interview: Vanna Youngstein

About Time #30

interview: Vanna Youngstein

Contributed by Sho Mitsui

Trip / 2021.12.24

1年9ヶ月ぶりにアメリカに旅立った通訳・翻訳家&カルチャーコーディネーター兼英語教師の三井翔さん。著名人からアップカマーまで、アメリカ国内に謎のネットワークを持つ彼にしか見えない、コロナ禍以降のアメリカの「リアル」を毎週お届け。今回はアパレルブランド"Vanna Youngstein"のディレクターで、スタイリスト・デザイナーとしても活動するVanna Youngsteinにインタビュー。

#30

日本のストリートカルチャーに精通している人で、ロンドン出身、ニューヨークで活躍するスタイリスト・デザイナーのVanna YougsteinのTシャツを見たことが無い人は少ない筈だ。キュートなバブルフォントに印象的なステートメント"CHERRY BABY"。目を奪われないわけが無い。僕が初めてそのTシャツを目にしたのはSean Pabloが着用していたからだ。

(写真はVanna Youngsteinオフィシャルウェブサイトより。Sean Pabloの隣にいるのはChloe Sevigny)

当時は、どこの誰がこのTシャツを作っているのか検討もつかなかったが、アーカイブにもある通り、2017年にアイコさんにNYCでVannaを紹介してもらった時に初めて、彼女がこの僕がずっと欲しかった"CHEERY BABY" Tシャツを作っていた張本人だったということが分かったのだ。
日本に帰国し、直ぐにオンラインでTシャツを一枚オーダーすると、どう考えても全てハンドメイドであろうと思われるパッケージングやステッカー、ポストカードが届いた。「Sho,ニューヨークで会えて良かったわ」という一文を添えて。すごい! 購入者が僕であるという事がVannaは分かっているんだ! 購入者一人一人に想いの篭ったパッケージングをするVannaはただ単にTシャツを売っているわけではなく、もはや「作品」を提供しているのだ。そんな、デザイナー・スタイリストだけに留まらず、NYCのクリエイターとして、注目を集めるVanna Youngsteinに話を聞いた。

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こんにちは! Vanna Youngsteinよ。NYCで"Vanna Youngstein(ヴァナ・ヤングスティーン)"というアパレルブランドをやりつつ、スタイリスト・デザイナーとしても活動してるの。ブランド名に自分の名前を冠したのは、私がTシャツにプリントするスローガンや格言がとても素敵じゃない? それを上手にまとめられるブランド名が必要だったからよ。私がブランドとして初めて作ったのが"CHERRY BABY"のTシャツだったの。そのスローガンが夢に出て来たのよ。で、目覚めた時に「"CHERRY BABY"って書いてあるトップスが欲しいわ!」と思ったのね。もう何年も前の話だけれど。すごく不思議な瞬間だったわ。で、自分用に1枚作ったのよ。それで撮影現場とかにそのTシャツを着て行っていたのね。そうしたら、周りの人達が「そのTシャツどこで買ったの?私も欲しい!」って言い始めてね。道を歩いている時でも足を止められて、「そのCHERRY BABYってTシャツどこで買ったの?」って聞かれる様になったのよ。で、友達からは「商品化しなよ!売ってよ!」って言われ続けてね。それから、ようやくリリースする決心がついたというわけ。ちょうどその時、Petra CollinsとCarly Ray Jepsenのミュージックビデオのスタイリングをしていて、Manon(Macasaet)に着せたからたちまち人気になったのよ。とてもラッキーだったと思うわ。
あまりにクール過ぎて、男の子達が彼女の服を着たくなっちゃう様なガールズブランドを、ずっと始めたかったの。そんなブランド他にないでしょ? だから、それが当初の目標だったの。実際に最初にオーダーしてくれたのは皆んな男性だったのよw 「やった!目標達成!」って感じねw きっとスケーターカルチャーに私が精通していたこともあるんだと思うわ。スケーターの皆んなが着てくれたし、Bill(Willam Strobeck)も関わっているしね。上手く、当時の流れにフィットしたのね。今はジェンダーの垣根を超えて、本当に沢山の人が着てくれているわ。私のブランドはジェンダーレスだからそれが実現できてとても嬉しいわ。


Carly Ray Jepsenのミュージックビデオ

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まさか、かの伝説的な"CHERRY BABY"Tシャツが最初はVanna個人の為に作られたものだったとは! 流石スタイリスト。いつだってルックの中で1番クールなアイテムはスタイリストの私物だったりするわけで、Vannaのブランドは正にそこがスタートだったのだ。
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自分用に"CHERRY BABY"を作ったのは2015〜2016年辺りだったと思うわ。で、ブランド化したのが2016年。だから、割と事はスムーズに進んだわ。まあ、自分のブランドは5歳位の頃からずっとやりたかったんだけどね。そう考えると長い道のりだったわw でも、まさかこのTシャツがブランド設立のきっかけになるとは思いもしなかったの。私はデザイン専攻で大学も出てるわ。だからいつも他社のデザインばかり手掛けていたのね。ガウンだったり...で、絵も描けるからそれも提供したりして、それはそれで楽しかったんだけれど、私の本当にしたい事じゃなかったの。よく、自分が好きな事をやりなさいっていうじゃない? 私は昔からずっとTシャツコレクターだったのね。日本製のレアなものからロジャー・ラビットまで。知り合いが世界中から珍しいTシャツをくれるからいつもそれを着ていたの。子供の頃の私といえば、スタイルが決まっていて...この写真はお父さんの家で最近見つけたのだけれど、今の私のスタイリングとほぼ一緒なのよ! 笑っちゃうわ。TシャツもVanna YoungsteinのTシャツにそっくりじゃない? Johnson & Johnsonをサンプリングしたものね。

(写真はVanna Youngsteinのインスタグラムより)

この写真でも分かるように、私のスタイリングは子供の頃から首尾一貫しているのよね。今、ストリートでこういう格好している女の子って沢山いるじゃない? 当時、周りの人達が私のテイストを気に入ってくれて本当に良かったわ。そんな感じで自然の流れでブランド化したのよ。それから、ブランド自体が勝手に大きくなってくれたというか。とてもラッキーだったわ。ストリートで私のTシャツを着てくれている人を見かけるのは言葉に表せない喜びよ。もはやこのブランドは自分ではコントロール不可能なモンスターになってしまった感じ。新作をリリースすれば即完してしまうしね。私のプロダクトは全て"made in New York"なの。そこにとてもこだわっているわ。プリントもニューヨークで行っているし、包装・梱包は全て私が手作業で行っているのよ。あまりに規模が大きくなり過ぎて来ていて、若干手に追えなくなって来ているけれどねw 新しいシステムを考える必要があると思ってるの。コラボアイテムを出してもすぐに売り切れちゃうし...でもファッションって楽しくあるべきだと思うのね。人々を笑顔に出来るような。だから、私のTシャツのスローガンもユーモラスであることを心がけているわ。クスッと笑っちゃうようなね。と、同時にボーイッシュであることがコンセプト。でも、今のところとても上手くいっているわ。

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そんな、新作をリリースする度に即完してしまうVanna Youngsteinのアイテムの数々。どこで手に入れる事ができるのだろうか?
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実はアメリカに取扱店は無いのよ。唯一の取扱店だったオープニングセレモニーが閉店して、コロナ禍の間はロンドンに帰っていたから、自分のウェブストアのみで販売することにしたの。ロンドンも全ての店が閉まっていたからね。日本ではBonjour RecordsとFalineが取り扱ってくれているわ。日本はいつも、私に良くしてくれているの。

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なんと! コロナ禍の間ずっとロンドンで過ごしていたというVanna。そんな彼女にコロナのビフォア/アフターを是非とも聞いてみたい。きっと僕らが日本で過ごしたそれとはまた違った世界がそこにはあったはずだ。
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コロナ前の"Vanna Youngstein"はビジネス的にもとても上手くいっていて、たくさんの有名人が私のTシャツを着てくれていたわ。今から考えればクレイジーにすら思えるわよ。で、コロナが大流行して、妹が医者なんだけれど、電話で私に「今すぐに帰って来て!大変なことになるわ!物凄いスピードで拡大しているから!とにかく帰って来て!」って言うわけ。だから、私は全てをニューヨークに置いてロンドンに帰ったの。そして、1年半の間それっきりよ。私はアメリカとイギリスのハーフだから戻ろうと思えば戻れたのよ。でも、とても怖かったの。皆んな当初は飛行機に乗ったら感染して死ぬと思っていたでしょ? 今振り返ると大袈裟だったけれど、当時は本気でそう考えていたわ。父は西海岸にいて母はロンドンに住んでいるのね。でもその時、母はコッツウォルズの別荘に住んでいたからそこの小さなコテージで馬達と穏やかに暮らしていたわ。美しい場所だけれど、私の心はニューヨークに置いて来てしまったから、「いつになったら戻ってまたコレクションをリリース出来るんだろう?」という事ばかり考えていたの。でも、同時に「これは私のブランドなんだからどこに居ようと、インスピレーションは湧くもの」という事にも気付いたわ。ちょうどSNS上で#cottagecore(コテージコア:田舎暮らしをロマンチックに解釈した美学)が流行していた時期だったから、コッツウォルズは逆にトレンディーだったのよ。だから、その土地からインスパイアされて、絵を描いたりデザインしたりしていたわ。もちろんニューヨークに帰りたくてしょうがなかったけれどね。
1年半ほど経ってからいよいよワクチンを接種出来ることになって、1回目の接種はロンドンで、2回目はニューヨークで受けたのよ! 信じられる? 私がどれ程ニューヨークに帰りたかったかが分かるでしょ?w ロンドンでは1回目の接種を全市民に対して終えるまで2回目の接種を開始しないと、分かっていたからね。そして、3ヶ月前にアメリカに帰って来たの。少し不安だったわ。「まだ、みんな私のブランドに興味あるのかしら?」って。でも、需要は過去にも増して高まってたわ。とても光栄に思ったし、自分が誇らしかった。だから、ようやくVanna Youngsteinというブランドを再開してもう一度、軌道に乗せているところなの。次の展開が楽しみだし、ファンが待っていてくれて本当に嬉しい。私のTシャツが、ファンに楽しみと幸せをもたらせているって事が実感できたからね。ロンドンのロックダウン中に考えていたのよ。家に缶詰めになっている時にステッカーで可愛くデコレーションされた荷物が届いたら嬉しいでしょう? こんなふうに、コロナ禍でも学ぶ事は沢山あったのよ。現在は2021/22のウィンターコレクションを手がけているところよ。セットアップのスウェットスーツをリリースする予定。コロナ禍で、沢山デザインしたからね。私、デザインの仕事がすごく早いの。他の事に関しては呑気なんだけれどね。あだ名なんて"Bambi"だし歩くのもとてもゆっくりなの。でも、デザインとなると秒速よ。「コレクションをデザインして欲しい」ってオファーを受けたら即、納品出来るわ。頭の中にデザインの百科事典がある感じよ。最近リリースした"Fall Angel"ラインはコロナ禍にデザインしたグラフィックのうちの一つだわ。

img src="https://container-web.jp/wp-content/uploads/trip_post/43057/20211224/Image.jpeg" alt="" width="100%" />(SupremeやFucking AwesomeのスケーターBeatrice Domond。写真はVanna Youngsteinのインスタグラムより)



(写真はVanna Youngsteinオフィシャルウェブサイトより)

2分程で完売しちゃったわ。ウィンターコレクションのデザインもスウェットスーツに留まらず、本当に沢山用意してあるの。将来的には自分の店を持ちたいと思っているわ。

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Vanna Youngstein Store!!! 実現したら、日本のファンは殺到すること間違い無しだ。さっきもVannaは日本にすごく共感している旨の発言をしていたけれど、Vannaにとって日本という国、そしてファンとはどんな存在なのだろうか?
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初めて日本に行ったのはもう何年も前の話よ。あるデザイナーのアシスタントとして来日したの。彼女のショーが原宿のラフォーレであったのよ。その時、Olympia(Le-Tan)も来日していたり...そこでFalineのBaby Maryにも初めて会ったのよ。その時にBaby Maryに言われたの「Vanna、あなたは絶対デザイナーになるわ。そして、あなたのファーストコレクションを扱うのは私の店よ」ってね。まだその時私は10代で...彼女の店へ行ったり日本を探検してみて、とてもアットホームに感じたわ。東京もロンドンもスタイリングで人々がコミュニケーションを取っている様に感じたの。でも、それっきり暫く日本には訪れていなかったのね。そして、2018年にBillが"Blessed"(Supremeの2本目のフルレングススケートビデオ)の日本プレミアをした時に私も同行したのよ。Shoにも確か会ったわよね? 原宿のFaline Tokyoでポップアップをして、自分のブランドのファンの多さに驚いたのよ。竹下通りを歩いていたら、呼び止められて一緒にファンと写真を撮ったり...信じられなかったわ。自分が及ぼした影響の大きさに気づいてなかったのね。私もすごく日本には影響を受けているわ。日本に来る前から日本にはインスパイアされていたしね。日本での私のブランドの需要の高さにはすごく感謝しているし、光栄だと思っているわ。
私はGwen Stefani(No Doubtのボーカリストでソロアーティスト。"Kawaii"が普通に英語で使われる様になったのは彼女の"Harajuku Girls"という曲がきっかけ)の大ファンなんだけれど、彼女は「ファンが自分と同じ格好をしている事に関してはどう思う?」と、あるインタビューで聞かれた時に「私はいつもファンから影響を受けているのよ」って答えたのよね。で、私も同じ様な感覚を日本で味わったわ。日本人の服のコーディネートはとてもユニークなの。私のアイテムの取り入れ方もすごく素敵よ。タンクトップの着こなし方も独特よね。セーターやフディーの上に着たりして。すごくクールだわ。

(写真は@oyasumi0220のインスタグラムより)

もちろんニューヨークのスタイリングからも影響を受けているわ。それにニューヨークのストリートで私のTシャツを着ている人を見かけたら、未だに信じられない気分になるの。だって私はほとんど見かけたことがないもの。友達からはしょっちゅう「VannaのTシャツ着ている人を道で見かけたよ」って言われるんだけれど。「だったら、何で写真撮っておいてくれないのよー!」っていつも言うのよw 私が直に見つけた時は必ず話しかけるのよ。「あなたが着ているTシャツを作ったのは私よ!」ってね。そしてハグするの。皆んなには「マジーっ?!」って驚かれるけどw 人生で初めて私のアイテムを身につけている人を見た時は、ユニセックスの"cupid"Tシャツを着ていたわ。



(写真はVanna Youngsteinオフィシャルウェブサイトより)

着ていた女の子を呼び止めて、写真を撮らせて貰ったの。で、インスタのアカウント教えてもらったら、すごく有名なモデルだったって事が分かって。笑っちゃうわよね。でも、とてもラッキーだったわ。ニューヨーカーは私のアイテムを個性的に着こなしてくれているわ。以前、オープニングセレモニーで取り扱って貰っていた時は、コーヒー屋でたまたまスタッフの女の子とバッタリ会って、その子は私が作った"Baby Lamb"のロングスリーブを着てくれていたんだけれど、自分でクロップ加工していたのね。すっごくクールだったわ。そうやって、買ってくれた人がオリジナリティー溢れるカスタマイズをしてくれるのを見るのは大好きなの。

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日本への感謝と愛に溢れているVannaの話を聞いていると、日本人として僕もつい嬉しく、そして誇らしく思うのだ。そんな彼女が最近リリースしたFalineとのコラボレーションについても聞いてみたい。
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Falineとのコラボはすごく自然な成り行きで決まったのよ。Baby MaryはVanna Youngstein立ち上げ当初からアイテムを取り扱ってくれていたし。彼女はロゴが主体のアイテムをよく出すんだけれど、私はそれが好きだったのね。お店のマーチって感じでカッコいいじゃない? 私は自分の名前をロゴとして使う事をほとんどしないから...そうしたら、Baby Maryが「ファンは"Vanna x Faline"のアイテムを欲しがってるのよ」って言うのよ。私からしたらちょっと笑っちゃうコンセプトだけれど、素敵じゃない? グラフィックもとても良いし。Baby Maryは最近ISETANでポップアップをしたのだけれど、それ用にオリジナルアイテムを作りたかったのね。コロナ後、Faline Tokyoは閉店してしまったから、このタイミングで"Faline Tokyo"のマーチを出せるのはすごくクールだと思ったの。空想上のアイコニックなストアのマーチ的なコンセプトが気に入ったのよ。配色は私が慎重に決めたわ。他では見られないユニークなカラーウェイになったと思うの。私はよく、人に配色のセンスを褒められるのよ。母の影響だと思うわ。いつも家の中は独特な配色でデコレーションされて、それがとてもクールだったの。とてもインスパイアされたわ。






(写真はFaline Tokyoのインスタグラムより)

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ご覧の通り、カラーチョイスのセンスも抜群なVanna。そんな彼女がファッションに目覚めたきっかけとは何だったのだろう?
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両親がデザイナーかって? 違うわw 父は弁護士だったの。もう引退したけれどね。母はプロダクトデザイナーのMarc Newsonに勤めていたこともあるけれど、デザイナーとしてではなかったし。子供の頃は祖父母の着こなしが凄く好きだったの。その頃からファッションに興味があったわ。彼等の服は私がまだ持っているのよ。
私は16歳からファッション業界で仕事をしてきたわ。ロンドンで土曜日にショップに立ち始めたのがきっかけね。何店舗かで働いたわ。で高校生の時に転校したのだけれど、2校目の高校は私服で通って良かったのね。だから、友達とグループを作って映画"Clueless"や"Mean Girls"のキャラクターみたいな格好で通っていたのよ。「火曜日はこのテーマで行こう!」って皆んなで話し合ってコーディネートやカラーを揃えて登校するの。天使の羽を背中に付けて同時に頭には悪魔の角を付けたりね。ぶっ飛んでるでしょ?w ロンドンは皆んなそれぞれ個性が強いのよ。ちょうど思春期の頃は自分のスタイルを確立する上でも重要な時期でしょ? 私の通っていた学校は本当にイケイケで皆んな自由に好きな格好をしていたわ。で、そのスタイルは今でも変わらないわ。当時着ていた服は今でも持っているのよ。11歳の時に着ていた服なんかも残っているわ。古着がすごく流行ってるじゃない? でも、私は自分の服を着古して自分なりの古着に育てたいの。
アメリカ人とイギリス人のハーフであるということも、私のスタイルに大きく影響しているわ。学校の制服の上に父が買ってくれたアメリカのスタジャンを着たりしていたの。後ろには"Youngstein"って入っていてね。私のブランドのアイテムとしてリリースしてもおかしくない様なものよ。足元はアメリカから買って来てもらったNikeを履いていたわ。アメリカ製のランチボックスとイギリス風のものをミックスしたりね。すごく可愛くコーディネートしていたわ。だから、私の格好はすごく目立ってたわね。そんな格好している子いないもの。5歳で学校に初めて登校した時、私はピンクのバックパックを背負っていたからという理由で、家に返されたのよ? すごく身だしなみに厳しい学校だったの。その歳で皆んなブリーフケースを持って登校するんだものw 私はピンクのバックパックに、夏休みの間過ごしていたアメリカから持って帰って来たお土産を詰め込んで登校したのよ。それから、両親が私をより、自由な学校へ転校させてくれたの。制服のクールな着こなし方をいつも試行錯誤していたわ。制服が青のジャケットと黄色いシャツだったのだけれど、シャツを折り返してカフスで止めてニーハイソックスを履いて"Clueless"的なバイヴスを出したりね。体育着も上手に格好良く着こなしていたの。すると、友達が皆んなマネしてくれたわ。

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すごい! Vannaはインスタが存在する以前から既にインフルエンサーだったんだ!
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確かに、友達からはそう思われてたかもしれないわねw コロナ禍で久々に幼馴染達に会ったんだけど、「あなたっていっつも自分のスタイルを持っていて、私達はすごく影響を受けていたのよ」と言われたわ。学校で劇の発表会をやった時は全員のスタイリングを手掛けたの。今見返すと、どれもこれも私が"Vanna Youngstein"でリリースしていてもおかしくないアイテムばかりだわ。だから、スタイリストは私の天職と言っても良いかもしれないわね。子供の頃からやっていたのだから。

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そんな青春時代を謳歌した、Vannaがどのようにして、現在に至るのかすごく気になるところだ。
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その後、仕事は全てファッション関係の事に携わったわ。常にデザイナーやスタイリストと共に仕事をしていたの。しばらくインターンを経験した後、ニューヨーク在住のクリエイティブディレクターのアシスタントになったの。若くしてだいぶ大きな仕事についたわ。その後Heidi Bivins(コスチュームデザイナー)のアシスタントスタイリストになったの。彼女は今"Euphoria"を手がけているわ。Euphoriaは人気の番組で、私のアイテムも採用してくれているの。Heidiは他に"Spring Breakers"の衣装も手掛けているのよ。そんな経験を通じて今に至るのよ。今は自分の"Vanna Youngstein"ラインに集中しているわ。もちろん、スタイリストとしても活動しているし、将来的にはコスチュームデザインをしたいの。映画の衣装を手掛けたいわね。女の子がしたい格好、憧れている格好、そしてその子に似合う格好、全てを熟知しているから、クリエイティブ・ディレクションをする時も凄く素早く、クオリティーの高い仕事ができると自負しているの。

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ところで、Vannaはアメリカのどんな部分に魅せられて拠点をニューヨークに移したのだろうか?
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アメリカに来たのは仕事がきっかけよ。私はアメリカ人のハーフだから仕事をアメリカで得るのもさほど難しい事ではないの。最初、アメリカのエイジェンシーから「え?!あなたアメリカ人のハーフなの?早く言ってよ」って言われた時は何の事を言われているのか全く理解が出来なかったわ。私はワーキングビザがいらないのよねw 若過ぎて当時はそんなことすら分かってなかったわ。移住して数年は必死に働いていてニューヨークの「ニ」の字も見られてなかったのだけれど、ようやく落ち着いて、余裕が出て来て初めてニューヨークの街に魅了されたのよ。例えば私にとってロンドンは、ニューヨークよりもっとゆっくり時間が流れていて落ち着くの。ニューヨークより忙しい街は世界でも東京くらいだと思うわ。ロンドンで育って本当に良かったと思っている。
よく、人々がロンドンでの過ごし方に戸惑うと耳にするわ。パリだとより過ごし易いのかもしれないわね。ニューヨークや東京と雰囲気が近いわ。でも、ロンドンはちょっと手強いの。人脈や文化に関しての知識も必要だし。でも、私はロンドンで育ったから凄く居心地が良いし、洗練された街だと思うわ。気軽なライフスタイルを送れるの。ヨーロッパは概してリラックスしたムードが漂っているのよ。私はロンドンっ子だからニューヨークは楽しくて時の流れがとてつもなく早いと感じるの。ファッション界的な視点で見るとロンドンは今、過渡期であると感じるわ。ちょっとニューヨーク的になって来ていると思う。ニューヨークでは「あのTシャツが欲しい!」的なノリがあるじゃない? ロンドンも徐々にそんな雰囲気を帯び始めて来ていて、私のTシャツにも注目が集まって需要も高まっているわ。ロンドンって個々の個性に重きを置いていてあまり他人と被る格好をしたがらない文化があるのよね。古着や、Westwood的なバイヴスね。でも、それは変わりつつあるの。

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そんなロンドンとニューヨークに拠点を持ちつつ、パリや東京等でのファッションシーンを肌で感じたVannaの理想のスタイルってどんななのだろう? すごく興味がある!
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私はミックススタイルが大好きだし、それが私のトレードマークなの。よく自分の理想のスタイルを「全寮制の学校から逃げ出した女の子(a boarding school runaway)」って称するんだけれど、彼氏のジャケットと母親のイヤリングをパクって飛び出すのよ。私が今日している格好もそんな感じでしょ?w イヤリングにロンドンっぽさが出ていてボーイフレンドジャケットがニューヨークって感じ。90%フェミニンで10%がボーイッシュ。それが私のスタイルね。今日の格好で言うと、ガーリッシュな装いだけれど、このSupremeのバッグやDr. Martensのブーツがスパイスとなっているじゃない? だから常にミックスを心掛けているわね。

でも、とても東京のファッションからも影響を受けているわ。初めて日本を訪れた時の原宿、渋谷のガールズファッションはクレイジーだったし。2018年に訪れた時は、それが落ち着いてLAやNYCっぽい感じになった印象を受けたわ。個人のファッションってその人のライフスタイルにまで反映されるじゃない? だから、その人の着こなしと言動って必ず関係性があると思うの。だから、私のアイテムを着てくれるファンからは男女問わずインスパイアされるのよ。日本人はレイヤーの仕方がとても上手よね。私が想像もしなかった様な着方をしてくれるの。さっきも言ったけれど、タンクトップをセーターの上に着たりね。アメリカ人の着方とはまるで真逆よ。そういうのを見るのが好きなのよ。ピンクやブルー1色のモノトーンコーデで友達とお揃いのルックをしているのなんかも素敵よね。

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Vannaのインスタグラムをチェックしていただければ分かるが、彼女はオシャレだ。疑いの余地がない程オシャレだ。そんな彼女のバックボーンを伺い、知る事が出来た貴重な機会だった。最後に日本のファンや読者にメッセージをもらおう。
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東京にファンの皆さんがいて下さることが夢の様です。それは子供の頃に日本に初めて行ってからずっと夢見ていた事だから。なので、本当に皆さんに感謝しています。もうすぐBonjour Records限定のラインがリリースされるはずだからそれを是非チェックして下さいね! クリスマスに間に合うか、スプリングラインになるかはまだ分からないのだけれど...でもコロナ禍で大分お待たせしちゃったので、楽しみにしていて下さい! また、日本に戻って皆さんと会えるのを楽しみにしています! ありがとうございました!


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