考えることに意味なんてない

To Me, Somewhere in the World #28

考えることに意味なんてない

Contributed by Yoko

Trip / 2022.05.25

「世界一周がしたくて、思い切って会社をやめた」
未知なモノすべて知らないことを知りたい、欲望に忠実に生きるフリーランスのWebライター・編集者Yokoさん。日本国内の旅の話をリアルタイムで、時に振り返りながらつづる旅連載。


#28

年々「猫っぽい(性格だ)ね」と形容されることが増えた気がする。
自由や本能、正直というカテゴリーに属する行動が多いからだろうか。どれも嫌いな言葉ではない。

ミャンマー・ポッパ山、頂上までの道中。



興味を失って大学に行かなくなっていた時は、周りから「行け」と言われるほどに行きたくなくなった。でも親に「生きているだけでいい」と大学のことを言われなくなったら、また行こうと思えた。
人気のスポーツ、場所、食べ物は、多数の人が「好き」と言えば言うほど、興味の心を開けなくなる。興味があっても好きになれない、なりたくないと思ってしまう。でも数年後にやっぱり気になって確かめて、ハマってしまうこともある。

本当に天邪鬼な人間だと思う。まっすぐ進める時と進めない時の差が激しい。

*

ミャンマー・バガン。



「何で?」を考える局面も多かった。
生きる意味、勉強する意味、働く意味、正義の意味、人に向き合う意味。その他。

今は旅をする意味を、少々見失っている。

知らないものを見たいし、人生かけても行き尽くせないであろうくらい行きたい場所もいっぱいある。それなのに、航空券の検索をして値段と時間を見るたびに「何で行かなきゃいけないんだっけ……」という気持ちになっている。ピーチやジェットスター、スカイスキャナーの画面とにらめっこしながらも。

*

ミャンマー・バガン、Shwezigon Pagoda。



Shwezigon Pagodaでガイドの女の子が撮ってくれた。



場所を問わない働き方をしているので、健康で時間があってお金があればいつでも今でも海外に行けるし、行きたいなら行かない理由はない。ただコロナ禍で生まれた各国のちょっとしたハードルが理由で(陰性証明が求められるなど)行くのが億劫になっているのと、「旅をする意味」を見失っていることが足を引っ張っている。移動するのが面倒と思う瞬間も。

さらには、人に「もう行けるのに、何で行かないの?」と言われることが増えてきて、増えてきたからこそ逆に行きたくないモードに突入しかけている。
全くもって、よくはない。

*

ミャンマー・バガン、気球と朝日。



それでも、現状行きやすいアジアの各都市の航空券を久しぶりに検索していたら、印象深かったミャンマー・バガンを思い出した。2019年にヤンゴン・マンダレー・バガンとバスなどを使いながら周遊し、各都市でそれぞれ素敵なガイドさんにガイドをしてもらった旅。中でも気球が迎えてくれる日の出、いつか行きたいトルコのカッパドキアを思いながら見た朝の景色はとても美しかった。

ミャンマー・ポッパ山。



ミャンマー・Popa Mountain Resortでポッパ山を見ながらランチ。



バガンから車を走らせて向かったポッパ山も印象的。頂上まで登って見た景色も、近くのマウンテンリゾートから見たポッパ山自体も。ガイドをしてくれた可愛らしい女の子との道中も。小さな空港の待合室で、予定時間よりも早く飛ぶことがあるという飛行機をドキドキしながら待っていた時間も(ちゃんと乗れた)。

こうして旅を振り返れば、印象的だったこと、楽しかったこと、行けなかったところ、次は行きたいと思っていたところを思い出して、また旅に出たいと思うのだが……。

*

ミャンマー・ポッパ山頂上。



日本には停滞や空白が許される風潮が少ない気がするけれど、何もしない時期だって必要だ。考えて進まない時間もあっていい。
でも一方で、考えることに意味なんてない、と言い切る時も必要だ。考えずに動作をする時が。食べたいから食べる。寝たいから寝る。行きたいから行く。それだけでいい。

耳に『クロノスタシス』を永遠リピートしながら、決済画面に進めずにいた1週間。進めずにいると進まなくなるけれど、行くと決めたら必ず行ける。今までもそうだった。

行きたい、と決めた場所に行きたい。


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