旅路の最中、数多の半券

Many stubs during the journey

旅路の最中、数多の半券

Photo & Text: 近藤 希実

Trip / 2022.01.29

Luke magazine special contents #1
今この時代に、僕たちが「旅」について、思うこと。


海外はもちろん国内さえも自由に移動することが難しくなって、どんどん曖昧になってしまった「旅」という行為の価値。 そんな時代だからこそ、僕たちは「旅」について改めて考えてみたい。旅の経験値の少ない、20 歳前後の若者たち10人が語る「旅」についての自由な考察。




“青二才だと自負する私が「旅」というものを容易く語るのは側から見ればどれほど滑稽なことであろう。旅に必要とされるコインも片ポケットに数枚。せいぜい列車で向うの街へいけるかいけないか。切符が示す場所は目と鼻の先。望む現実はそう甘くない。ゆくゆくの景色を乞う青年の横で荷物両手に急ぎ足の紳士。海を越えるためのチケットを口に咥えながら足早に過ぎ去っていく。目で追う暇もなく飛び立っていってしまった。列車はまだ来ない。手持ち無沙汰でソワソワしていると、もう一つのポケットにあるものを見つけた。探り探り手を突っ込むと夢やら自由やらありふれた言葉が似合う尊さを持ち合わせる感情の数々。「そうだ、自分にはこれがあるじゃないか」。目を輝かせ大事そうに懐に仕舞い込んだ。”

この物語は私が考えたフィクションである。しかし、ここから伝えたいことがいくつか。

夢を見るのも、自由があるのも、「若さ」を理由にしているのはもったいないのではないかということ。そして一人一人が抱える「譲れないもの」と同じくらい、いやそれ以上に心を動かすきっかけというものはすぐそこに転がっているということである。胸の高鳴りとともに気づけば走り出している。それが心であり、身体である。心と同期するかのように前のめりになる身体。

「新しい何かに出会えるかもしれない」という高揚と興奮。第六感が働けば、出逢うものひとつひとつがより身近に感じられるだろう。さあ、次はどこへいこう。どんなものと出逢おう。青二才の私にとって、「旅」というものの面白さや価値はそこにある。

さて、コロナが流行り私たちは今本来あるべき「自由」というものを忘れかけている。どこへ行こうにも制限が伴い、日々の目新しさもどんどん減ってしまっていることだろう。インターネットがより生活の一部になり、私たちの心を捉え離さないものの多くは、携帯やパソコンの中に溢れかえっている。検索履歴を覗いてみれば、インターネット上の見知らぬ誰かが作り上げたものたちで満足げにしている自分の顔が目に浮かぶ。

しかし何かが足りない。写真フォルダを何気なく開いてみると、以前訪ねた土地で撮った写真や動画。友人、家族。私にとってエネルギーの源だった数々の出会い。顔も知らぬ誰かではなく、紛れもなく「私」が実際に目で、手で、心で触れたもの。その事実が胸の中に刻まれている。そういうものたちにしばらく“リアル”に触れられていない心の溝を埋めるためにも、コロナが早く終息して欲しいと願う他ない。

人々にとって「自由」の価値が迷走する今この時代。私にとって「旅」は、人生そのものに色を与え、深みを生むきっかけとして欠かさない行為であり、自分自身を築き上げていく中でこれからも大切にしていきたいものである。

 

神田明神と大吉みくじ。


次の記事
Luke magazine special contents #2

Tag

Writer