Old Me, New Me, New York #10
1万キロの距離を超えて、「いってきます」と「ただいま」がループする
Contributed by COOKIEHEAD
Trip / 2024.08.06
#10
ピコピコとした音で始まり、そして響き始めるバイオリンの奏で。全日空便を利用する方々は機内で聞き覚えがあるかもしれない、葉加瀬太郎さんによる『Another Sky』——私にとっては、ニューヨークと東京の距離を思い出させる曲だ。
2013年の初秋、家族に見送られながら東京を離れ、『Another Sky』が流れる飛行機に乗りたどり着いたニューヨーク。ここで暮らし始めて11年も経つと思うとびっくりするとはいえ、きっと、自分の人生の中で最も濃密に変化や経験が詰まっていた時間。この連載は今回が最終回だけれど、数ヶ月にわたって、今までのニューヨークでのいろんなことを改めて振り返ることができるとても貴重な機会だった(ありがとうございました)。
この11年間の思い出は基本的にニューヨークでのものだけど、その内の数パーセントは東京でのものでもある。というのも、移住してから2019年までは毎年一時帰国し、その度に東京で2週間ほど過ごしてきたからだ。たとえ365日の内のたった数パーセントの短い時間であっても、一時帰国は毎度わくわくする。年間の残りの90パーセント以上の時間の折々で、会いたい人や行きたい場所、食べたいもの、買いたい本などのリストをせっせとつくりあげていく。私にとってはそれも全部含めて一時帰国の体験で、年に1度だけ案件を依頼してくるクライアントのために、1年かけて丹念に準備するかのような感覚だ。
しかしながら2020年、パンデミックの影響で帰るのを断念し、毎年一時帰国する習慣は途絶えた。その後も個人的な事情で帰れない年がしばらく続いた。やっと帰ることができたのは2023年の秋で、実に4年ぶり。であれば羽田行きの飛行機に搭乗すると同時に聞こえてきた『Another Sky』も4年ぶりで、でも自然と鼻歌となって、「あぁ、私は帰るんだ」としみじみ実感したのを覚えている。
久しぶりの東京は、噂に聞いていたとはいえ、街の変化が著しかった。地元である渋谷や原宿で迷子になった時は、動揺してしまった。友人から新しくできたおもしろいお店をおしえてもらっても、それがどこかつかめず、目安となる近くの建物の名を聞いてもそれもまた知らない。私が渋谷で最も遊んでいた10代後半や20代前半の頃は今ほどスマホの地図を利用していなかったし、もしたとえ利用していたとしても、必要がないほど遊ぶ場所はだいたいわかっていたのにな。けれど、久しぶりに帰った私はもはや一歩足を踏み出すにもスマホがないと不安になるほど、街は変わっていた。初めて訪れる街にいるみたいだった。
同じく、事前に円安のニュースとともに伝わってきていたとはいえ、外国からの観光客(に見える方々)も以前よりずっと多く感じた。すると、白人のパートナーと一緒にいる私も英語で話しかけられる現象もぐっと増えた。インバウンド需要と呼ばれるものがあり、接客において英語(及び多言語)対応が強化されるのはわかる。外国人に見える人と一緒にいる私に英語で対応するとっさの判断も、理解はできる。けれど、私が一人でいる時にはそれは起きないので不思議ではあるし、違和感も抱く。私自身は、誰と一緒にいても同じ人のはずなのに。
気づけば4年もかけて準備した、超重要クライアント向けみたいになった入念なリストを右手に、地図を開いたスマホを左手に、忙しく過ごした。それと同時に、ニューヨークで陥るのとは別の類いの、東京にいる時間ならではのアイデンティティクライシスも、4年ぶりに思い出した。
海外移住には実にさまざまな背景があると思うけれど、私の場合は、自らの選択と希望でニューヨークに移り住んだ。期待と不安が入り混じった当時の意識のほとんどは、「第二のホーム」となるニューヨークに向けられていた。そしてそこでの経験が、自分のアイデンティティを浮き彫りにしたり、曇らせたりしてきた。その一方で、ニューヨークで過ごす時間が長くなるにつれ、言うなれば「第一のホーム」である東京で覚える不安も大きくなっていく。私はここに「ただいま」を抱いていいのかな。ここでも自分はもはや「よそ者」なのかな。たまの一時帰国は、旅行とさして違わないのかもしれないな。
けれども、ふと頭をよぎった、日本にいても自分は「よそ者」なのかなという疑問は、ある特定の、制度的な観点からはノーと言える。私は日本国籍所有者で、日本で投票できるからだ(ただし国政選挙に限られる)。日本で生まれたり長く住んだりして、日本の社会と密な関係を持っていても投票はできず、それゆえの「よそ者」の感覚を抱く人たちがいる。けれど、私は日本に住んでいなくてもその権利を今も有している。一方でアメリカでは、私は市民権を持たない永住者であるため投票ができない。なのでその制度的な「よそ者」の感覚はアメリカでの私にはわかるし、その観点からは、私は日本では「よそ者ではない」わけだ。実際にそこにいても遠くに感じていた4年ぶりの日本との距離が急に近くなり、それに伴う責任の重みも改めて実感した。
正直なところ、もし選べるのであれば、年間の90パーセント以上の時間を過ごす場所で投票したいとは思う。けれどそれは私のような条件の人には現状叶わない(その背景はいささか込み入っているのでここでは省く)。
であれば日本で持つ投票権を生かすべく、年間の内数パーセントとはいえ、日本で過ごした時間の中で自分の育った街を見て思ったことや、滞在中の経験をちゃんと覚えておかなくちゃ。人との会話から感じたことも、しっかり記憶しておかなくちゃ。そして残りの90パーセント以上の時間も、違う場所で過ごしているとはいえ書籍やインターネットなどを通して情報ではつながれるのだから、日本でのことをもっと知っておかなくちゃ。
瞬く間に過ぎた一時帰国を終え、また機内の『Another Sky』を聴きながらニューヨークに戻った。ニューヨーク—東京……いろんな意味での距離を考えた。
すると、私の東京の友人知人には、出身は違うところである人が多いことをふと思い出す。私は東京で育ち東京の大学に進学し、そのまま東京で就職したので、その後ニューヨークに移住するまでずっと同じ街で過ごしてきた。一方で、いわゆる地方出身者をはじめ多くの人々は、たとえば10代のタイミングで「里を離れる」経験をする。離れている間に、里はそれぞれなにかしら変化する。きっと里との遠さを感じてもいる。私のそれは友人知人たちよりは遅くにやってきただけで、多くの人々はこれを経験しているんだろうな。
とはいえ、私のケースは海も国境も大陸も超えるし、距離が遠めではある。1万キロ——ニューヨークと東京の間にある物理的距離は、どれだけテクノロジーが発展したとしても変わらない。ならば、せめて自分と東京の時間的距離を縮めるべく、次回はあまり間を空けずまた帰りたい。
だから今年も、秋には、「いってきます」とニューヨークを出て、「ただいま」と東京に帰り、また「いってきます」と東京から旅立ち、「ただいま」とニューヨークでの生活に戻る。そしてどちらの土地にも、「いってらっしゃい」と送り出し、「おかえり」と迎えてくれる人たちが、私にはいる。それがいかに恵まれていることか。
離れたところにホームが2つあると、混乱や切なさが2倍になるけれど、気づきや喜びも2倍になりますよ......クライアント向けの企画書にそう書き足して、保存した。
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COOKIEHEAD
東京出身、2013年よりニューヨーク在住。ファッション業界で働くかたわら、市井のひととして、「木を見て森を見ず」になりがちなことを考え、文章を綴る。ブルックリンの自宅にて保護猫の隣で本を読む時間が、もっとも幸せ。