Old Me, New Me, New York #8
ニューヨークを詰め込んで、サブウェイは今日も走る(走らないかもしれない)
Contributed by COOKIEHEAD
Trip / 2024.07.10
#8
東京のど真ん中で育ったので、公共交通、なかでも電車は、私にとってすごく身近なもの。通学に利用していた小学生の頃から、日々の生活の一部だった。
11年前にニューヨークに引っ越してきてからも、その感覚はほぼ変わらない——東京のようにJRとその他私鉄が絡み合っているわけではないこの街では、サブウェイ(一部を除きすべて地下鉄)を日常的に利用する。
けれどそのエクスペリエンスから得るものは、チャーミングだったりクールなこともあるとはいえ、総じてとんちんかんでしっちゃかめっちゃか。
そのすべてに慣れ切ってしまって久しいけれど、いかにとんちんかんでしっちゃかめっちゃかであるかを日常的利用者として今一度思い出すべく、サブウェイに乗るのがどういう感じかを自分なりに言葉にしてみる。前半はほとんどはグチなので、ちょっとずけずけした感じになってしまうのをお許しいただきたい。
まず駅を見つけたら、ベトついたり、または逆にほこりでがさがさな階段やエスカレーターを降りていく。改札のすぐ近くには、一律料金システムゆえさほど複雑な処理はしないのに、図体はおおきい券売機がでーんと並ぶ——その佇まいを趣があるととるか古臭いととるかは、あなた次第。
手持ちのメトロカード(磁気カード!テレカみたいな!テレカを知らない世代の人もいるかもだけど……!)(最近やっと電子化が進んできた)をスワイプして、ステンレス製のバーをぐっと押して改札を抜ける。利用者を導く意図はあるのかと思うほど親切ではない案内に導かれながら、薄暗い駅構内を進んでいく。
ここまでだけでも、大都会の似たようなシステムのはずなのに、東京の公共交通が持つ清潔さや設計の緻密さ、テクノロジーのかしこさは、ニューヨークにはない。地下鉄だけで比べるとニューヨークの方が古いらしいけれど、それにしても……だ。そして、これはまだそのほんの一部に過ぎない。
汚れやシミに覆われ、じめじめとして、独特の匂いが立ち込めるホーム。ゴミが溢れ、ねずみがしゅっと走る線路。落書きやグラフィティを鑑賞しながら、電車を待つ。ヘッドフォンのノイズキャンセリング機能をテストするのにもってこいな轟音を立ててホームに入ってくる電車が停車したら、またしても汚れやシミに覆わ……(省略)車両に乗り込んでいく。
お尻がツルツル滑るプラスチック製の椅子にどっしりと座る。立っている場合は、足を肩幅くらいに開き、手の届く場所にあるステンレス製のポールにがしっとつかまる。文字通りガタガタと本当に揺れるので、体を固定しないと、大人でもすーーっと流れていってしまいそうだからだ。
路線の電光掲示板が次の駅を知らせる。けれど、東京の車内スクリーンで表示される詳細な案内には程遠いうえに、故障や設定誤りが多くてあまり信用できない。おまけに時々、くぐもった音声の案内が突然流れてくる。じっくり耳をかたむけないと聞き取れないほど不明瞭なのだけど、もし聞き逃してもなんとかなる…… 舌打ちし、子どもの前では言っちゃいけない言葉を口にしながら、「運行ストップするから、次の駅で降りろってさ」とか、「ここから3駅飛ばすらしいよ」などと、近くの誰かがおしえてくれるから。ぶっきらぼうなのに実は親切な、ニューヨークの人々のやさしさが感じられる瞬間。
とはいえ、たとえば数分の遅れでも謝罪が繰り返され遅延証明書が発行される東京では、こんな気まぐれ運行は考えられないよなぁ。けれど、ニューヨークに少しの期間でも住んでサブウェイを利用すれば、順応するようになっていく。順応したくなくても、するしかない。
こんなサービスなのに、私が知る11年の間だけでも片道一律の運賃はどんどん上り続け、今や$3目前。どう考えても割高じゃないかな。映画やドラマ、ミュージックビデオなどで雰囲気ありげに映し出されることもあるサブウェイの現実は、ストレスフルだ。
実は私は軽度の閉所恐怖症で地下鉄そのものが好きではないから、ストレスがさらに育つというのもある。移住前は中目黒に住んでいて渋谷駅の東横線乗り場をよく利用していたのだけど、地上にあった乗り場が副都心線との接続に伴い地下深くに埋められてしまうと知った時は、気持ちも沈んだのを覚えている。南口にあった4つのホームがばーんと並んだ開放的な乗り場、好きだったのだけどな。
今ではすっかりサブウェイユーザーになってしまったので、地下の閉鎖的空間を移動する時間をできるだけ短く感じるよう、ひたすらなにかをする。没頭できる読書はその最たるもので、なんならもっと長く読んでいたい(=長く乗ってても構わない)と思うこともあるほどなので、効果バツグン。
人の観察もなかなか楽しい。ニューヨークのサブウェイは東京のそれより電波やwi-fiの状況がよくないので、誰もがスマホを見ているというわけでもない。
私に限らず読書をする人は多く、なにを読んでいるのかついつい横目で確認してしまう。編み物をしている人も目にする。その指の動きには、ずっと見ていたくなるほど夢中にさせるなにかがある。犬を連れている場合も珍しくなく、それに気づいた人たちをたちまち笑顔にさせる。どこからともなく現れるダンサーやアーティストが突然始めるパフォーマンスも、サブウェイの風物詩。
あちこちから聞こえてくるおしゃべりの言語やアクセントは実に多様で、そして路線によってその広がりが異なるのも興味深い。それぞれの好み、パーソナリティや生活を想像させる、色とりどり(もしくは真っ黒)のファッションも見ていて飽きない。一方で、足元を見れば去年以降アディダスのサンバを圧倒的によく見かけるので、トレンドによる画一化はこの街でも観測できる。
こうやって、まるで車内にぎゅっとニューヨークを詰め込むようにして走るサブウェイは、私を目的の駅まで運ぶ。閉所恐怖症にとっては、地下から脱出できると思うと、ベトつきやほこりが気になる階段やエスカレーターは、今度は外へと導いてくれるありがたいものになる。段を登るごとに四角く地上の世界が広がってくると、ほっとする。
グチの枠を出て、真面目な話もちゃんとすると、サブウェイには実際に深刻な問題が山積みだ。駅や車両のアクセシビリティはあってないようなもので、車椅子やベビーカーの利用者、高齢者や、さまざまな障害者が利用しやすいものとはとても言えない。聞き取りにくい音声案内は、言うまでもなく改善が必要。駅の名前や路線案内も、そのグラフィックデザインはMoMAで展示されるほどよく知られているとはいえ、万人にわかりやすいかは疑わしい。
老朽化や自然災害対策の予算が確保できていないと言われているけれど、上がり続ける運賃は、貧困層ほど公共交通を必要とすると考えると喫緊の課題ではないかな。駅構内や車両内での暴力や盗難などの犯罪も、一昔前ほどではないとはいえ今も頻繁に起きている。
特に2022年1月、タイムズ・スクエア駅で、アジア系アメリカ人女性のミシェル・ゴーさんがホームから線路に突き落とされ、入ってきた車両に轢かれて亡くなった事件には胸を痛めた。パンデミック以降増え続けたアジア系の人々に対するヘイトクライムの可能性を含めて、捜査が進められた。被害者は女性であり、フェミサイドではなかったとは言い切れない。
あの事件を知った時、「ゴーさんではなく、自分だったかもしれない」と感じたのは、きっと私だけではなかっただろう。ニューヨークにいるアジア系女性の多くが、なにが起きているかわからないままゴーさんが経験したであろう恐怖を想像して怯え、そしてそれが避けられなかった事実を無念に思ったのではないかな。それでも、通勤や通学などさまざまな理由で、怯えながらもサブウェイを利用せざるを得ない人たちも多数いたはずだ。
つくづくとんちんかんですっちゃかめっちゃか、そして問題やストレスの多いサブウェイ...... すっかり慣れっこになってしまった。でも慣れたからってそれでよしというわけでもないはずだ。
東京の公共交通とついつい比べては、東京はよかったなぁなんて考えてしまうこともままあるけれど、それはなにももたらさないし、東京は東京で、痴漢や満員電車などの問題を抱えているのも知っている。地方自治政治や運行会社が劇的になにかを変えてくれるような動きもすぐには期待できない......生活において欠かせないものだから、ちょっとだけ魅力的でほとんどは勘弁して!のアンバランスなラブアンドヘイトの関係性が培われていく。
そういえば……何年か前に、思い出箱的なものを整理していたら、ちいさなコインが出てきた——サブウェイのトークンだ。真鍮か銅のような暖かみのある色で、真ん中に穴が空いていて、サイズ的にも日本の5円玉に似たコイン。これは2000年代前半に完全にメトロカードに移り変わるまで利用されていたもので、ニューヨークの人たちはそれまで、このトークンで地下鉄に乗っていたのだ。 に、2000年代まで……!
私の父はニューヨークに本社があるアメリカの会社に勤めていたので、この街にしょっちゅう仕事で来ていた。父を訪ねて初めてのニューヨークに1人でやってきた10代の私は、まとめて買ったトークンが余ってしまい、そのまま思い出箱に入れたんだと思う。それを無意識のうちに、ニューヨークに連れて帰ってきていた。なんだか感慨深くて、チェーンを通してネックレスにした。
ニューヨークがトークンから磁気カードに切り替えていた頃、東京ではすでにスイカなどICカードの運用は始まっていたように思う。そこから20年余り経って、この街はやっと、スマホをピッとスキャンして改札を抜けるシステムを導入したところ。いよいよ長年つかってきたメトロカードも、もうじき完全に過去のものになるのかもしれない。
その時を迎えたら、苦手な地下時間を凌ぐべく読む本を目的地に到着して閉じる際に、そのページの間に挟もうかな。とんちんかんなネックレスは、10代で旅行に来た初めてのニューヨークを、しっちゃかめっちゃかな栞は、10代の頃は思いもしなかった移住をし11年間暮らしてきたニューヨークを、記録していくわけだ。
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COOKIEHEAD
東京出身、2013年よりニューヨーク在住。ファッション業界で働くかたわら、市井のひととして、「木を見て森を見ず」になりがちなことを考え、文章を綴る。ブルックリンの自宅にて保護猫の隣で本を読む時間が、もっとも幸せ。