
Life is a journey #27
sometimes
Contributed by Daijiro Inaba
Trip / 2024.06.21
#27
今日は人と会う頻度について綴りたい。僕は学生時代に色んなグループに所属していたから、特定の誰かと毎日一緒ってことはほとんどなかった。
大人になって少しずつ確立していった自分自身の価値観についての話。

つきみ子犬時代 富士山がきれい
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1.「親友はいるのか」
2.たまにでいい
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1.「親友はいるのか」
大学時代によく、「親友はいるのか」という問いを受けた。僕自身が色んなグループの仲間と交流していたから、結局メインで属しているのはどこなのか、という問いだった。その問いは、友人が僕自身との友情に懐疑的な思いを抱いている象徴のように思えて、いつもつらかった。

何か不満そう
フットサルもしていたし、スノボサークルにも入っていたし、学部の友人とも仲良くしていたし、新歓で知り合ってなんだかんだ仲良かった友人もいたし、所属していないのに一緒に遊んでくれるバスケサークルやテニスサークルの先輩もいたし、うるさい僕を煙たがらずに優しくしてくれるゼミのメンバーもいた。
フラフラしている自分が好きと思ったことはなくて、ただ仲良くしたい、もっと知りたいと思う魅力的な友人がいっぱいいた。

一ノ関で散歩中のつきみ
そんな環境だったから、特定の誰かと毎日過ごす大学生活なんて面白くないと思っていた。そうならないように、人の懐に飛び込むことや、僕の懐に飛び込んできてくれる人を受け入れる努力を自分なりにしていた。

散歩に行きたくて主張するつきみ
だけど、「親友はいるのか?」と問われるたびに、僕の生き方が否定されているような気がして、つらかった。
好きな友人が複数いることが悪なのか、ずっと同じ人といるのが正義なのか、そうしないと深い友情は芽生えないのか、表向きはニコニコしながらも、毎日悩んでいた。

爆睡つきみ
実際に「親友はいるのか?」と問われて、「No」と思ったことは一度たりともない。
その時に思い浮かべる人は小中高の同級生、部活の仲間、大学の仲間、バイト仲間など時々によって変わったけど、ずっと変わらず親友と思っている人も複数いる。離れてしまった人もいるけど。
でも、当時の僕は、「親友はいるのか?」の問いに、アンサーを返せなかった。
2.たまにでいい
社会人になってからもその悩みは続いた。
いつも誘ってくれる上司や先輩と毎日のように飲みに行くような日々があった。その時はすごくありがたいと思ったし、誘ってくれるおかげでたくさんのことを学ばせてもらったと思う。
心からそう思っているけど、どこか虚しさもあった。その先輩や上司に魅力がないとは思っていないけど、僕自身がその時間の使い方に本当は魅力を感じていなかったのかもしれない。当時は気付かなかったけど。

日向ぼっこするつきみ
今はほんの少し仕事を覚えて、ほんの少し自立して、ほんの少し自信がついてきて、ほんの少しだけ自分自身の言葉で話せるようになってきた。自信がなくて自立もできていないときは自我の確立が難しくてつらかったけど、少しずつ自我が芽生えた。
なんとなく誰かと会う時間は、なくていい。
僕が親友と思う人の中で、実際会う頻度が少ない人もいる。
けど、それでいい。たまにでいい。

相変わらず夕日がきれいだ @葉山
年1回顔が見れたら充分だし、なんなら数年に一度でもいいかもしれない。
でも、もし親友に会いたいと言われたり、助けを求められたら飛んでいく気持ちは忘れていない。
僕はなんとなく誰かと会う時間をつくらないかもしれないけど、全部に目的が必要だとも思っていない。だから目的がなくても会いたいと思える人が僕にとって親友なのかもしれない。

葉山散歩中のつきみ
やっぱり僕は出逢いを楽しむ人生が好きだし、出逢いを楽しんでいる自分でありたいと思っている。そんな僕でいるために、親友たちは欠かせない。
親友たちが今日もどこかで笑っていますように。
Life is a journey!
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Daijiro Inaba
1986年川崎生まれ、東京育ち。葉山在住。趣味はSUP、ウクレレ、サウナ、フットサル、ワイン、BBQ、逆光アート、愛犬と過ごすこと。 オンラインサロン「大二郎酒場」主宰、教育系DAO「DSK」主催。












































































