面白がることに慣れすぎた

Life is a journey #15

面白がることに慣れすぎた

Contributed by Daijiro Inaba

Trip / 2022.08.20

メガバンク、人材系コンサルファーム、教育系ベンチャー、スポーツチームで人事・財務・営業をメインに経験してきた葉山在住のDaijiro36歳の「生きる」を考える旅。どこまでもオープンに、幸せなこともしんどいこともモヤモヤすることも恥ずかしいことも晒しながら、旅を綴ります。

#15


愛犬つきみ。まったりモード。



Daijiro家のハウスワイン Pic noir。最近ワインに夢中。

お盆は一関で過ごした。
一関への思いは別で綴るけど、ほんと、いいところだなぁ何回来ても。



愛犬つきみ、一関に到着。

じっくりと自然に身を任せて過ごすことができた。
今回は、大自然の中で人生を反芻しながら見えてきたことを綴りたい。


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1.正しさという凶器
2.面白がることに慣れすぎた
3.面白くする
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1.正しさという凶器

唯一の正しさなんてものは世の中にないと思っている。
自分自身が正しいと思うことは、少なからずあるけれど、自分自身の正しさを主張するのは怖い。
正しいと信じていたことが正しくないと否定されると、悲しい気持ちになる。
正しいと信じていたことが大切な人に受け入れられないと、孤独な気持ちになる。
そんなことを考えると、自分にとっての正しさを主張するのはとても怖い。
孤独になってたまるかと、無理やりに正しさを振りかざすと、時にその正しさは凶器になって人を傷つけることもある。



超巨大な夕顔。


正しさが存在しない世界が自由なのか。
どんな正しさも許容できる世の中が自由なのか。
いずれにしろ、この人生では正しさと付き合っていくことになりそうだ。


2.面白がることに慣れすぎた

今までぶつかってきたいろんな正しさのことを思い出す。
校則とか、そうゆう類は嫌いだった。よくわからない理由で行動を制限されることは今でも嫌いだ。



一関の広大な視界。


とはいえ、周りで正しくないことが広がっていても、自分が正しいと思うことをぶつけることは全然してこなかった。例えば学生時代、学ランのホックを締めるのはカッコ悪いと思っていた。周囲のかっこいい人たちはみんなホックをあけて、ボタンも2個開けて少しだらしないくらいにして着崩していた。でも、その着方は正しくないと学校の先生に怒られ続けた。
僕は学内ではホックを締めて、学校を出てからホックとボタンをあけることをしていた。
ある日の昼休みに、ふと、
「みんなホックもボタンも開けているから、学ランは意外とホックを締めて着るほうが個性的でカッコよくないか?」
仲間がそんな話をしだしてから、校内でも校外でもホックを締める生活が始まった。
それまでつまらないと思っていた「ホックは締めるもの」という大嫌いな「正しさ」を面白がることを覚えた。



近所のカフェで昼ビール@葉山


大人になってからも、正しさとは闘った。
社会人になったばかりの新入社員時代の話。
『銀行員が茶色のスーツを着ているんじゃない』と先輩にすごく怒られた。
大切な人からお祝いで頂いたスーツだから、馬鹿にされて、強い憤りを覚えた。

「銀行員は、黒かネイビーのスーツと、しっかりアイロンがかけられた白シャツって決まってるんだ!」

自分にとっては正しいとは思えない話だったけど、ここで何か言い返すと社会から追放されたり、家族や仲間から孤立する気がして何も言い返せなかった。



3年ぶりの花火@森戸海岸


そんな僕だけど、20代後半から30歳中盤までは白シャツしか着なかった。
「白シャツが一番かっこいい」「白シャツに拘るのが面白い」と思っていた。
周囲にも楽しそうに、「銀行員魂ですよ!白シャツ拘ってるんですよー!」みたいな調子のいいことを言っていた。
ちなみにスーツもネイビーのみだった。
すっかり、「正しさ」を面白がることに慣れすぎていた。


3.面白くする

色々な正しさと闘ってきて、それを面白がることができるようになったのは生きていく上ではとても有意義だった。
他人の正しさを許容することができなかったら、卒業も就職も結婚も何もできなかった気がする。
みんな、たった一度きりの人生を生きている。その人の人生における正しさをどうにか理解しようとして、それを自分の中で興味のあることに変換する(=面白がる)ことが少なからずできるようになった気がしている。



逗子海岸は人もお店も多い!


そんなある日、尊敬する経営者から、
「Daijiro、人の人生は生きられないんだぞ」

グサッときた。

僕自身は人生を面白がれている、って思っていたのに、何でグサッときたんだろうか。

もしかしたら、社会にとっての正しさを面白がることは、人の正しさに乗っかって、他人の人生を生きる術なのかもしれない。本当は、自分自身の正しさを追求する行為を怠っていたんじゃないだろうか。



やなせたかし氏が奇跡の一本松(陸前高田)をモデルに描いたとされる「ヒョロ松君」。


「社会にとっての正しさ」を追いかけることって、孤独を回避したり、生きていくための収入を得ることなんじゃないか。そう思うと、きっと必要なことだった。それ以上に実現したい自分自身にとっての正しさが「心から面白いと思えること」なんじゃないか。



大二郎酒場のゲスト講師として中村容さんにおこしいただいた@SHIBUYA QWS



葉山の夕陽とつきみ。


葉山に引っ越すと決めたあの日から、自分の人生を面白くすることに挑む覚悟はできていた。
あの頃、毎日着ていた白シャツも、今は1着のみ。
身軽になった僕の面白いことを作る世界への挑戦は、始まっている。

Life is a journey!


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