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London, Can you wait? #7

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Contributed by Chika Hasebe

Trip / 2024.06.07

ロンドンに来てみた。実際に住んでみたら、自分は何を感じてその先に何を求めるか見てみたかった。ロンドンに拠点を移した会社員・Chika Hasebeさんによる、社会との体当たり日記。現在と過去を交互に綴ります。

#7


今回は最近思ったこと、英語について。

イギリスに住んでいるノンネイティブ日本人です。日々触れてはいるものの、ほぼ毎時間レベルで英語に対して疑問が湧いてきます。新聞に出てきた単語が難しくてわからず、調べたときに「へ〜」となるのはもちろんだけど、どちらかというとよく使う単語・フレーズの別の意味について教えてもらったときの方が、「へ〜」「使えるようになりてぇ」となることが多い。学んだことを書いてみる回の後編。


日本語は揺らぎ、英語は鋭く

日本から持ってきた本に、最果タヒの対談集「ことばの恐竜」がある。彼女の詩はたまに読むので、一時帰国した際に、以前から気になっていた詩集を書店で立ち読みした。「海外にいるときに読んだら、色々普段見過ごしている感情に触れたりして、より感傷的になるかな」と期待していたが、想定以上に言葉が自分の頭をふわふわと通り過ぎていって、意外にも自分の体に沁みてくる感じがしなかった。その詩集は買うのをやめた。他にも何かないかチラチラ見ていたなかで見つけたのが、この対談集だった。



言葉を操ることを生業としている人たちの発する言葉は、どれも無駄がなく、痒い所に手が届くものばかりで、言葉に対する彼らの思慮深さを感じ取ることができた。二階堂ふみとの対談回では、英語と日本語の比較をしていたのが結構印象に残っている。「日本語には選択肢があるから、表現に揺らぎができるが、英語では単語も表現の仕方もシンプルで鋭い」と二人は話していた。それが、改めて自分の英語との付き合い方について考えるきっかけになった。


「郊外で刀による殺傷ホラー」英語だと見出しがちょっとdecorative


「英語脳を作りましょう」と言うように、毎度日本語で考えた文を英語に直してから話していても言語は上達しないらしい。そんなことを言われても、マインドセットは恣意的に変えられるものでもないのだ。だから勉強していたときは、なるべく英語でメモを取ったり、単語も類語辞典で調べて日本語の意味を覚えないようにすることで、日本語に触れる機会を強制的に減らしていた。そうすることで、徐々に日本語→英語というワンクッションを踏まなくなったのだと思う。

最近そのワンクッションが必ずしも悪いものじゃないと考え直し始めた。対談で話されていたように、日本語には特有の「揺らぎ」がある。単語の置き方、ひらがなを使うか漢字を使うかの違い、自分の母語だからということもあるが、言葉の選択肢が多い。



自分も詩を書くようになってから、日本語が持つその自由度に魅力を感じることが増えた。前までは、英語の詩は英語で最初から書いて、日本語の詩は日本語で書くということをしていた。それが最近は、全て日本語で考えてから、手段として適切なら英語で表現してみるようになったので、日本語っぽい表現の英語になったような気がする。自分で感じている程度の違いなので、読む人にはあまり気づかれないかもしれない。でも、わたしはこの書き方が自分のアイデンティティも守っているとすら思う。日本人の自分だからこそできる遊び方。まだまだしっくりきた訳ではないけれど、迷走している訳でもない。



仕事で書くときは違うやり方だ。言語で遊ぶことは特にない。情報を伝えることが最も大事なので、書き味なんて考えないし、求められない。鋭くて英語的だと思う。だから言葉で遊べる瞬間が与えられたときは、色々試してみて自分に合うやり方を見つけたい。

ちなみにこの「日本語と英語の違い」話を、日本語が話せるイギリス人の仕事仲間に共有したら、彼も日本語を知ってから自分の英語が柔らかくなったと話していた。ならば、わたしは英語を話すようになってから、知らぬ間に日本語が尖るようになったのか? わたしは自分の変化が全く分からない……。


彼が持っていたハイチュウ。ところで、自分の言語について客観視できているあんたすごい、と最後にふと思った。




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