London Calling! #1
26歳、編集者 会社を離れてロンドンへ
Contributed by Chihiro Fukunaga
Trip / 2024.05.16
そんな漠然とした願いが突如、切符となって目の前に差し出された。ロンドンで新たな生活をスタートさせたフリーランスの編集者・ライターChihiro Fukunagaさんが、生活拠点をつくるまでの様子を全6回でお届け!
#1
31歳の誕生日まであと5年……と、のん気に考えていて、まさか会社を辞めてバタバタとロンドンに発つとは思っていなかった。
私はどちらかというと、日本語にこだわるほうだった。大学では日本文学を専攻して日々、作者がその言葉を選んだ意図を勝手に推察してあれこれ討論していたし、音楽を聴くにしても日本語で歌う人間くさいタイプのソングライターを好んだ。とにかくずっと国語の世界で生きてきて、それで十分だった。
それが一変したきっかけは、24歳のときにアメリカ生まれのファッションメディアの編集部の一員になったことだった。毎日出合う、世界中のかっこいいものや人たちは、言語の壁を簡単に超えて私のハートに訴えかけてきて、日本語を介さない表現に初めてちゃんと打ちのめされた!未熟な頭で20数年間かけて築き上げてきたセオリーが揺るがされると、音楽やアート、建築など他の分野に触れるのも一気に楽しくなった。脳みそに新しいソフトをインストールしたかのように世界が違って見えた。
同時に、自分のコンプレックスを自覚することになる。それは……英語ができない!日本しか知らない!
編集部には英語ができる人が多く、彼らは海外のイベントや日本語以外の言葉を話す人の取材もこなしていた。
もちろん、みんな英語抜きにしても優秀な人たちだったけれど、やはり英語が全くできなければ海外取材のメンバー候補に食い込むこともできない。日本しか知らない/日本語しか使えないというのは、アプローチできる人や情報がかなり限られてしまう。今後この仕事を続けていくなら、それは絶対よろしくない!
そういうわけで、30歳までには一度、海外で生活してみてみたいと考えるようになった。英語圏で、かつ音楽やファッション、アートとかのカルチャーが楽しそうな国……と安易な発想で、狙いをイギリスに定めた。
イギリスにはYMS(Youth Mobility Scheme)という、30歳までの特定の国籍の青年に発行される、留学と就労が可能なビザがあり、これがいわゆる他国のワーキングホリデーのビザにあたる。2023年までは、年間1500人にしかビザが降りない上に、年2回の抽選制ということで、かなり狭き門でその倍率はおおよそ10倍以上と言われていた。(先に言ってしまうと、2024年からは定員が6000人に増え、抽選制ではなく先着制になった。)私はこの話を聞いて、30歳までに毎年応募していたらそのうち当たるだろうと、半年に1回、毎年応募することに決めた。ら、初めて応募した2023年7月に1発で当たってしまった……。
これほど早くその切符が手に入ると思っていなかった私は、戸惑った。仕事には1ミリも不満もない。毎日が刺激的で、もっと勉強して早く一丁前の編集者にならないと、という気持ちだった。でも、直属の上司に早速相談してみたら、留学を経験した自身の経験も踏まえて背中を押してくれた。結局、半年間悩み、2024年の年明けに心を決めて、2月末で退職した。
■いざ出国!妄想BGMは「インディ・ジョーンズ」のテーマ
出発日は4月半ばに定め、航空券をとった。出発までの約1ヶ月間は、とにかく遊びまくった!ずっと行ってみたかった香港とタイに一人で足を運び、プレ海外生活をした。拙い英語で現地の人と楽しくおしゃべりができ、「なんだ、イケんじゃん!」と自信がついた。(この自信は間もなくロンドンに到着して打ち砕かれることになるが……)
以前、仕事でスナップを撮らせてもらった、香港のミュージシャンの男の子に聞いた九龍のBOUNDというお店で買ったTシャツ。お店は音楽のイベントやユニークなカクテルを用意していて、香港のおしゃれさんで賑わっていた!
香港といえば!な景色。街には空が見えないほどに建物がギッチギチに詰め込まれている。青い空や海も好きだけど、私は人の生活や営みの歴史が感じられる、人工的でリアルな景色にもすごく惹かれる。
タイではバンコクを拠点にして、パタヤにも足を伸ばした。バンコクの人からもマイペースな雰囲気を感じたけど、パタヤではさらに時間がゆっくり流れていた。
旅先では必ず現地の本屋に立ち寄る。ここはバンコクのチャトゥチャック市場に向かう途中でたまたま見つけた古本屋さん。タイの古いファッション誌を購入した。
そのほか、職場の人やInstagramで繋がっていた人など、ずっとゆっくり話してみたかった人たちに会った。音楽をやっていた時にお世話になったのに、最悪の別れ方をしてしまった先輩に会って謝罪した。小学校の時に好きだった男の子に、当時好きだったことを伝えた。普段からよく遊んでくれる友達との時間を楽しんだ。……とにかく人間関係でやりたかったことをおおよそ全部やった!多分、一生でいちばん人に会っていた1ヶ月だった。人間、何かしらのタイムリミットがあると、こんなにも行動できるものなのか。いつもこれくらい外交的でありたい。
高校時代からの友達と、立川の国営昭和記念公園で桜を見た。友達の旦那さんが習得したばかりだという草笛を披露してくれ、みんなで練習した。難しかったけど、これができたらスナフキンのようなカッコいい旅人になれそうだ!
私が少し音楽をやっていた10代の時に知り合って、20歳前後のフラストレーションで沸々としていた時期をよく一緒に過ごした友達。このメンバーで会うのは5年ぶりくらいで、みんな少し大人になっていた。湘南界隈の友達に会う時は、海に連れて行ってもらいがち。
そうして4月17日、出発当日。この日、母は1日中私に付き合ってくれた。彼女は明るく大らかで楽観的な人だ。子どもの頃から私の選択を否定したことは(悪いこと以外)一度もなくのびのびと育ててくれ、今回も難色を示した父を説得してくれた。でも、さすがに心配しているようで、「命さえ無事ならそれでいいから」と何度も言った。日中は区役所に行って海外転出届を出したり、イオンで生活雑貨や日用品を買って回ったりした。最後のランチには、横浜・関内から私の地元・金沢文庫に移転してきた有名店「地球の中華そば」で中華そばをすすった。窓から店内に明るい陽が差すのん気な天気。今日、自分が育った日本を離れるなんて信じがたい。
フライトは夜の22時。羽田空港には仕事を終えた兄と学校を終えた妹も見送りにきた。家で会った兄は、めんどくさそうに「行けたらいくわ」とか言っていたが、結局私がチェックインに並んでいる時に、遅れてやってきた。THE HIGH-LOWSのアルバム「バームクーヘン」に収録された1曲「見送り」を思い出す。この曲で歌われたシーンを、実感を持ってイメージできたのは人生で初めてだ。チェックインに思ったより時間がかかり、空港で最後の晩餐を楽しむ予定も叶わず、私はバタバタと出国ゲートに向かった。ゲートを前に、私が言葉を探していると、身体的なコミュニケーションはあまりとらない母が「頑張ってね」とハグをしてくる。わ、やばい泣きそうだ。でも、一粒でも涙をこぼしたら止まらなくなる。ここは家族に泣き顔を絶対に見せたくない男子中学生のような気持ちでグッと堪える。そして隣にいた妹ともハグ。そういう関係性じゃないけど、この時ばかりは悩むでもなく兄ともハグをした。
昨日まで同じリビングで過ごした家族が、すごく遠く見える。泣きそうなのを我慢していたのは私だけだったのかしら?
「見送り」でマーシーは、「何でいつも見送る側は 所在なく立ちつくすんだ」「何でいつも見送る側は 照れ笑いとかしちゃうんだ」と綴ったけど、いやいや、見送られる側も同じですよ。どういう顔をするのが正解なのか、わからない。気まずいので、出国ゲートに並んで家族が見えなくなるまでは、これから始まる旅が楽しみでしょうがない風に見えるようにピョンピョン飛びながら、可愛く手を振った。危ない、泣かずに済んでよかった。
さて、家族の姿が見えなくなり諸々の検査が終わると、急にアドベンチャーな気持ちが湧いてきた。脳内のBGMは、「インディ・ジョーンズ」シリーズのテーマ!免税エリアのラグジュアリーブランドのアウェー感や、税関検査でライターを没収されて喫煙所をスルーせざるを得ない感じ!旅の始まりを実感する。あっという間に楽しくなってしまった私は、心の中でマーシーに頭を下げる。やっぱり、見送る側の方が行き場のない感情を抱えるのかもしれない。ちなみにこの曲が収録された「バームクーヘン」のCDは私の大好きなアルバム。キャリーバッグにしっかり入れてきたぞ。
今回の渡英が決まってから私の中で存在感が一気に大きくなった一曲。久しぶりにフィジカルのCDで手に取ると、アートワークにもエスプリが効きまっくてることを思い出したりして、さらに好きになったりする。お気に入りのアルバムは、何枚か選んでCDプレイヤーとともに持ってきた。
ターキッシュエアラインズのヘッドホン。耳のクッションもとりあえずプニプニさせただけというようなチープな作りだが、そこもまた愛おしい。ロンドンガールはヘッドホンで音楽を聴くのを好むようなので、私もこのヘッドホンを取り入れて、ロンドンガール近づくわよ。
ターキッシュエアラインズの機内食。ロンドンに着くまで3食べたけど、どれも美味しかった。個人的ベストは朝食に出たオムレツとマッシュルーム。ぜひまた利用したい……。
航空会社はトルコのターキッシュエアラインズ。イスタンブールでトランジットすることで、航空券を安くゲットできた。備え付けのヘッドフォンは、赤くて丸みのあるフォルムで、ターキッシュエアラインズのアイコンと思われるマークがついていた。古着でも企業ものが結構好きな私はこういうのにときめく。そして、友達に聞いていた通り、機内食が過去最高!フライトだけでいちいちテンションが上がってしまう私。ロンドナーへの道は始まったばかり。
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Chihiro Fukunaga
1997年生まれ、神奈川県横浜市出身。幼い頃から手描きの雑誌を作り、家庭内で発表する。高校生になると編集者を職業として意識し始め、大学在学中に編集プロダクションに所属。その後、INFASパブリケーションズに入社し、ファッションメディア「WWDJAPAN」の編集部に編集記者として参加する。2024年春に渡英し、フリーランスの編集者・ライターとなる。ルポルタージュやスナップが好き。美しいだけでないリアルや、多様な価値観に迫りたい。