煙越しに見るトルコの街 Vol.4

Fillin The Gap

煙越しに見るトルコの街 Vol.4

Contributed by Haruki Takakura

Trip / 2023.05.19

学業の終わりと就職の始まり。何者でもない、この「スキマ期間」に経験した旅をHaruki Takakuraさんが綴る連載『Fillin The Gap』。今回からは番外編としてトルコでの旅日記をお届け。いろんな視点から見るトルコの街には面白い発見がたくさん。


煙越しに見るトルコの街 後半

どこかを旅している時、僕はよく朝早く起きて散歩をする。もちろん、それはトルコでも例外ではなかった。



石畳で舗装された道路。通りをずらっと埋める大量の個人商店。抜け道から見えるイスタンブールトラフィック。イズミールという街で出会った荒々しい態度のタクシー運転手。

このタクシー運転手も、相変わらず挨拶がわりのクラクションをプップと鳴らしながら、車線という概念をぶっ飛ばして、目的地へと車を走らせる。ただこのタクシー運転手の場合、車にキズがつきまくっていたのでマスターとは呼べないな、と思った。

「この街のいいところ知ってるか?」
「コーヒーやナルギレですか?」
「違うよ、フッ。。。」

と言って、なにやらイリーガルなスメルを漂わせる。その後すぐさま、暴走と何ら変わらないスピードで車との距離を詰めていく。割り込みは許さない。少しでも前が渋滞しようものなら、足を揺すりながらクラクションを鳴らす。そして、「チッ。」と舌打ちをしてアクセルを思いっきり踏み込む。



彼の運転スタイルや運転中の態度は相当なストレスに満ちていた。それは普段から海外の観光客をやまほど乗せているからかもしれないと思った。トルコのタクシーは海外からの観光客にとって安くて便利な移動手段として使われている。

学生だった僕ですら、日本のそれと比べると約1時間乗っても2000円に達しないタクシーを安いと感じるあたり。皮肉ながら彼らにとってはお金持ちの部類に入るのだろう。彼らが支払うのに苦労する値段を、当たり前のように支払う観光客。そんな観光客を乗せて、早朝から1日中アクセルを踏むタクシー運転手。そのコントラストが生むストレスとはいかほどだろうか。

そして、それは毎日がお客さん頼りの商売であるバザールの人たちにとっても同じかもしれない。お客さんがいなければ売り上げも上がらないし、何かすることを産むこともできない。

何もすることがないというのは、ある人にとっては天国であり、またある人にとっては地獄である。僕は、そんなストレスフルな日々をかき消す役割を担っているのが、煙なんじゃないかと思うのだ。



ある水タバコ屋さんでのこと。日曜日の満席時に来ていたお客さんは、ほとんどが1人か2人組で、その多くは自分のスマホに視線を落としていた。もちろん2人組の中には会話を楽しむ人たちもいる。だが、面白いのは2人で来ているのに何も会話がない人たちだ。1時間半以上が過ぎ、水タバコの味が薄くなっても、その味気ない煙をぽっぽと吹かせながらスマホの画面に視線を落としている。

これはナルギレが会話の隙間を埋める役割を果たしているから、彼らは会話をする必要がないのだと思った。2人で来ていて、1時間半もの時間をスマホ閲覧だけに時間を費やすなんて、まず気まずい。

「沈黙」は心にざわめきを生む。

そのざわめきを、水タバコを吸う「何かすることを生み出す」ことでかき消している。これは先述のタクシー運転手やバザールにおける紙タバコとも共通する話である。

つまるところ、人間は「暇」が怖いんじゃないだろうか。退屈や暇というのは、人間が決して振り払うことのできない「病」なのである。人々はこの「病」の対処療法として煙に気晴らしを求める。

日々の生活で抱えるストレスをかき消すための煙が溢れる街並み。それが、僕が煙越しに見たトルコという街の風景だった。


“幸福な人とは、楽しみ・快楽をすでに得ている人ではなく、楽しみ・快楽を求めることができる人である。”
パンセ『暇と退屈の倫理学』第1章


Fin



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