Couch Surfing Club #1

10年ぶりのニューヨーク

New York

Photo&Text&Illustration: Yui Horiuchi

Trip / 2019.08.06



およそ10年ぶりのニューヨーク、子供の頃から何度か来ていたこの街だけど、
最後に訪れたのは確か19才の頃。
何があったか詳しくは書かないけど、最後の旅でいろいろやらかしてしまってから、しばらく怖くなってただ近づけないでいた。たったそれだけの理由で時間はあっという間にすぎて行く、そうなんだよね。



何か行く理由はないかと見つけなきゃならないほどに縁がなかったのが、なんだか不思議なくらい。
出国の10日前にフライトを予約して、旅が現実味を帯びてきた途端、ありとあらゆる可能性が生まれて、8日間の滞在の予定は一気に埋まっていった。

そうなった経緯は実はanna magazineありきだったりする。私の中の小さなモットー「草の根レベルでの国際交流」とやらをこのメディアに記すことを提案してくれたから。
この旅行記を通して、自分が実際に見聞きしてきたさまざま小さな「根」に、少しずつでもいいからいろんな人やコトや場所を巻き込んで、いずれはいろんな色の花の咲く大木になることを夢想している私は、滞在中、とにかくたくさんのことを私らしく吸収することができたし、結果的に今回のニューヨーク訪問のおかげで過去のトラウマを完全に払拭できたのだった。

随分とナーバスな切り出し方になってしまったけど、これまでに書いた通り10年ぶりのニューヨークは、初めて行くような気持ちだったのだ。
とはいえ、ゼロからのやり直しでまたいろんな大変なことに巻き込まれるんだろうなと勝手に決めつけてたけど、ありがたいことにそれはただの早合点だった。

素敵な出会いは飛行機の中から始まった。隣の席のマダムに液晶の使い方を教えてあげたのをきっかけに、私に代わって食事をオーダーしてくれたり仲良くおしゃべりしたり、完全にコリアンだと思われていたけれど、12時間のフライトはあっという間に過ぎ去った。
別れ際に「ガム食べる?」と取り出してくれたボトルから、着陸の弾みで4つもガムがでてきてしまって、笑いながら彼女に「良い旅を」と告げ今回の旅の幕を開けた。



今までも東海岸の他の都市から何度もニューヨークに行ってはいたものの、ひとたびJFKに降り着いてみたら自分でも呆気にとられるほど記憶がない。
もはや、空港の建物が新しくなったのかすら分からないレベル。

空港のWIFIを繋げ、ローカルの友人の何人かとやり取りをしながらリフトを呼び、とりあえずマンハッタンへ。日本から持ってきた友人への貢物でふくれあがったスーツケースを転がして、Times Square周辺で今回のキーパーソンと会う。
出演NGのため名前は伏せておくけど、キーパーソンの彼女から文字通り“キー”を受け取り今回の滞在先へと向かった。



次の約束の時間がせまる中、急いでスーツケースを部屋にあげアンパッキング。というか荷物をぶちまける。
(あとで知ったことだけど、散らかした荷物をそのままにして部屋を飛び出たら、まだベッドメイクの前だったらしく、荷物以外を綺麗にしてくれていて、急いで出てったこの状況をメイドさんが察知してくれていたことに気づいて、有難いやら恥ずかしいやら。もちろん部屋に戻ってからすぐに現場復帰)

待ち人がホテルの向かいでボバジュースを飲んで待っていた。
ホテルのエントランスでアメリカンサイズのカップを空にした彼が立っていた。
馴染みのある顔を見て安心したけど、いよいよこれから怒涛の8日間のインタビュートリップの始まりだと武者震い。

彼の名はHisham Akira Baroocha、通称ヒシャムさん。
今回の旅のメインの目的『ニューヨークをベースに活躍するアーティストのスタジオビジット』、彼がその一人目だった。

ほとんど覚えていないメトロカードの買い方などを教えてもらって、仮のスタジオのあるWilliamsburg方面へ。向かう道中、近況をキャッチアップしつつ、「最初に会ったのは原宿のVACANTだったね」など思い出を手繰り寄せる。Green Pointに近づき、最近できたというホームメイドパスタのお店で腹ごしらえ。近くの壁に友人のタグを見つけた。



ヒシャムさんはアーティストでもあり、ドラマーの顔も持ったマルチタレント。
展覧会やライブに合わせて来日もしていて、BoredomsのライブがVACANTで開催された時にドラマーとして参加していたことがあったという。
その頃の私はVACANTで何でもこなしていた時期で、公演後の打ち上げの席で私が読めない単語を後ろから(背が高いので実際は天から声がした)“Alley/アレイ”と教えてもらったのがファーストコンタクトだった。
それ以上なにか話した記憶が特にないこともあってか、今でもよくその状況だけをしっかりと覚えている。



スタジオに行く前にもう一軒立ち寄ったのは、ヒシャムさんがよくDJをするという場所だった。もともとはパーキングだった空き地にそのままコンテナを設置し、DJのライブストリーミングを24時間やってるというその場所の名はThe Lot Radio。実はすごく飲みたい気分だったんだ。二人分のIPAを買って青空の下乾杯。
時間は16:30、日はまだ高い。お土産に買ってきた日本酒をラッピングした風呂敷ごと手渡すと、いつの間にか風呂敷の包み方レクチャーへと趣旨が変わっていたり、余興を楽しんだ。
私が座った席には、フィリピンのセブ島でお世話になったアーティストレジデンスのステッカーが。最近ニューヨークからフィリピンへ移住してしまった友人がボムった形跡だろうか。



普段持ち歩いてるガチすぎるポータブルバッテリーとパシャり。
この時期のニューヨークの日の長さには正直驚いたけど、暗くなる前にはスタジオへ向かうことにした。
そこで作品の話や制作の背景、スタジオの様子などをていねいに教えてもらった。
ちょっと面白かったのは、複数人でシェアしている大きなスタジオだったのに、その日はヒシャムさんしかいなかったこと。笑
スタジオビジットの様子は本誌の方で扱うので、また後日。
ヒシャムさんの息子くんのお迎えがあったのでキリのいいところで別れを告げ、私は散らかした部屋に戻ることにした。



写真は制作中のヒシャムさん。
とにかくロケーションの素晴らしいホテルで、FOXニュースを見ながらささっと部屋を片付け、貢ぎ物の山を整理してから小雨の中傘もささずに急ぎ足でTrader Joe'sに向かう。
日本を出るときは暑くて薄着ばかりしていたけど、ニューヨークの緯度は秋田県くらい。
夜でしかも雨まで降っていたら結構寒いはずだったけど、早足のせいか時差ボケのせいか脳内から溢れ出るアドレナリンをたよりに、“寒くない”と言い聞かせるようにして早足で歩く。



閉店直前に入店したTrader Joe'sでは買うものはもうすでに決まっていたので、お目当の品を次々カートに投げ込んでいった。
ピーナッツバタープレッツェル、タイライムチリアーモンド、ペッパーピスタチオ。
ほとんど食べ物で荷物はどっしり、帰り道肩に食い込むトートバッグのストラップが痛かったけど(想定外の出費とブツ量はさておき)内心、「初日のうちにお土産の買い物ができる自分ってなんて計画的なんだろう!」そんなくだらないことを考えたりしながら、街中をお散歩する犬たちのおしりを追いかけながらホテルに戻る。

次の日の早いスタートに合わせてこの日は初日らしくゆっくりバスタブに浸かって移動の疲れを取ってから寝よう...。
そう考えていると、いつの間にかベッドで寝落ちていた。
深夜残業明けで帰ってきたホテルの同居人がノックしていたことにも気づかなかったけれど、『YUI~~~!!』とドアを開け放ちベッドへとダイビングハグしてきた時、ようやく自分がどれだけ疲れていたのかに気が付いた。
寝落ちるなんてほとんど経験なかったから。
そこからはお互いの業務報告など済まし、日本から持って行った大量のケアグッズをフル装備して二人仲良くクイーンサイズのベッドで川の字になって寝直した。


アーカイブはこちら

Tag

Writer