Kazuhiro Narumi

Interview File #03

Kazuhiro Narumi

Contributed by Haruki Takakura

Trip / 2023.04.07

留学支援、就職支援があるなら、ギャップイヤー支援があってもいいじゃないか。
そんな想いから、様々な*ギャップイヤーの形を伝えるインタビューファイル。

Interview File #03 Kazuhiro Narumi



Self Introduction



高校・大学を通じて二度のギャップイヤーを選択。大学でのギャップイヤー期間には、この先暮らしたい場所を探すべく日本一周の自転車旅に出る。現在は、その旅で見つけた場所「北海道・富良野」にて一棟貸しのコテージ “暮らす宿ソラプチ” を運営中。


「なるは日本よりも海外の生活の方が合うと思う。一回行ってきたら?」




ー なるさんの初めてのギャップイヤーは高校生の時なんですよね。

なるさん : そうだね。高校の休学期間には、バックパック一つ背負ってニュージーランドに行って、冬には日本の雪山で居候させてもらいながらスノーボードをしていたんだ。でも実は、旅立つ前日まではいわゆる引きこもり、不登校の学生だったけどね(笑)

高校一年生の時に、部活の体操競技がスランプのせいでできなくなってね。それがきっかけで家に引きこもっている間は、毎日ベッドから天井を見る日々の繰り返し。
そんなときに、向かいに住んでいたおばちゃんが見かねて、お茶でも飲もうと誘ってくれて。当時の僕からすれば、隣のおうちに行くことですら勇気のいる冒険のような感じ。少し勇気を出して冒険した僕に、おばちゃんはこんな言葉をかけてくれたんだ。

「なるは日本よりも海外の生活の方が合うと思う。一回行ってきたら?」

すごく軽いノリで言ってくれたんだよね(笑)
でも、たしかに「海外ってどんなところなんだろう?」と思った。それで、思い切って7月でも好きなスノーボードができるニュージーランドに飛び立つことにしたんだ。

そして、気づけば飛行機に乗っていた僕。
ニュージーランドについてからは、バックパック一つでスキーや旅に夢中になっていたんだ。

そんな初めての海外生活の中では、すごく自分が日本人であることを意識させられることが多かった。そこではじめて、自分は日本についてほとんど何も知らないことに気付いた。

だから、日本に帰ったらもっと自分の国を知ろう、そのために旅をしよう、と思い始めたのが高校一年生の夏のこと。この経験が人と関わることが苦手な僕の名刺代わりになって、色んな人を惹きつけてくれるようになってくれたね。


ー キーパーソンはまさかの「近所のおばちゃん」だったんですね(笑)

なるさん:そうだね(笑)
でも近所のおばちゃんだけじゃなくて、同級生の女の子も大学を休学して世界一周に行っていたり、またまた近所の友達は、高校で休学をしてアラスカに1年間行ってたりと、自分の人生に色んな選択肢があることに気がつける環境だったことと、周りの大人が理解してくれていたことが大きかったかな。


〜大学での休学期間〜



ニュージーランドで自分の国について知らない自分に気がついて、少しでも日本のことや自分のことを理解するために日本一周の旅をしたいと思っていたんだ。
自分がしたい旅は日本一周をスタンプラリーのように巡るのではなく、人を介して、日本や自分のことをもっと理解するための旅。だから、丸々一年間の休学期間を使って旅に出ようと思った。

そこで悩んだのが移動手段なんだけど、いろんな選択肢があったんだ。車の免許も大型バイクの免許も持っていた。それに、自転車も。特にマウンテンバイクは昔から好きだったからね。もちろん徒歩も選択肢の一つ。

人に会いながら、日本を知るためには何がいいんだろう?

悩んだ結果、最初は徒歩を選んだんだけど、日本一周に2年半かかるのはさすがに長すぎるということで、自転車にしたんだ。それも、マウンテンバイクなんかではなくて、ママチャリ(笑)
イメージしてみると、ママチャリが意外と良いと思った。あまり聞かないし、自分の旅の目的である、「人を介して日本を知る」に一番合っていたんだよね。
全く知らない人でも、まず気になって話しかけてきてくれる。どうすれば人から話しかけてきてくれるかを考えた結果、ママチャリで旅をするのが一番しっくりきたんだ。

ポケモンの旅の始まりに、サトシにはピカチュウしか居なかったのと同じで、なるべく最低限の荷物でスタートした日本一周の旅。



実際の日本一周のルート
大阪→和歌山→三重→奈良→京都→滋賀→福井→石川→富山→長野→新潟→佐渡島→山形→秋田→青森→北海道・函館→北海道・札幌→北海道・富良野→北海道・利尻島→北海道・富良野

富良野まではすごく順調なペースで旅を続けられていたんだけど、ここ富良野では結果的に2ヶ月くらい滞在することになるんだよね。4月に大阪を発って、富良野についたのが8月の頭。その間は割とトントンと進んできて富良野についたんだけど、この富良野での出来事や出会いが面白くて。1ヶ月ほど滞在して、次に進もうと思って何度もさよならしようと思うんだけど、「行く前にあの人にあいさつしておこう。」と思い、その人たちに会いに行くと話が盛り上がって気付けば夕方。最後にいつものカフェに挨拶しにいこうと思えば、そこではまた新しい出会いが待っていて(笑)
「明日暇なら家においでよ」「明日暇ならバイトしない?」とか、次々と自分に色んな人が投げてくれるんだよね。投げられたら受け取るしかないし、受け取りたい。

進もうと思っても結果的に進んでいない。それでも、いろんな人たちにたくさん会えて、目の前の「いいな」と思うものを選んでいく旅。これがまさしく自分のしたかった旅だ!
この時間が続くならこのままでもいいかな、と思えたのが富良野での旅だった。

結局、富良野に自転車を置いたまま、一年間の休学期間が終わったのね。そして、3回生の時も4回生の時も、夏休みで富良野まで自転車を取りに戻るんだけど、結果的には富良野から進むことはなかったんだ(笑)

なんだかんだで、就職活動をほとんどしていなかった僕も、大学4回生の時によく泊まっていた宿のオーナーが教えてくれたローカル雑誌に興味を持ち、就職。
強気にも、「今、北海道にいるので面接してください!」なんて言ってね(笑)

そして今は、台風での水害のボランティアをしていた時に出会った「南富良野」という町で、ラフティングの会社にいるんだ。これも富良野にいなければ、旅をしていなければ、出会うことのなかったご縁だよね。


〜休学での旅を通じて〜



人と関わる上で、「自分らしくいられる方法」を学んだかもしれないね。自分をコントロールする、自分という乗り物を乗りこなすための1つの手段が旅であって。
旅をすることで自分の自信になり、旅をする中で「自分」との向き合い方を学んで、そして人との関わり方を身に付けることができた気がするんだ。

なので、僕にとって自分のやりたいと思う旅に近づけられた休学の経験がなければ、今の僕はいないと思う。それくらい旅の存在が大きかったから、誰に止められても休学を選択できたのだと思う。自分にとって「旅」が必要なものだったから。

あの休学は自分の人生の通過点にしか過ぎない。でも、その通過点を通過していないと今の自分はいないと思うんだ。

休学をしなければ旅ができなかった。
旅がなければ富良野に出会えなかった。
休学をしていなければ、北海道には住んでいなかった。

僕にとって、休学は人生の中ですごく大きな意味合いを持つ期間になったね。


Fin



インタビュワー:川口裕登、髙倉遥輝

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