイルに入り、サンファン山脈を越えれば、その先はもうCDT最後の州のニューメキシコだ。
*登山入り口の看板
トレイルは川に沿って伸びていて、ゆっくりと標高を上げていった。3時間歩いた頃に日が暮れ始めたので、トレイル脇にテントを設営した。なんてことのない平凡なハイキングで終えた1日だった。
*突然降り始めた雪
翌朝、目を覚ますとあまりの寒さに驚いた。テントの中はまだ暗いが、時間を確認すると、日の出の時間はもうすでに過ぎている。一体どういう事なのだろうか。外を確認するためにテントのジッパーを上げる時、何か頭上にパラパラと落ちてきた。それは硬く凍った雪だ。夜の間に降った雪はテントに堆積していたのだ。急いでバックパックの中に荷を押し込み、濡れて重たくなったテントをバックパックの上にしばる。気温が低いので、出来るだけ早く歩き始めて体温を上げたい。早足で雪の中を歩き続ける。防水性のないメッシュのランニングシューズなので、雪解け水が容赦無く指先を刺してくる。
*コロラド州のムース
少し歩くと、急に雪がない地帯にふらりと出た。もしかして少し標高が下がったのだろうか? 見知らぬ土地に迷い込んだ様に、不思議な気持ちであたりを見回していると、眼下の川から2mはあるムースが、ゆっくりとこちらに歩いているのが見えた。僕はこの大きな生物を興味深く観察していると、彼はこちらに向かって歩き続け、最終的には、ほんの数メートル先までやってきた。ムースの吐く息は白く、獣の強い匂いがした。僕らは少しの間、じっと目を合わせていたが、ムースは突然向きを変えて走り去っていった。このちょっとした出会いが、僕の気持ちを高揚させた。少し心が鎮まるのを待って再び歩き始める。
トレイルはまたすぐ雪に覆われていたが、先ほどまでの冷たさは感じなかった。
*その後も雪上でのテント泊は続いた
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Ryosuke Kawato
河戸良佑/イラストレーター 1986年生まれ、独学で絵を描いていたら、いつの間にかイラストレーターに。 20代は海外をバックパッキングしていたが、最近では海外の長距離ハイキングに興味を持っている。 2015年にパシフィック・クレスト・トレイル、2017年にはコンチネンタル・ディバイト・トレイルを踏破。