London Calling! #6
ロンドンに来て何が変わり、分かったか?
Contributed by Chihiro Fukunaga
Trip / 2024.12.12
そんな漠然とした願いが突如、切符となって目の前に差し出された。ロンドンで新たな生活をスタートさせたフリーランスの編集者・ライターChihiro Fukunagaさんが、生活拠点をつくるまでの様子を全6回でお届け!
#6
ロンドンに来て、半年が経った。
ヨーロッパの地に降り立ったことさえなかった私が会社を辞めて、「まあ行けるべ(大丈夫でしょうの意)」のマインドで、住居も仕事も決めずに見切り発車で来てしまって半年。
この「London Calling!」の第1回を書いたのは、ロンドンに初めて降り立つ前のイスタンブール空港でのトランジットの待ち時間だった。新しく始まる生活に期待するリアルな気持ちを、忠実に閉じ込めておきたくてワっと走り書きした。あの頃が懐かしい。さてさて、半年過ごしてみて何が変わり、分かったか? 次の順で書いていく。
・半年じゃ生活は落ち着かない
・そして英語もペラペラにならない
・自分の人間性がよく分かる
・How are you?(=敵でないことを示す姿勢)の重要性
・それでもロンドンに来てよかった
半年じゃ生活は落ち着かない
「London Calling!」の連載を始める時のミーティングでは、「月イチペースの全6回半年間、ロンドンでの生活の基盤を固めるまでを記録する」ということになっていたので、これまでも初めてロンドンに降り立った瞬間〜語学学校初日〜家探し……とそれぞれ1記事1テーマを見つけて書いてきた。当時、私は半年もあればあっという間に生活は安定すると思っていたし、むしろ書くことが無くならないかと心配していた。
実際に半年が経った今、なんて甘い考えだったんだろうと思う。だって、実際は半年じゃ生活は全然落ち着かない。今もずっと仮暮らし気分だ。(特に私は語学学校に3ヶ月通ったことで、生活に本腰を入れ始めるスタートがすごく遅れたように思う。)
ソーホーにある創作アジアンレストランのKILN。独創的だけど、日本人の私にとってはどこか懐かしい。でも物価がべらぼうに高いので、レストランでの外食は贅沢だ
まず、仕事について。結論からいうと、今も定職に就かずフラフラとしている。
夏まで昼間は語学学校に通っていたので、フルタイムの仕事を探すことができず、たまたまご縁があった日系企業のマーケティングアシスタントとしてパートタイムでSNSの運用などをしていた。学校を卒業する頃、ちょっとトラブルがあり、別の仕事を探すことになる。
編集やライティングの仕事を探したけれど、英語で記事を書く仕事なんてネイティブスピーカーの中でも特に表現力が豊かな人がやっている。在英30年の編集者の方でも、「英語の記事を書く機会は、ほぼない」という。
日本語で記事をかける仕事を探すも、ロンドンでそのポジションの定員はとても少ない。やっと、理想的なポジションを見つけてアプライすると、興味は持ってもらえるも、少数で運営しているので、今は人を雇ってないと言われる。
私は作戦を変更して、生活をしていくためのアルバイトをしながら、休日にフリーランスとして編集やライティング、撮影の仕事をすることにした。
だけど、残念なことに私は飲食店やカフェで働いた経験が全くなかった! 日本では、飲食店のウエイターのアルバイトは、未経験の学生にもチャンスが与えられやすい。でも、ロンドンでは必ず経験があるかどうかを問われるし、こだわりのあるカフェならバリスタ経験がないと雇ってもらうのは難しい。私はアルバイトといえば、編集プロダクションのほかには、本屋・コンビニでのレジ打ち・パン工場くらいしかやっていなかった。
ロンドンの美術館や博物館では、常設展が無料で楽しめるところが多い。物価が高くても、心を満たす遊びを探せる楽しみがある
その後、ご縁があって雇ってもらえた飲食店や小売店で日銭を稼ぐも、適性がなかったり興味を持てなかったりしてどれも定着せず、今はフリーランスとしてのライティング仕事や撮影アシスタントなど、好きな仕事をしながら貯金に頼る生活をしている。いよいよマズくなったら、その時に考える。日本のいた時の自分に「もっと英語を勉強してこい」「欲を言えばカフェでアルバイトしてこい」と言いたい。
最近、引越してきた新しい部屋。昔から、いつか壁に色が塗られた部屋に住みたいと思っていた。しかも、紫色はだいすき
そして、ずっと住んでもいいと思える家に出会えたのもちょうど1ヶ月前くらい。ロンドンに来てから長いこと一つの家に住んでいたが、フラットメイトからの盗難や嫌がらせにずっと耐えていた(最悪)。そう、ロンドンの生活の質は、“フラットメイトガチャ”にも大きく左右される。
語学学校が終わってから、新しい家を探そうにも、ロンドンの賃貸契約は激戦。環境がよく、家賃もバカ高くない、理想的なフラットで契約できるまでにまた丸1ヶ月ほどかかった。(といっても、引越しはロンドンにフラットシェアで暮らすシングルの生活には、つきもの。友人らもしょっちゅう大家の都合でいきなりの退去を余儀なくされたりしている。)
そういうわけで、生活は全く落ち着いていない。もし今後生活が落ち着くことがあるなら、それは本帰国間近の時期だろう……。
ロンドンの夏は夜9時まで明るく、気温も最高22度くらいでとても過ごしやすい。冬に差し掛かった今、この時期の思い出が記憶の遠くで輝いている……
そして英語もペラペラにはならない
こちらも今思えば当時の自分の頭を引っ叩きたくなるが、海外に長期で住んだ経験がなかった私は、半年もいれば英語がペラペラになって通訳なしでインタビューできると思っていた。でも実際の私の英語力は、“意思疎通するための中学英語がスムーズに出るようになった”というレベル。
というか、英語力にはゼロから表現豊かなネイティブレベルの間に幅広いグラデーションがある。イギリスの大学を出て、そのまま現地企業で働いている友人も、数年では到底ネイティブのように話せるようにはならないという。私はそのことを全く分かっていなかった。
でも、100にはできなくても、ゼロを10や20、50にできた時の変化の大きさはかなり大きい。違うバックグラウンドで育った人たちに考えを伝え、友達になることができる。日本語しかできないよりも、人間関係を築ける相手の数が何十倍にもなる。それだけで、かなりの前進だ。(と、ポジティブに捉えることにする)
母国語が異なる友達と深い話をできないというもどかしさはあるが、ミステリアスな相手をもっと知りたいと思う気持ちは、英語を勉強する原動力になる。
自分の人間性がよく分かる
ロンドンから少し足を伸ばして、リゾート地のブライトンへ。友達と海の近くで昼寝をして、平和に過ごした
2024年は私が大学を卒業して以降、最も長い期間、労働から離れた1年だった。(巷では“キャリアブレイク”なんていうらしい。)すると、自分が社会に飲み込まれることで一応“社会人”になれていたのだと分かった。仕事をしていた時は、自分を律することができていた。その日のタスクをその日中に潰しておけたし、人に対して失礼のない態度を取ることに気を遣えていた。10代の頃から、自分はなかなか社会でうまくやっていけないタイプだろうと本当に思っていたので、家族も自分も、社会人として毎日働けていることに驚いていた。
でも、それは全て社会に飛び込んでいたからだった。
社会から離れると、私は大学生の時と何も変わっていないことがよく分かった。マイノリティのアジア系ビギナー移住者として、改めて“持たざる者”になった私は、何の問題もなく生活できているように見える人たちを妬んだ。性格は相変わらず悪かった。
一方で、目まぐるしく流れていく東京の毎日から離れたことで、自分の本当に好きなもの/本当に興味のないものがよく分かった。
仕事やお金に繋がらなくても気にせずにはいられない分野、それは自分が本当に好きなもので、そのベースは10代の頃からほとんど変わっていなかった。(私の場合は音楽やファッション、雑誌や写真、書籍などの印刷物、社会学などだった。)自分のことをまた少し理解できたことで、今後人生の岐路に立った時に、自信を持って道を選択することができると思う。自分に必要ないものを知ることも、結構大事だ。
How are you?(=敵でないことを示す姿勢)の重要性
日本でも義務教育で「How are you?」「I’m fine Thank you.」のやりとりを必ず習う。実際、ロンドンにいるとお店の人も友達も「How are you?」と聞いてくる。
ロンドンに来たばかりの頃、「どう見てもbadではないでしょう。見りゃ分かるのに聞く必要ある?1ラリー無駄じゃない?」ということを日本人の友達に漏らしてドン引きされたことがある。
ロンドンで知り合った、日本人の編集者の方が畑で採れたお野菜を下さった。友達もいるとはいえ孤独を感じる瞬間が多いロンドンでは、人の優しさが染みる。そして、やっぱり互いに助け合えるのは日本人だ
でも、ネイティブの友達に聞くとなんと返してもよく、近況や天気の話をすれば楽しい会話が生まれるきっかけになるのだそう。ただ、聞かれたら相手に聞き返さないと失礼。
イギリス人はお互いが気持ちよく過ごすために愛想よくコミュニケーションを取ろうとするように思う。恐らく「あなたのことを気にしています」という意思表示(またはそのポーズ)のために「How are you?」と聞いている。この保守的だが友好的なコミュニケーションにおいての考え方には、見習うところがある。
特に見るからに英語が不自由な怪しいアジア人の私であれば、まずは「あなたの敵ではありません」という姿勢を見せることが重要だ。それに気づいてから、私はお店に出入りする時や友達の友達に初めて会う時に、必ず目を見て、相手より先に挨拶をするようになった。挨拶は(勝ち負けではないが)先手必勝。さらに無料なら、やらない術はない!
それでもロンドンに来てよかった
陽が傾いて、夕方の情緒が漂うテムズ川だけど、まだ13時台。日照時間が短いロンドンの冬は、16時にもなれば真っ暗だ
生活も不安定だし、英語もペラペラにはならない。さらに、日本にいたら経験しなくて済むようなキツいトラブルもたくさん経験したが、それでもすでにロンドンに来てよかったと思う。一番は“心のインナーマッスル”がついたことだ。というのも、これまでよりも多くの情報が私の中に入ってくるようになった。
私がロンドンに来た一番の理由は、日本のことしか知らないのは、常に情報に対して貪欲でいなければいけない編集やライティングの仕事をする上で、大きなハンディキャップだと思ったからだった。私はこれまで海外経験がなく、世界のニュースや情報を読んでも、その地を現実に存在するものとして想像できないので、文字の上を目が滑るような感覚で、全く情報が入ってこなかった。
ロンドンの著名なアートギャラリー、テートモダンで撮ったプリクラ。フィルムを液につけて現像しているのか、ビシャビシャで出てきた。£7(2024年11月現在で約1400円)と高いけれど、日本でも若い人たちに好まれそう
でも、前職の会社で出会った海外経験のある同世代の同僚たちは、英語の情報を受け取ることができる“心のインナーマッスル”を持っていて、アクセスできる世界が何倍も大きかった。当たり前のことを言っていて恥ずかしいが、当時の私には本当に本当に羨ましかったのだ。
そんな背景があってロンドンに来たが、半年で私の心の中にもそのインナーマッスルが育ち始めた。日本以外の国に関する情報が、リアリティーや意味を伴って自分の中に入ってくるようになったし、その裏にある可視化されていない文脈も想像できるようになった。
さらに、言語を介さない表現の可能性を知った。例えば、デザイナーズブランドのアーカイブなどを置いている古着屋に行けば、ISSEY MIYAKEやCOMME DES GARCONSなどの日本のブランドに、アート系の古本屋に行けば、森山大道や荒木経惟といった日本人作家の写真集に高確率で出合った。視覚に訴える表現方法は、海を越えて人々に届いていた。
これも当たり前といえば当たり前なのだが、私は大学では日本文学を専攻していたこともあって、平均よりも日本語の表現にこだわって生きていた人間だった。そんな私の中での常識が一気にひっくり返された。この経験を20代のうちにできたおかげで、今後ますますいろんなことに興味を持てるようになると思う。少なくとも、向こう15年は退屈しないだろう。
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Chihiro Fukunaga
1997年生まれ、神奈川県横浜市出身。幼い頃から手描きの雑誌を作り、家庭内で発表する。高校生になると編集者を職業として意識し始め、大学在学中に編集プロダクションに所属。その後、INFASパブリケーションズに入社し、ファッションメディア「WWDJAPAN」の編集部に編集記者として参加する。2024年春に渡英し、フリーランスの編集者・ライターとなる。ルポルタージュやスナップが好き。美しいだけでないリアルや、多様な価値観に迫りたい。