Welcome to Eureka

Couch Surfing Club #34
西海岸ロードトリップ編

Welcome to Eureka

Contributed by Yui Horiuchi

Trip / 2023.03.23

海外へ何度行ったって、旅慣れなんてない。旅で出会う全ての人にフランクに接し、トラブルだって味方につける。着飾らず等身大で、自分のペースで旅を楽しむアーティストYui Horiuchiさんが、サンフランシスコからポートランドまでの旅の記録。

#34

今日は珍しい場所に行ってみることに。

Eurekaに以前は銀行だった建物を改装して街の資料館にしているClarke Historical Museumがあるという。
観光案内所の役割も果たしているらしい。

Eurekaには旧市街の面影を残した素敵な佇まいの街並みに似合うビクトリア調の建築物、超高層以前にビルすらない街中では珍しい三階建ての建物なんかも時折お見かけする機会があった。




チェーン店や雑踏が似合わないこぢんまりとして落ち着いた雰囲気、どこか自分のホームタウンと似たところがあるような。
個人経営のお店やレストランが路面店には入っていて、賑わい過ぎず距離感がちょうどいい、わたしがこの地域を気に入っていた理由の一つ。







昔ながらの手書き看板や何度もペンキを塗り替え大事に使われてきたような、アメリカ開拓時代後の西部のゴールドラッシュで賑わった様子を今も少し垣間見ているようだった。

白人の入植と同時に定住していた住処を奪われてしまった先住民の人たちがいたことも忘れてはいけない。
資料館ではそういった事実も含めて紹介しているようだ。





外観の写真を撮り忘れてしまったけど、Clarke Historical Museumはルネサンス、ネオクラシカル調の建物。
いわゆる白を基調として神殿風のコラム(柱)がエントランス部分にあり、吹き抜けで二階建てのスペースを贅沢に使った内部にはシャンデリア、前面には天井までガラス張りにして自然光を取り入れた贅沢な作り、当時銀行だった格調の高さを伺わせている。
気になった方は是非画像検索をしてみてほしい。

当時、労働力の確保として大勢の中国人も船で太平洋を渡り西海岸一帯に移住していた頃。
近隣はチャイナタウンとして栄えていた背景もあるようだ。





美術館の創立者はセシリア・クラークさん。
地元のEureka highという高校で地域の歴史について教鞭を取っていた女性だ。
強制排除されてしまった先住民の文化や生活様式、言語の保存活動に尽力していた方で、当初はカゴ細工を中心とした個人的な収集品を学校の一室に展示をしていたのがきっかけだったようだ。
そのうち収集品の数が増えていき展示スペースが足りなくなったことを機に彼女の家族が所有していた羊牧場を売却し得た資金を元手に旧Eureka Bank を購入。
彼女のコレクションを展示しているうちに地域住民からの寄贈などにより展示品も増えていき、現在は市の運営へと舵を切り替え、ドネーションベースで歴史的に貴重な資料を見ることができるスペースとして発展させている。

アメリカがまだ新大陸として発見される前、何百という先住民がそれぞれの文化や言語を用い生活をしていた頃の様子が丁寧に紹介されていた。





フンボルト湾の岬に位置するEurekaには元々Wiyot族、Blue Lake部落、Bear River部落の人々が何千年もの間伝統的な暮らしを育んでいた場所。
Eurekaの土地は、Wiyot族の言葉で「Jaroujiji - ジャロウジジ」(座って休むところ)と呼ばれ、フンボルト湾が塩水湾になったというエピソードから岬一帯の地域は「Wigi - ウィジ」と呼ばれるようになったそうだ。

Wiyot族は、この北カルフォルニアで初めて白人と対峙することになった部族らしく、州や連邦政府による公認の強制的な土地からの追い出し、大量虐殺や文化的慣習を破壊する行為に晒されたにもかかわらず、土地に残り生き延びてきた数少ないWiyot族の人々の手で現在まで彼らの伝統、文化、景観を守り続け、積極的な活動の結果、2018年12月にEureka市議会は、土地の一部をWiyot族に返還することを決定。
160年の時を経て、Tuluwat島の一部返還が現実のものとなったと紹介されていた。



活動の一環で行われているイベントTシャツなども展示されていた。


そもそも勉強も歴史も全く興味がなかったわたしだけに自分でも驚きだけど、こういう市井に生きている、生活しているリアリティのある人々の物語にフォーカスしている大事な情報に触れられるのは貴重な経験。
12歳から一般教養で英語を勉強し初めて(上達はまた別の話)尚理解ができるようになってからは当たり前だけど日本語に変換されてこなかった知らない情報がたくさんあるという事実を目の当たりにする機会が増えて、知らないことを知れる興味からさらに語学や歴史的な側面への追求や関心が高まって、相乗効果的にまだまだ英語の勉強も頑張ろうと思えたり、いま自分の吸収力や能力にまだ余地があるっていうことに気付けて嬉しかった。

話が逸れたけど、確かに街の一個人が始めた資料館にしてはなかなかのコレクションのボリューム。
世界大戦中に奪取されたと見られる日本軍の刀や鉄砲なども一部展示されていたが、個人的にはどういう経緯でこの日本刀がここにやってきたのかと想いをめぐらせて少し怖くもなったりした。

捕虜になるくらいなら自決を選んでいたのが当時の日本軍の実情。
実際に使われた刀なのかもしれないと頭をよぎって少し背筋が寒くなった。

番外編で19世紀に女性が武器として使っていたという押収品一覧が掲示されていて、ホウキの柄やハットピンなど女性らしいアイテムがこちらには並んでいる。




近代史として注目したのは北カルフォルニアを縦断していた鉄道の歴史。
今こそ飛行機や自家用車でどこでも行けてしまう時代になったけど、1918年に蒸気機関車ができてから物流や人々の生活はさらに豊かになったようだ。





当時の路線図。


サンフランシスコベイエリアから北カルフォルニアのトリニダッドまで開通していたようだ。
ところどころトンネルや線路が分かれている箇所などが伺える。




開通当時は満席の旅客を乗せて運行していた様子。
1940年代頃からは北カルフォルニアの名産レッドウッドを材木として運搬するようになりしばらく存続はしていたみたいだが、自家用車が流通してきたと同時に残念ながら蒸気時代も衰退していってしまったようだ。

大勢の労働力を注ぎ込み山を開墾して敷かれたレールも自然災害などにより何度も何度も被害に見舞われ、修復が行き届かなかったというのも理由の一つとして挙げられていた。

今もまだ稼働していたらかなり実用性も高くクールなことだとは思ったが、命には変えられない。
ちなみにAmtrakというアメリカ最大の鉄道会社は海岸沿いではなくもう少し内陸部の山を越えたところを現在も走行中だ。
こちらはこちらで犯罪性もあり、危険性の高いニュースを聞くこともある。
さらに要注意なのがGreyhoundという日本で言う高速バス会社。
東では利用客も多く本数も多いのでわたしも学生時代に一人で利用したことはあるものの、西では絶対に乗るなと友人や現地の知人からから釘を刺されるほど。
やはり今となっては、お金で買える安心は買っておけっていうことなんだろうな。




時代の流れや価値観の違いの中で生きてきた人々の歴史に触れられた資料館の訪問となった。



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