印象的な海岸線は、三陸に

To Me, Somewhere in the World #20

印象的な海岸線は、三陸に

Contributed by Yoko

Trip / 2022.03.30

「世界一周がしたくて、思い切って会社をやめた」
未知なモノすべて知らないことを知りたい、欲望に忠実に生きるフリーランスのWebライター・編集者Yokoさん。日本国内の旅の話をリアルタイムで、時に振り返りながらつづる旅連載。


#20

ようやく目指せた目的地。
三陸海岸をひたすら南下して、目的地である大船渡に立ち寄り、仙台まで。

海岸沿いを進む電車が好きで、各地で乗ってきたけれど、ここでの景色はちょっと違った。
いろんな意味で、あの日のことを忘れられない場所だった。

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あの日とは全く別の、直近に起きた地震の影響で、東北新幹線が一部ストップしていた日。盛岡行きの夜行バスは超満員だった。4列シートにも関わらず、満席かつ増便になるほど。普段乗り慣れていないだろうおじさまおばさま、家族たちも同じバスに乗車して、一路、盛岡へ。

普代駅まで。



国民宿舎くろさき荘まで。



朝、盛岡駅につき、少し休憩してから宮古経由で普代に向かう。気づいたら誰もいない電車に一人。地方あるある。そして普代駅からは乗り合いバスというかバンに乗って、海沿いのホテルまで。料金は無料。住民の足だ。

部屋からの眺め。



ホテルに着いたら、ひたすら海を眺める。景色はもちろん、ほとんど露天風呂状態の内風呂もとても気持ちがよく、お手軽にサイハテの地を堪能する。

帰りは宿の方に駅まで送っていただく。道中、いつもするというエピソードトークで笑わせてもらいながらも、この村の震災の影響や、津波到達地点の案内、地元を離れていたけれど震災後に帰ってきたというご自身の生い立ちまで話してもらい、それが一番印象的だったりした。

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BRT。



三陸には縁がないようで縁がある。親友のルーツがある場所。だからずっと行ってみたかったはずなのに、機会を逃し続けて10年以上経ってしまった。大地震の瞬間は日本にいたのだけれど、次の日から出国して長期間日本を離れていたこともあり、テレビ越しではない現実がある場所に行き、現実を受け止める勇気が出なかった。勇気なんて、必要なかったのかもしれないけれど。

ともかく岩手を一気に南下。途中、宮古や釜石あたりで乗降があったけれど、ずっと乗っていたお客さんはたぶん他にいなかった。盛駅からは、電車がBRT(バス)に変わる。3駅くらい走ってから、「以前は線路だったところを走っているのか」と気づく。途中で普通の道を走ることもあったけれど、電車だと違和感がないはずの「BRT専用道」のような道を走る経験は、不思議さと必然性が混在して、少しだけ複雑な気持ちになった。

山が見える。



聖地(かもめの玉子)。



目的地は雨。一番行きたかった大船渡。おすすめされていた店でランチをして、目的の店に行き、街を見た。行ってみたら、やっぱりいい場所だった。海も山もあって、ちゃんと、街だった。この場所も好きになった。

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気仙沼プラザホテルの屋上から。



雨がひどくなってきたので街歩きを切り上げ、気仙沼まで南下して1泊。この街も新しい建物が多く、きれいだ。港町の朝景色もよかった。

奇跡の一本松。



東日本大震災津波伝承館。



続いては、少し北上して奇跡の一本松へ。思ったよりずっとずっと高くてびっくりした。そして葉っぱもついていた。ここでは伝承館の展示をじっくり見る。日本語で初めてちゃんと知る当時の影響、今回行ってきた場所、今いる場所、これから行く場所、各地の光景を何とか受け止めたけれど、言葉がなかった。

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南三陸ホテル観洋。



再び南下し、南三陸さんさん商店街でお昼を食べたら、もう少しだけ南下して次のホテルへ。BRTの小さな駅までホテルの人がバンで迎えに来てくれた。歩いて行っても良いかなと思っていたけれど、ホテルまでの道中、想像以上の坂の傾斜のきつさだったので迎えを頼んだことを安堵する。

ここに着いた日は晴れていて、ヌケのいいロビーから見る海の景色は絶景。眺めの良いお風呂も気持ちよかった。海と共にあるホテル。でも耐震をきちんとしていたからこそ、当時も建物に関する被害はほとんどなかったらしい。

小一時間の語り部バス。初参加以外の方も、ちらほらと。



屋上で多くの方を守ったという会館。



チェックアウトの朝、1時間ほどの語り部バスに参加する。当時このホテルにいらした方のガイドで、当時の小学校や中学校の跡地や、避難した人が助かったというビルへ。当時の現実の話を聞く。どんな映像よりも、展示よりも、当時そこにいらした方の言葉は本当に何というか、身に染みた。聞いたことがありそうなエピソードもあったけれど、実感をもって発される言葉の重みも意味も全然違った。ホテルを出る前、最後に見た海の深い青色が、語り部バスに乗る前とは違って見えたくらいに。

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南三陸ホテル観洋、屋上から。



南下しても南下しても、ずっと同じような海岸線。堤防。四角い建物。頑丈な建物が醸し出す、少し冷たくて意思をもった海沿い。そんな印象を受ける海岸線は初めてで、驚きつつ、でもここに現実がある証なのだなと思った。海と共に生きていくことは覚悟を伴う。幾度となく災害が起きるたびに、経験と知識を得て、次に活かし、備える。そしてまた生きていく。

初めて訪れて現実を見て、語りを聞いて、当時を振り返って。わかったことは、そこにある意思と人間の強さだった。本当に遅すぎるくらいだけれど、ようやくここに来られてよかった。


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