SNOW STAYS IN MY POCKET -あの日の雪と-

my milli mile #7

SNOW STAYS IN MY POCKET -あの日の雪と-

Contributed by Yuka Ishiyama

Trip / 2025.02.20

2022年のフィンランド留学中に生まれた、私だけのストーリー。そのストーリーを綴れば、私はあなたをほんの少し、近くに感じるだろう。そして、この広く大きな世界にほんの少し、近づけるだろう。
大学生のYuka Ishiyamaさんがフィンランド留学中のあらゆる瞬間を独自の視点で切り取り、出会いのストーリーとして全8回でお届け。


#7




溶けてしまうとわかっているから、怖いんだ。
心から楽しい時、時間が止まればいいなと思う時……目に前に広がる雪もこのままずっとそこにあってほしいと願う。だけどみんな心のどこかでわかっている。

今、目に前に映るその一瞬はいつだって、“今”という時の上をなぞる、眩しく光りながらも降り落ち溶けてゆく雪の結晶のようだ。今が過ぎればいつか雪も溶け、季節が変わり、時間が経てば周りも自分も変わっていく。
終わりが近づく怖さは、誰しもが一度は味わった事があるだろう。

これまで、ヨーロッパ各地で出逢った旅路の話を綴ってきたが、フィンランドでの1年間は私にとって最大で最高の旅だった。

フィンランドを留学先に選んだのは、それまでも常に周りと違うことを選んできた、わたしらしい決断だった。それと、幸福度1位を取り続けるフィンランドに行けば、幸せのヒントも見つけられるのではないかと思ったりした。

あの雪国は優しかった。人が人に親切だった。
これまでも私達はこうして側で助け合いながら生きてきたんだ、と思い出させてくれた。

それに、ムーミンが描き出す世界はリアルだ。あの得体の知れない可愛いキャラクターは日本でもお馴染みだが、そのストーリーは深く寂しく、人間の奥深さや単純さ、貪欲さと、必死に毎日の一分一秒を過ごす私達の孤独さを描いていた。それまで接点などないと思っていた異国に飛び込んだ私は、一年後、抱えきれないほどの思い出とちょっぴり多すぎた6つの大荷物と共に、帰国した。

気づけば、あの旅の始まりから3年が経つ。
やっぱり時はこうして過ぎていく。常に今をなぞる奇跡が、溶けていく雪を名残惜しそうに眺めていた。

何から話そうか、あの一年は私にとって果てしなく変化の年だった。だが、それと同時にこれまでじっくり煮詰めてきた大切な何かを、これでもかと味わう機会を与えてくれた。
そして、自分の足で旅をする素晴らしさも覚えた。かけがえのない日々だ。




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フィンランドではよく、天気予報を眺めて、晴れた日にする事リストを頭に思い浮かべていた。明日はまた雨が降るから、今日の夜は星が見ることができたらいいなと、帰り道に期待をしてよくカフェに勉強しに行った。

こんなランダムにいろんなことを話して良いのか? と思うけど、これでもかと言うほど書くことがある。

アパートに常設されていたプライベートサウナへ行き、週2日で癒され、フィンランドの北から旅に出て真冬の北極海に飛び込んだり、人が誰1人いない森林をキャラバンで彷徨ったり、人生初サンタクロースに会い、ハスキー犬達に身体が一つ埋まるほどの雪が積もった森を案内してもらったり……。めちゃくちゃフィンランドだなぁ、という思い出が数えきれない程ある。

だけど、それよりずっと心に残る瞬間に沢山出逢っていた。それは、寒さを忘れるほどに心がホッとするような、人との出逢いの瞬間なのだろう。これは、旅ではなくここに住んだからこそ出逢うことができた特別なものだと思っている。

あの場所に行けば、いつだってあの時の雪が私を待っていてくれる気がする。


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私の住んでいた街の川は、冬になると凍って歩くことができた



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フィンランドでの1年間の生活におわりが近づいたある日のこと。アパート徒歩圏内に唯一あるスーパーの光に照らされて、私は今日の使命を思い出した。一日中求めていたチョコたっぷりのホットココアを夜まで取っておいたのだった。ミルクを買いに来たはずなのに、追加のチョコも買ってしまいそうだ。

フィンランドのチョコがよっぽど美味しいのか、それとも雪国にいる自分に甘えているだけか、人生一チョコを食べ続けた日々だった。

その帰り道、肌に馴染み始めた冷たい空気と共に、故郷にいる大切な人達の顔が浮かんだ。

限られた時間の中で感じる人生の素晴らしさ、大切な人達の存在の大きさやあたたかさ、言葉では表せない全てがこの空中に浮いているように思えた。ふと、自分まで浮んでしまいそうなところを、しっかり一歩一歩を踏み締めて歩き続ける。今思えば、そんな日がよく続いていた。

自分はあの時なにを思い、なぜここへ来たのかと考えた。目標を持ち続けること、そしてその気持ちを意識し続けることは、簡単なことじゃない。

アパートに帰ると、「我が家に手紙が届いたよ」と家族一人一人からメッセージが来ていた。一度は届き損ねたポストカードが、ついに届いたようだ。嬉しさと共に、普段は中々伝えない私の言葉が実際に届いたのだと、少し小っ恥ずかしい気持ちにもなった。

私も出発時にもらった親友からのアルバムを見返して、そこにあった友人や家族からのメッセージを読み返し、自分がここにいる意味を改めて噛み締めた。

その時の私は、過去に背中を押されながらも、変わりのない今その瞬間を生きている心地がした。



最終日、大きな荷物と共に友人の家からタクシーを拾おうと道を彷徨っていた私たちは、近所に住んでいるというフィンランド人のおじいさんに出会い、助けられた。おじいさんの鼻水は凍り光っていたが、おじいさんが言った言葉とあのあたたかさが、今でも私の心を優しく明るく包んでくれる。

“Take It Easy”
おじいさんは元気に声を張り、それを繰り返し私に伝えた。

日本人にとって“Sorry”という言葉は使いすぎるほど馴染みのある言葉だが、言われた側は大概反応に困っている。なんでそんなに謝っているのかわからないらしい。私もこっちに来てすぐ、つい口から漏れていた自分の言葉に対して、一体何にそんなに謝っているんだ? と思うようになった。

でも、最終日にしてまた“Sorry”という言葉を必要以上に使っていたみたいで、ハッとした。一年ここで過ごして自分が随分と変わった気がしていたが、やっぱり簡単に変わらないこともあるなぁと、自分のルーツを再確認した。

勿論、使い方や状況で良いも悪いも変わるけれど、相手から受け入れられる事を受け入れる力と心、それがもっとあればと思った。謙虚さが全てでなく、素直にありがとうと言えるのも大事だと、今ならよくわかる。

話は戻るが、そのおじいさんは、間違えた道を彷徨っていた私達に、「入りなさい」とあたたかい室内に招き、タクシーの場所を一緒に探してくれた。あ、この人は老いない人だ、と確信した。おじいさんは終始ニコニコしていて、震えながらも携帯のマップを頑張って見せてくれた。その合間に、「私の奥さんがね」と愛する人のことを見知らぬ私達に話しだす、その幸せそうな顔が忘れられない。そういえば、フィンランドでは、大学の先生もよく家庭の事を幸せそうに話してくれた。お別れの時、おじいさんが最後にまたあの言葉を言った。それは、深く愛をもって私の心に届いた。

余談だが、おじいさんは私が日本から来たと言うと、「ジャパーーーン!」と、過去最高に痺れる反応をくれた。実は、車もバイクもあれもこれもホンダにするくらい、日本のファンだったらしい。その後私たちは20分ほど、おじいさんの日本への愛を受け取った。


____

ここまできたが、私は、あと残り1ページの記憶をここに残せる。最後にあなたに贈りたい言葉はなんだろう、と今から考え込む。
今を生きるのが辛いこともあるし、未来と全力で向き合うのは思っているよりもはるかにタフだ。でも、そんな時は自分がここにいる意味を思い出させてくれる過去に身を寄せてみる。私にとってはそれが心の拠り所であったり、出会いの原点であったり、どこまでも自分の世界を広げ続けてくれる、果てしなく広い秘密基地のようなものだ。

今日も、私のポッケはあの日の雪で溢れていた。

LOVE,







フィンランドは冬だけでなく、夏も秋も自然が織りなす色がとても綺麗



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