New York Cityと対峙する

No Sleep Ever #1

New York Cityと対峙する

Contributed by Chika Hasebe

Trip / 2022.07.15

「NYは毎日どこかで何かしら起きている、本当に忙しい街」
目標に向かって、自ら道を開拓し続ける会社員・Chika Hasebeさんが、眠れない街NYへ旅に出た。誰よりも好奇心に従順な彼女だからこそ感じる、NYでの新しい発見と、心揺らすできごと。


#1

結論から言おう。

わたしは、NYの抱える現実を常に背後に感じながら生きていくことはできないだろう。

それが最初の一週間の滞在で強く感じたことだ。だが、街自体に惹かれてしまうのは事実。二週目からは、それを現実と錯覚してしまうような街の表の顔を見続けてしまった。そのせいで、強い意志を持って夢から目を覚まし、この先戻ってこないという選択ができるかどうかは、今かなり揺らいでいる。

夕方のBowery地区の交差点。クラクションのオーケストラと接近しすぎた車たち。


どうしてそう感じたのか。
その大きな理由は、滞在していた場所が関係している、と思っている。

一週目は、Crown Heightsの中の方にいた。部屋を貸してくださったホストも最終日に言っていたが、ちょっと不思議な地区だ。地下鉄も何本か通っていて、二つの駅の真ん中に位置するなど、交通の便はまずまずではある。ただ、地図上で見るとなかなかBrooklynの奥の方までいく必要があり、Manhattanからの直線距離は遠め。いくら地下鉄が通っていると言えど、city(Manhattanを指す)まで出るには一時間は必要だった。そんなことも関係しているからか、ことごとく日本人が想像するような白人がいない。黒人、ユダヤ教の人々、ヒスパニックなど人種の偏りが強かった。

実は滞在五日目にして、そんな明白な事実に初めて気づいた。それはcityで友達と合流するタイミングがあり、一人で地下鉄に乗車した時のこと。というのもそう、同じ車両に黒人しかいなかったのだ。その後何人か乗り降りがあったが、BrooklynのManhattan寄りの駅に着くまでしばらく黒人以外乗ってこなかった。

滞在中数えきれないほど横を通り過ぎた公園or広場。ブランコの位置が誰用?ってぐらい高い。


そんな経験から、改めて街を俯瞰して見てみると、やはり自分の滞在していた地区にも人種の偏りがあることに気づいた。とっさに思い出したのは、かつてアメリカで行っていた人種隔離政策。白人と黒人は同じスクールバスに居合わせることができないなど、今では考えられないような内容だ。
※その場で全く名前が思い出せず恥ずかしかったので調べてみると、Jim Crow lawsであることがわかる。調べてみたものの全く聞き覚えがない。それもまた恥ずかしい限り。。

さすがにそんなものが現代にも残っているわけではないと思うが、少なくとも所得の格差による居住できる地域の制限というのは大いにあるだろう。同じことはハーレムでも感じた。

Brooklynは高い建物が少ない、道も広くて空も開けているね。


そんな現実を横目にcityに向かえば、そこにはもっと人種のバラエティがあり、全ての人がみんな平等に自由を主張できるような雰囲気が漂っている。それが嘘とまでは言わない。確かに、本当に色んな人がいて、みんなが他所から来ているからこそ人を他所者扱いしない。そういう意味では、他所者にとって優しい街かもしれない。ただ、決して全ての人に機会が与えられているのではない。Crown Heightsではそれを感じた。光と影を日々行ったり来たりしながら生活するのは、知らず知らずのうちに自分の中で矛盾が広がっていくような気がしてままならなかった。



Brooklynに入ればもう地下鉄も地下にはいないようだ。


一方で二週目は、NOHOとBrooklynの間の地区に滞在していた。ここはもちろんManhattanの中であり、NYの表の顔。そこで目にしたのは、いわゆる「NYC」と言われて思い浮かべる景色と、周りよりも自分にベクトルが向いているmiding my own business的風潮。自分の力でどうにかなるはずという野心的な熱気で溢れている、気がした。

正直誰が生粋のニューヨーカーで、誰が他所者か見分けがつかないほど雑多で、街の特徴を一言では言い尽くせない、人同士と文化同士が交差した空間だった。実際に住んでみたら、もっと傾向や特徴は掴めるのかもしれない。ただ、Crown Heightsの時とは違い、少なくとも一週間の滞在で整理できるほどの情報量ではなく、visitorであるわたしは振り回されるしかなかった。

タイムズスクエアでは世界同時公開のTOP GUNが高らかにbillboardへ。母が好きなのでパシャリ。


また、滞在場所を変えてからは、地下鉄や道端で怖い思いをすることもなくなった。単純に耐性がついただけというのももちろんあると思う。ただ、一週目はBroklyn方面に戻る時、突然奇声をあげる人やcurse wordsをぶちまけながら世の中の不満を叫ぶ人、目的もなく彷徨うように歩く人など見かけることが度々あり、ホームレスの地下鉄乗車率も高かった。時々声をかけられると、どう接していいかわからなかった。

ホームレスを見かけること自体はManhattanでもBrooklynでも同じくらい多い。




Manhattanに来てからデコトラを見る機会がちらほら。誰がやって、これは許されているのか、飽きないのか、はてなが尽きなかった。


それが、滞在場所に最も近い地下鉄では全く見かけなくなる。夜遅くに友達と飲みに出ても、同じように飲みに出ているような人しかいなかった。もちろんどこもそうであるわけではない。人気の少ない路地や夜遅くの外出はどの場所でも危険だ。NYに限らず、東京でも同じ。でも同じぐらいの時間帯に、いずれも大通り沿いを歩いていて、一週目と二週目では全く感じることが異なったのは確かだった。



道端でパーティでもやったのかというほど汚い。ゴミ箱が見つかるまで捨てないという選択肢はないのか。。


そんな具合でNYにきて最初の一週間でスッと高まった警戒感が、Manhattanに拠点を移してからは急降下。

そして今、もう日本に帰国して一か月が経つ。あの時の課題意識も薄れる一方だ。ただあの時感じたNYの闇はなんとなくずっと心にわだかまりとして残っている。それが今後の自分の選択にどれくらい影響を与えるのかはわからないが、少なくとも行ってみないと感じないことだったことは違いない。

SOHOは石畳ということもあり、地区全体が白かった。


地下鉄、タクシー、シェアバイクは三大交通手段。citi bikeの青色とイエローキャブの黄色が映える。




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