Old Me, New Me, New York #4
“Minor Feelings” ——「とるにたらない感情」なんてない
Contributed by COOKIEHEAD
Trip / 2024.05.14
#4
「マイノリティの感情」と「とるにたらない感情」。
2つの意味を持つと解釈できる、”Minor Feelings”と題された自叙伝的エッセイ集がある(日本語訳未発表)。韓国系アメリカ人女性のキャシー・パク・ホン氏によるこの本は、アメリカで周縁化される人々が持つ複雑でしばしば見過ごされがちな感情や視点を明らかにしていく。
ホン氏に導かれるように読み進めていくと、個人的経験の多様な事例を通して、既存の人種的ナラティブの存在とそのいろんな形態が見えてくる。気づけば堆(うずたか)く積もり、立ちはだかる壁のようになるそれらは、さながら要塞のように自分を守ってくれそうにも見えるけれど、どうやらそこにはまやかしが多過ぎる。
恐る恐る、その壁のようなものを押してみたり叩いてみたり。しかしびくとも動かない。ならば、不都合な隔たりを壊すべく、人々が集まりともに考える環境をつくらなくてはいけない……自分の声と、そして近くにいるけれど異なるさまざまな他者の声、そのどれもしっかり鳴りわたり、隔たりの向こうの他者にも届く環境を。その喫緊の課題が浮き彫りになる。
詩人であるホン氏の文学など文化をめぐる卓識も関心を引きつけ、2021年刊行当時、一気に読んだのを覚えている。
彼女は著書のなかで、”minor feelings”を次のようにつまびらかにする。
“the racialized range of emotions that are negative, dysphoric, and therefore untelegenic, built from the sediments of everyday racial experience and the irritant of having one's perception of reality constantly questioned or dismissed”
「日常の人種的経験と、その現実に対する個人の認識がしきりに疑われたり無視されるいら立ちの堆積物から構築された、否定的で不快、それゆえに万人ウケしない感情の人種化された範囲」(筆者訳)
※”untelegenic”は直訳では「テレビ映えしない」だが、「万人ウケしない」と訳した。
わかりやすいようでわかりにくいかもしれないこれ、私にはとてもよくわかる。そう思うようになった、私が自分の”monor feelings”が露わになるのを実感した経験について、今回は書きたい。
正直なところ、これは自分のなかに眠っている恨み節のような歌いを書き起こす作業になる。だけれども、それをリミックス編集することは私にはできないし、したくもなくて。とはいえ恨み節を聴かせるのは心苦しいのも事実なので、前回触れたたくさんの本の中から、ホン氏の力を少し借りることにした。
その前に一つ……連載でこれまで書いてきた、ニューヨークで初めて就職した会社には4年ほど勤めて、そして辞めた。理由は、簡潔に言うとバーンアウト。仕事もブランドも仲間も好きで、自分でも驚くほど燃えるように働いていたら、私は燃えかすになった。
しばらくの休息期間を経て、ここ数年はフリーランスでファッションビジネス界隈のいろんな仕事をしている。私に合いそうな依頼をつないでくれる仲間や知り合いのおかげでどうにかなっていて、本当にありがたい。
なのだけれども……一度だけ、どうにもならない状況を経験した。それが今回書きたいこと。
その出来事が起きたのは、ニューヨーク拠点の小規模なブランドで営業担当として働いていた頃。マイクロブランドながら、環境負荷を少しでも減らす服づくりや女性のエンパワメントにとり組んでいたところに惹かれ、契約した。
そのブランドは日本でも人気があり、東京を拠点とする日本の代理店が日本市場を管理していた。しかしちょうどその時期、円の下降が始まり……ただでさえコストが上昇しているなか円安が進むと、日本市場のあらゆることがそれまでのようにはいかなくなる。
このブランドでも唯一の「日本の人」だった私は気が気でなく、円安の情報をチームにシェアし続けた。代理店の担当者だけでなく上層部にも連絡し、ニューヨークの営業責任者とともに話し合う機会も設けた。けれど東京は、具体性のない「慎重に対応します」を繰り返す。どんどん下降する円のニュースに不安を抱きながらも、展示会やアポイントメントに追われていた私たちは「慎重に対応します」を信じるほかなかった。
そして買い付け締切日に届いた東京からのデータ……開いてみると、ぎょっとするほど金額は縮小していた。
ニューヨークは大混乱。みんなの口調は怒っている。
「こんなに大幅に下がるなら、事前にある程度は予測できたはずだよね。」
「あの時話した人、事業部長でしょ?」
(うんうん、そうだよね。ごもっともだよ……。)
「日本人には、これが当たり前なの?」
「ほんと、日本人ってなに考えてるかわかんないよね。」
(う゛…… 雲行きが……。私、ここにいるよ。聞こえてるよ……。)
すでに鈍い痛みを感じる。
けれども、私に鋭く突き刺さったのは、実はこの直後の一言。それは皮肉にも、「日本の人」がいるのにこの会話はマズいと、私を慮るように発せられた。
“Oh, but you are Americanized, so……”
「あ、でもあなたはアメリカナイズされてるから、さ……。」
(え……?)文章として完結していない一言だけれども、その前後を考慮しつつ含まれていた意味を推測すると、
「(日本人は何考えているかわからないけれど)
でもあなたはアメリカナイズされているから
(大丈夫だよ)(怒ってないよ)」
といった感じだったのではないかな。少なくとも私にはそう届いた。ちなみにその職場のマジョリティは白人アメリカ人女性で、発言者もその一人だった。彼女のこの一言が、この「日常の人種的経験」が、私にはしんどかった。それはどうしてか。言わせてくれ……。
そもそも、私が「アメリカナイズされているかどうか」を他者が判断しそれを当人に伝えるのは、文脈や関係性にもよるとはいえ考えもの。「アメリカナイズされている」私は日本人と違うかのように言及する(ましてや、だから私は「大丈夫」かのように伝える)のも違うよな。
マジョリティである白人アメリカ人が非白人移民でマイノリティの私は「アメリカナイズされている」と述べることが「配慮」になるとしたら、「アメリカナイズされている」のは単純に好ましいことだと思っているのがうかがえる。移民やマイノリティの文化的同化は、実に複雑なのにな。
くわえて、職場でのとっさの発言に対して、思うことを面と向かってすべてほどよく説明するのは私には知能的にも精神的にも不可能だし、それ以前に、その責任は私にあるのかな。
顔が真っ赤になっているのはわかっていた。血圧が低めだから?私の血流ってすごい、と感心するほど、頭に血が昇っていく。
ただでさえマーケット時期は息つく暇もないほど忙しい。それなのに、セールスの分析をするべき私の頭は、その職場でのそれまでのことをひっきりなしに呼び戻し処理するのに占領されていた。すると、(そうだ、あの時のあれも……)(やっぱりあの一言も……)思い当たることが次々と出てくるではないか。(さっきのアメリカナイズ発言にたどり着くまでの流れだって、そもそもビミョーだったわけで……)そこは、そういう環境だったのだ。
ことあるごとに(え……?)と思っていたとしても、その気持ちを自ら「疑い」、「無視」してきたことにも気づく……そう、「マイノリティの感情」は「とるにたらない感情」だから、と。そうやって「堆積」していた。私は周りとの会話がこわくなり、そして集中するのがむずかしくなった。円安に関係する議題が出ても、私はもうなにも言わなくなった。
なんとかして、やるべきことにひたすら勤しむ。そして、そのあとにやってきたフリーランス契約更新は辞退した。
ブランドのオウナーとCEOは引き留めてくれたけれど、かき集めた20枚くらいのオブラートに包んで、契約を更新しない理由を伝えた。包み隠さず話したくても、業界内の評判やコネクションで仕事を得るフリーランスとしては、「『否定的で不快で万人ウケしない感情』を表に出すアジア系フリーランス女」にならぬよう、薄い膜が最低でも20枚は必要で……。移民の人種マイノリティ+女性+フリーランス。あぁ、インターセクショナリティってこういうことか。
こうやって私が屈するとどめとなったあの一言は、世に言うマイクロアグレッションだったのだろう。悪意や傷つける意図はなかった、差別のつもりではなかったのはわかる。
マイクロアグレッションのダメージは、露骨な差別発言から受けるものとはまた違う(露骨なものだって、もちろん許されないけれど)。「日常の人種的経験」をもたらすマイクロアグレッションには悪気はないのだから、そのダメージは「しきりに疑われたり無視される」としてもしょうがない。自分の「いら立ち」や「否定的で不快で万人ウケしない感情」は、自らの考え過ぎが原因なのかな……そのまま「堆積」していく。すると、そういった「人種化された範囲」の”minor feelings”にもんもんとし、なにを信じたらいいのかわからなくなる。……そういえば、”Minor Feelings”にはこんな一文もあったのを思い出す。
“Mistrust keeps us safe, but also alone.”
「不信は自分を守ってくれるけれど、同時に孤立させることにもなる。」(筆者訳)
もう一つ、残念に思ったことがある。このブランドがフォーカスしていた女性のエンパワメントは、ホワイト・フェミニズムに乗っとられていたのだろう。マジョリティが白人アメリカ人女性の場所では、マイノリティである非白人移民女性へのマイクロアグレッションのダメージは極度に個人的で、エンパワーされるはずの女性たちのなかでさえ「とるにたらない」ものになる。よく聞く話とはいえ、身をもって経験するとその問題の根深さを痛感する。
それと同時に、視点を変えると、自分がマイクロアグレッションをする側におおいになり得ることも思い知った。東京でもニューヨークでも、すでにやらかしてきたのではないかな。思い出される節目がいくつかある。記憶に残っていない場面だって……。
私がとった、契約を更新しない・辞めるという選択が誰しもに可能ではないことも考える。波風を立てず、押し黙って働き続けざるを得ない人たちもきっと多くいる。
マイノリティとしてニューヨークで働いてきた経験を通して、DEI (diversity, equity, inclusion) つまりは「多様性、公平性、包括性」を叫ぶ意味と、それを真に実現することのむずかしさをあらためて知っていく。私は、あの会社にとって「D(多様性)要員」だっただけなのかもしれない。「良い会社チェックリスト」上の「D項目」をチェックするべく招き入れられただけで、E(公平性)とI(包括性)の準備は整っていなかったのかもしれない。
多様な街ニューヨークだって、オープンな空気が漂うファッション業界だって、まだまだ道は長いな。
あぁ、恨み節……書いていて気持ちのいいものではちっともない。受けとる側も同じだろうと思うと、気がとがめる。
できることなら、もっと優等生な文章にしたかった。「あの時こうやって問題を解決し、私は賢くなりました」「そういう局面でこう対応することで、働きやすい職場、ひいては生きやすい社会がつくられるのです」そんな風にできたらよかった。
私は賢くなったという体を無理矢理にでも成すために残せるものがあるとしたら……インターセクショナリティの理解を深めたり、DEIを実現するのは、一人ではできないということかな。それは、冒頭に記した”Minor Feelings”を読みながら抱いたもの——ならば、不都合な隔たりを壊すべく、人々が集まりともに考える環境をつくらなくてはいけない……自分の声と、そして近くにいるけれど異なるさまざまな他者の声、そのどれもしっかり鳴りわたり、壁の向こうの他者にも届く環境を——と響き合う。
同じく冒頭に、「気づけば堆(うずたか)く積もり、立ちはだかる壁のようになるそれら」として書いた「既存の人種的ナラティブの存在とそのいろんな形態」。まさに”minor feelings”は「既存の人種的ナラティブ」によってつくられるけれど、いつの間にやら、”minor feelings”そのものまでもが「そのいろんな形態」の一つとして「既存の人種的ナラティブ」になることも実は含めていた。そこに、「マイノリティの感情」は「とるにたらない感情」だからね、という「まやかし」はこのうえなく抜群に機能する。
いろんなところにある、いろんな”minor feelings”。それらを生まない、そしてもし生まれてしまってもそれらを「とるにたらない感情」としない。そういった、みんなの理解と思いと努めが、共有される形で存在していないといけないんだろうな。道は長い。でも、進むべき道がみんなでわかったら、歩みやすくなっていくのかな。
最後に、”Minor Feelings”からもう一つ引用したい。
“Americans have an expiration date on race the way they do for grief. At some point, they expect you to get over it.”
「アメリカ人には、喪失感などの悲しみと同じように、人種に関することにも満了期限がある。人々はいずれ乗り越えるものだと思っている。」(筆者訳)
※ここでの「アメリカ人」は一般化された広い意味。
たしかにアメリカには、”Everything is going to be alright”や”Time will tell”といった、中身はないとはいえ前向きな気持ちにさせてくれる言い回しがある。しかしながら、誰かが抱く”minor feeings”は、一定期間ですっと消えていくようなものではない(そのほかの悲しみだってそう簡単ではないと私は思うけれど) 。むしろ「堆積」してしまう限りは、「乗り越える」のは実はもっともっと困難になっていく。
現に、久しぶりに再生した私の恨み節は、今もあの時のまま私のなかに保存されている……でもそれでいい。ざらざらとした状態でこれからも記憶されるこの恨み節だって、削除したり書き換えたりするべきではない、「とるにたる感情」の音源なんだから。
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COOKIEHEAD
東京出身、2013年よりニューヨーク在住。ファッション業界で働くかたわら、市井のひととして、「木を見て森を見ず」になりがちなことを考え、文章を綴る。ブルックリンの自宅にて保護猫の隣で本を読む時間が、もっとも幸せ。