The Second-Hand Shop

世界のリサイクルショップ -イタリア編- #10

番外編:中国でスタック Pt.1

Contributed by Fumito Kato

Trip / 2020.03.27

雑誌、広告などの撮影の傍ら、世界各地のリサイクルショップを巡り、その国のカルチャー、埋もれゆくプロダクトの発掘をライフワークとして活動しているフォトグラファー加藤史人さん。今回、彼が訪れたのはイタリア。旅先で出会った魅力的なヴィンテージアイテムや食べ物の数々は、必見です。今回は番外編。イタリアからの帰国中、台風の影響で中国・北京にスタックした際の珍道中をお送りします。


#10

10/11(fri) 10:30
台風は想像よりも巨大だった。
日本の空港を発着する便はすべて欠航らしい。
スタッフは私に二つの選択肢を提示した。

1:ミラノで台風の通過を待つ。
2:北京まで飛び、現地で同様に待つ。

1:は、最大2週間まで無料のホテルが
提供されるそうだが、2:は現地で交渉して
みないとわからない、とのことだ。

冷静に考えてみれば、ミラノに留まり
人々が集中するであろう北京からの乗継便を
いち早く押さえることが賢明ではあった。
しかし、私は帰国翌日にバンドのライブ、
翌々日には仕事を入れていたため、
少しでも日本へ近づきたい思いにかられ
北京行きに飛び乗ることにした。
仕事先とバンドメンバーに現況を連絡。
やれやれ、どうなることやら。

10/12(sat) 6:00
早朝の北京に到着。
実は1ヶ月後の家族旅行の行先も北京だ。
下見にちょうどよいじゃない。気をとり直し、
入国審査へ向かう。行きと違い長蛇の列。
1時間半は並んだだろうか。
繁忙期にここで乗り継ぐ時は注意しなきゃ。
荷物を受け取り、チャイナエアの
カウンターで日本への乗継便を手配する。
4日後まで東京行きの便は満席だそうだ。
これはまずい。16日の仕事はリスケできない。
他の都市への便はないかと尋ねたところ、
2日後の名古屋行きなら空席があるという。
これしかない。実家に泊まって、翌日戻ろう。
無料ホテルの手配をしてもらい、
2Fの総合案内所で送迎バスの到着を待つ。
気が付くと、同じ境遇の乗客たちで
付近はごった返してきた。

スタッフの案内で1Fのバス乗り場へ。
ここでも、しばし待つような気配のため
煙草に火を付ける。野外であっても
あの檻のような喫煙所に入る必要があるのは
世界広しといえども、日本くらいだろう。
室内は禁煙、外に面していれば喫煙OK。
このスタンスをとっている国は多いし、
喫煙者、非喫煙者双方にとっても公平だ。
路上喫煙禁止条例という地域限定ルールは
私たちは状況を考えて行動できないので
‎ルールで縛られる必要がある国民です。
と、世界に恥をさらすようなものだ。
モラルやルールを遵守しようと努める
生真面目な日本人は、時にこれらを巡って
いさかいさえ起こったりする。
人々が快適に過ごすために考えられた
これら暗黙の了解や決まり事も
行き過ぎると、双方のストレスとなるだけだ。

「どちらからですか?」
隣でピースに火を付けた男性が声をかけてきた。
聞くと、彼はウクライナからの帰りらしい。
なるべく観光地化されていない国を巡り
その土地のビールを飲み歩くことを
ライフワークとされているそうだ。
私と同じく、台風で足止めをくらい
北京での見どころや交通に詳しくないため
市内に出る際は行動を共にしたいという。
私も北京は初めてだが、快諾し、バスへ。

北京国際空港は市街地の北東に位置し
空港周辺は、広大な幹線道路が続く。
付近には食堂や工場が点在するのみで
目ぼしいランドマークもなく、
バスに乗って10分も経たないうちに
私は方向感覚を失った。
程なくして、バスは幹線道路から外れ
木が生い茂る田舎然とした小道を進む。





田舎道をしばらく進んだ先にホテルはあった。
ホテルより先の道路は未舗装。
付近には自由な犬たちが銘々朝寝をしている。
このローカルな雰囲気は嫌いではないが、
ルートを思い返す限り、この辺りに
公共交通機関を利用する術はなさそうだ。





チェックインし、虎の子の50ユーロを
中国元に換金する(かなり、レートは悪い)。
荷物を部屋に置いた後、再びエントランスへ。
到着した時、白タクの運転手とおぼしき
おっさんが網を張っていたからだ。
ここから市街地まではかなりの距離が
あると思われ、バス停を探すために
幹線道路に出るだけでもひと苦労しそうだ。
おっさんの網にかかることにしよう。

「どこに行きたい?」と、おっさん。
私は鉄観音の茶葉を手に入れるべく、
お茶屋とローカルな昼飯をリクエスト。
彼の携帯の翻訳アプリでの価格交渉の末
100元(約1600円)で交渉成立。
この値段が高いか安いかは知らないが
白タクに適正価格などあるはずがない。
楽して茶葉と昼飯にありつけるなら
寝不足の私にとっては、ありがたいお値段だ。

お茶屋への道中、彼と様々な話を交わす。
仕事のこと、家族のこと、日中関係のこと、
彼は日本のことは褒めるが、
韓国のことは悪く言う。そうすれば、
日本人が喜ぶと思っているらしい。
「私は中国も韓国も大好きだ。
特に中国の先人たちが築いた文化は
どの分野においても素晴らしい。
政治家やマスコミの流す情報に
踊らされることなく、我々は隣人として
文化を共有し、友好を深めるべきだ」
私の返答に彼は調子が狂ったような
表情を浮かべたが、
「今の日本のリーダー(安倍)は最低だ。
少なくとも、私の周りに彼を支持する
友人は一人もいない」。
と言う発言には笑顔を見せた。
翻訳アプリで私の発言が100%伝わるとは
思えないが、大筋は伝わっただろう。
まあ、彼は単純にビジネストークを
しただけであって、それに対する私の返答は
少々、大袈裟だったのかもしれないが。



15分ほどでお茶屋さんに到着。
店内に掲げられた価格表を見て驚愕。
鉄観音は1克(500g)/500元(約8000円)と
1克(500g)/1000元(約16000円)の2種類。
た、高い…。一瞬、白タクのおっさんと
結託した店に連れて行かれたと思ったが、
よくよく考えてみれば、茶葉の産地に近い
広州の茶市場で買った時も、半克で200元。
遥々、北京までやってきた茶葉たちが
広州より安くなるわけがない。
(後日、北京市内の茶市場で買った際も
同様の値段であった)
これら2種類を、それぞれ試飲させてもらう。
500元の方は茶葉が浅黒く、香りが弱い。
一方、1000元の方は鮮やかな緑色で
香りもかなりフレッシュだ。
広州で買った茶葉の印象とかなり近い。
もっとも、手元のキャッシュは少ない。
高い方の茶葉を200元分買うことにした。

二煎目、三煎目と、店のおばちゃんは
矢継ぎ早に茶を注いでくれる。
私は一煎目、それも少し濃いものが
好きなため、二煎目以降の試飲を
いつも、持て余しがちだ。
茶葉を入れた水筒を常に携帯し、
飲み終わったら、お湯を足し、
繰り返す飲むと言う習慣が
中華圏の国にはあるので、
白タクのおっさんに、試飲のお茶を
詰めてもらったら? と、促す。
ただ、おっさんにとって
このお茶は少し濃すぎるらしい。
彼は水筒に詰めた後、更にお湯を足していた。
鉄観音のアメリカーノ。
エスプレッソはルンゴでも濃いらしい。

11:00
「腹が減った。昼飯にしよう」
どうやら、私におごってもらうつもりらしい。
年上のあなたに奢ってもらうのは恐縮するが
と、さっき翻訳アプリが喋っていた気がする。
(おっさんは私の二つ下だ)
これだけしかねえ、と残り金をおっさんに
ぴらぴらと見せる。50元とちょっと。
高級な昼飯にありつけると期待していた
おっさんの顔が曇る。仕方なく、彼は
30元で二人が腹一杯になる店の前に
車を停めた。彼の普段使いの店だそうだ。



でかい丼ぶりに入った麺と小菜、
山盛りの米に卵とキクラゲの炒め物。
がっつく労働者たち。よい店だ。
一杯15元(約240円)の刀削麺を
二つ頼んで席に着くと、窓の外で
何人かのおじさん、おばさんたちが
餃子を作っているのが目に入った。
ここ最近、私は中華レシピの
撮影が多く、餃子にまつわる本にも
関わったばかりだったので、
本場の水餃子には並々ならぬ関心がある。
カメラを手に、身振り手振りでお願いし、
その光景を撮影させてもらった。





手慣れた手つきで
あっという間に小振りな餃子たちが
まな板に並べられていく。
そうこうしている間に、
刀削麺が出来上がったらしい。
おっさんが私を呼ぶ。
でかい。別のメニューも
頼もうと思ったが、よしておこう。


スープと具は台湾の牛肉麺に近い。

スパイシーで、とてもおいしいが、
いくら食べても量が減らない刀削麺と
格闘しているうちに、さっきのおばさんが
出来立ての水餃子を運んできてくれた。
味見してみて、とおばさん。
めちゃくちゃ嬉しい。
が、果たして食べきれるか。
表現できる限りの礼を言い、
餃子にも、いざ取り掛からんとする。
黒酢はどこじゃ。



想像よりも水餃子の皮は薄手で、
ニラとニンニクが効いていた。
このタイプの水餃子は初めてだったが
専門店では、具のバリエーションが
何十種類もあるという話だ。
これはこれでうまい。
きっと焼いてもおいしいやつだ。
自分が手をつける前に
白タクのおっさんにも勧めたが
彼は、満腹だからいらんと言う。
そう、この国は残してもよい文化。
むしろ、人をもてなす時は、
食べきれる以上の料理を
出すことが礼儀とされる。
満腹なら無理して食べることはない。
郷に入れば郷に従うのは重々承知だが、
例え給食に嫌いなメニューがあっても
すべてを食べ終わるまでは
掃除の時間になろうと食わされ続けた
"残しちゃいけません"教育下の私は
気合いでそれらを腹に収めきった。

12:30
ホテルに戻ると、
外の灰皿の前でウクライナ帰りの
おじさんが煙草を吹かしていた。
一緒に動こう、と言っていたのに
私の姿が見えないので、仕方なく
部屋で過ごしていたそうだ。
ちょいと下見をしてきました‎と
お茶を濁し‎、明日の計画を話し合う。
とは言っても、特に思い浮かぶ場所もなく
今日行ったお茶屋さんで土産を買った後、
紫禁城にでも行ってみますか、
ということになり、白タクのおじさんと
値段を交渉した。

さっきのお茶屋さんは、北京中心部とは
逆方向にあるらしく、おじさんは強気の
価格を吹っかけてきたが、往路のみの
約束で250元(約4000円)で決着。
明日の朝10時に迎えに来るそうだ。

ウクライナ帰りのおじさんは
昼飯をまだとっていなかったため
一緒にホテルの食堂へ向かう。
バイキング形式だったので、
お腹一杯の私は、仏さんほどの
炒め物とご飯を皿に盛り、テーブルへ。
御年70歳を超えるおじさんは
あまり美味しくはない、と言いつつも
食欲は旺盛らしく、二度のおかわり。
部屋に戻り、Wi-fiに接続。
明日のライブは台風で中止になり、
14日の撮影も代役が見つかったそうだ。
ほっと胸をなでおろしつつ、
テレビから流れるプロパガンダCMを
ぼんやり観ていたところで
この日の記憶は途切れた。


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