テオティトラン・デル・バジェへの冒険のはじまり

Mis Pato aventuras #7

テオティトラン・デル・バジェへの冒険のはじまり

Contributed by Ayaka Suita

Trip / 2025.02.21

想像もしていなかったメキシコ・オアハカへの移住。偶然の出会いが繋いだこの地で、新しい人生の舵をどう取るか。はじめてだらけの毎日を楽しみながら、冒険するように過ごすayakaさんの移住日記。

#7


ホステル生活も1週間が過ぎた。
2段ベッドの下のほうで寝て1週間が経ったのだ。

ベッドはシングルベッドぐらいの大きさだった。
チェックインするとき、オーナーが「うちは4日に1回シーツを替えるから」と自慢げに言っていたが、まだ1回もシーツを替えてくれた形跡はない。

シングルベッドサイズのその小さな小さな部屋で夜は映画を見たり、その日に撮った写真を見返しては充実した時間を思い出したりした。
上のベッドからたまに何かが落ちてきて、それをルームメイトと拾いあってはお互い笑い合ったりした。

ベッドの右側には服を積んで、足元には洗濯物を入れる袋を置いた。
枕元にはその日に買った意味のない置物や小さなぬいぐるみを飾ったのだった。
そうやってシングルベッドの小さな空間に 小さな居心地の良い部屋を作るのがたまらなく好きだった。

子どもの頃、よく布団で家をつくって遊んだ。その小さな布団の家の中に自分の大切ながらくたを詰め込んでそこで寝たこともあった。狭い狭い、居心地の良い空間だった。

広いラグジュアリーな個室も好きだが、まだまだシングルサイズの空間も悪くないなと思った。なんせ、上から物が落ちてきて、その度にルームメイトと笑って幸せな気持ちになれるのだから。

今日はテオティトラン・デル・バジェに行く予定だ。
ルームメイトと朝ごはんを食べて、教えてもらった乗合タクシーの乗り場に向かった。
グーグルマップを開いて、ピンをつけた場所に向かう。ホステルからは歩いて30分ぐらいの場所だった。確かにタクシーがたくさん停まっているが、どのタクシーがテオティトランに向かうのかは分からない。



すると、1人のおじさんが「どこに行きたいの?」と聞いてくれた。
(この時スペイン語が全くと言っていいほど話せなかったが多分そう聞いてくれていたと思う)
わたしがgoogle mapのテオティトランの位置を見せると、そのおじさんは遠くに停まっているタクシーを指差した。私が「グラシアス(ありがとう)」と言うと、おじさんは微笑んで私がちゃんとタクシーに乗るまで見守っていてくれた。

にしても乗合いタクシーとはこんなに窮屈なものなのか。
5人乗りのはずなのに、気づいたら7人乗っている。
私の膝の半分におじさんが座っていて、とても重い。足が痺れそうだ。



この状態で40分ほどタクシーを乗ったところに、テオティトランがある。
タクシーの運転手さんはものすごいスピードで運転していて、いつ事故になってもおかしくない状況だったが、こんなにぎゅうぎゅうに人が乗っているなら外に吹き飛ぶことはないかと前向きに考えるのだった。

そして、不安な気持ちを忘れるぐらい窓の外には広大な景色が広がっていた。



どこか神秘的な山々、溢れんばかりのアガベ畑、道路の端では村人がアカプルコチェア、タンス、いろんなものを売っていた。なぜか家具がよく売られていた。

外の景色を眺めているとテオティトランという標識が見えた。



十字路の交差点のような場所に降ろされ、そこからはトゥクトゥク(名称が分からないので一旦トゥクトゥクで)に乗って、さらに上のほうに上がり、村に入っていくらしい。



運転手は村の市場まで連れていってくれた。「ここが村の中心だ」と言っていたと思う。
トゥクトゥクを降りて、あたりを見渡す。
どこか落ち着いた雰囲気で、自然と癒される不思議な空気に包まれていた。



ラグを作っている村というだけあって、至る所でラグを売っている。
数年前からアメリカ人観光客が増え、大通り沿いにはラグのお店が立ち並んでいた。

しかし、一歩奥に入ると静かで扉が閉まっている家が多かった。
この大きな扉の向こうで民族たちが住んでいるのだろうか。







奥に行けば行くほど人通りが少なく、私を見ては少し警戒した顔をして過ぎ去っていくのであった。


せっかくテオティトランに来たのだから、ここに来た意味をできるだけ作りたかった。当初は、まずは視察という目的で村の空気を感じるだけでいいと思っていたが、気がついたら紙とペンを持っていた。

Wi-Fiが繋がる場所を探し、Google翻訳で「私は日本から来ました。初めてオアハカに来たのですが自然染色で糸を染める技術に感動しました。その技術を活かして商品を作って日本で売りたいです」と調べ、紙にスペイン語を書いた。
もちろん初めて見る単語で発音もよく分からなかったが、幸運なことにスペイン語はカタカナ読みをしても通じる。

私のやりたいことを書いた紙きれを持って、何時間だろうか、灼熱のなか行く宛もなく坂を登ったり降りたり、また登ったり。



体重が2キロぐらい減ったのではないかと思うぐらい久しぶりに歩いて、何件もノックをしながら 紙を見せてパートナー探しをしてみた。



しかしスペイン語ができないとコミュニケーションは難しく、警戒されて追い出されることもあった。その中でもラグショップのカードをくれたり、自然染色の過程を見せてくれた家族もいた。

疲れた体を癒そうと市場のあたりに戻ってきた。
サポテコ族のおばちゃんがチョコレートシェイクを売っていた。



疲れた体には最適なエナジードリンクだ。

すると、おばちゃんのお店に1人の女性がやってきた。
彼女はオアハカではなく、隣の州チアパスから来たらしい。なぜか英語が流暢で私に話しかけてきた。

「あなた、どこから来たの?」



彼女との出逢いが私のブランド作りへの道のりを加速させるのだった。



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