今度は私が

The last letter

今度は私が

Photo & Text: 千葉 悠生

Trip / 2022.01.29

Luke magazine special contents #3
今この時代に、僕たちが「旅」について、思うこと。


海外はもちろん国内さえも自由に移動することが難しくなって、どんどん曖昧になってしまった「旅」という行為の価値。 そんな時代だからこそ、僕たちは「旅」について改めて考えてみたい。旅の経験値の少ない、20 歳前後の若者たち10人が語る「旅」についての自由な考察。

今でもふと思い出す。親友と行ったあの場所。眩しい程に輝く水面に、思いを馳せる。

私は、高校卒業後、進学のために上京した。知らない土地、知らない人に囲まれて、なんだか不思議な気持ちにしばらく浸っていた。初めてのひとり暮らしに浮かれていたのも束の間、途方もない喪失感に襲われ、早くも故郷が恋しくなる。そんな時に一番に思い浮かんだのは、親友とお別れする前に行った、風が凍てつく「松島の海」だった。

親友とは小学生からの幼馴染だったが、中高は別々の道に進んだため、ずっと一緒に居たというわけでない。だが、お互いに欠かせない存在だったことは間違いないだろう。
たまに連絡を取り合って、しょうもない会話をしたり、ご飯を食べに行ったり。“いつでも会える、いつでも話せる”そんな存在だった。

私が卒業後に上京することがすでに決まっていたので、数か月後にはもう簡単には会えないような距離になってしまう。そこで計画したのが二人だけの「最後の旅」だった。

引っ越しの準備やらなんやでバタバタしていたため、遠出は出来なかった。「どこに行きたい?」親友のその問いに私は「故郷を一番感じられるところが良い」と答えた。

しかしこの旅は二人の予定がなかなか合わず、結局「旅立ちの日」前日に決行された。行先を伝えられていなかった私は、どこに行くのかわからないまま親友が運転する車に乗り、外を眺めていた。いつも通りのたわいもない会話をしていると、あっという間に目的地に到着。車を降りると、そこは「松島の海」だった。

松島は、かの芭蕉をも魅了した日本絶景のひとつである。「私と行く最後の旅にここを選んでくれたのだ」、そう思うとなんだか感慨深かった。朱塗りの橋を渡り、松島湾を一望できる小さな島へと移動する。そこから眺める景色は、夢かと錯覚してしまうぐらい煌めいていた。

その日は二人とも明日に迫る別れを感じさせないぐらい楽しんだのだが、海を眺めているといつの間にか時間が過ぎていき、なんだかいつも以上に風が冷たく感じた。

夜も更け、そろそろ帰らなければいけない時間になった。絶景の記憶を噛みしめながらその場を後にした。

帰り道、「今日は楽しかったね」と口にすると、車の中で親友からあるものを渡された。

「手紙」だ。

嗚呼、もうお別れなんだ。ようやく実感が湧く。さっきまで笑顔ではしゃいでいた二人はもういなかった。頬を濡らし、言葉に詰まりながら、「いつでも帰ってきてね」「また行こうね」そう言葉を交わした。

だが、実際のところ、あの日から私たちは一度も会えていない。

コロナの影響だ。会えない日々が2年近くも続き、やがて連絡を取る頻度も減ってしまった。「旅」とは、ふとした時に頭に浮かんできて、“あの時に戻りたい”と思わせてくれるものなんだと、私は思う。特に自由に「旅」ができにくい今は、以前の「旅」に思いを馳せる人も多いと思いはずだ。

コロナ禍が明けたら、久しぶりに彼女に連絡をしたいと思う。そしてまた、あの「松島の海」に二人で行くのだ。

今度は私が「手紙」を書いて。

海を眺めながら記念撮影📷

小さな島から見える景色。

朱塗りの橋を楽しそうに渡る二人。


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