秋、旅先の海で読みたい一冊

秋、旅先の海で読みたい一冊

HELLY HANSEN × anna magazine

By / sep.21.2018

暑さと賑わいが落ち着き、静けさに包まれた秋の海。
波の音が静かに響きわたり、夏とはまた違った時間が流れています。
そんな秋の海で、地平線を眺めながら、本を読んでみませんか?
翻訳家・エッセイストである青山南さんがセレクトした「海で読みたい1冊」を紹介。
まだ夏を終わらせたくない人へ、これから海外へ旅立つ人へ海を身近に感じながら、
心地よいひとときをお過ごしください。
(本企画は、今夏anna magazineが手掛け、HELLY HANSEN各店舗にて配布された『HELLY HANSEN BEACH BOOK』の内容を再編集したものです。)



BOOK#1 
「パイの物語」 ヤン・マーテル 竹書房
荒れた海でも、穏やかな海でも、そこにただよう空間の広大さはすごい。
そんな海を、肉食のトラと漂流することになる少年の200日の孤独。
いかにトラをてなづけ、いかに孤独を克服するか。

【FROM BOOK】
漂流するというのは、どこまでも円の中心にいるということだ。世界がさまざまに変化しても——ささやいていた海がどなり始め、みずみずしい青だった空が目もくらむような白に、そして漆黒に変わる——その位置関係は変わらない。その視線は常に半径の範囲にかぎられる。その円周は実に大きい。実際には、円は一つではない。漂流するというのは、自分を責めさいなむいくつもの円にとらわれるということだ。自分は一つの円の中心にいて、その上空では二つの相反する円がまわっている。太陽は群衆のようにぼくを責めさいなむ。ひたすら耳をふさぎ、目を閉じて、どこかに隠れたくなるような騒々しく無遠慮な群衆。月は自分がひとりぼっちであることを静かに否応なく思い知らせてくれる。その孤独から逃れようと、ぼくは目をカッと開く。時々顔を上げてぼくは思う。この容赦なく照りつける太陽の下、あるいは静かな海のただなかに、こうしてぼくと同じように空を見上げている者がいるのではないかと。円の中心につかまって、恐怖と、怒りと、狂気と、絶望と、虚無感と闘っているだれかが。

【ABOUT STORY】
インドからカナダで向かう貨物船が太平洋上で沈没。乗っていたのは動物園を経営していた家族と動物たちで、かろうじて少年と数頭の動物たちが救命ボートに乗ることができた。圧倒的なサバイバル小説であるばかりか、動物と生きる方法についての本。イギリス最高の文学賞も受けた一大漂流記。


BOOK#2
「神々のハワイ」 スザンナ・ムーア 早川書房
ハワイでは「白人」のことを「ハオレ」という。
ビッグアイランド(ハワイ島)育ちのハオレの女性が語るハワイの神々のこと、
ハワイの王朝の歴史のこと、じぶんのなつかしい思い出の数々。


【FROM BOOK】
わたしがわたしであると感じるのは海に入っているときだった。もしもたずねられれば、わたしの心は何度でも変わることなくそれをほんとうのわたしとして選ぶだろう。わたしは朝泳ぎ、昼にまた泳いだ。夕日が沈むころにも泳いだ。くたびれるまで泳いだが、浜にもどる力もないまでに疲れはてることはなかった。遠浅の海が海峡の縁の深みにつながるところに水の澱みを見つけた。ずっと遠くまで泳いでいけば、山の斜面に鮫の神を埋葬した場所の跡を示す巨大な岩が見えた。ときどき、自分の下にも上にも途轍もない何かがあるような、いいようのないおそろしさに襲われた。海が突然わたしを波に巻きこんで、誰もいない地上から誰もいない宇宙へ放りなげるのではないかという気がして怖くなった。そして海がわたしを捕らえようとしているとでもいうように、急いで浅瀬を引きかえすのだった。ある夏、母の具合が悪くなり、わたしたちはオアフ島北部のプナルウの海岸に滞在した。わたしは透きとおった水底にばらばらになった人の体が見えると信じこみ、しばらく海に入ろうとせずにみなを困らせた。

【ABOUT STORY】
ハワイで育ってきたからこそ見えてくるハワイの風景というものがある。ハワイを舞台に、海と島々の風景をていねいに書きつづけている女性の作家である。観光地の「楽園」ハワイとはだいぶちがう、「故郷」としての愛おしいハワイの姿を浮かび上がらせる名手。


BOOK#3
「川底に」 ジャメイカ・キンケイド
カリブ海の小さな島アンティーガからニューヨークに渡って作家となった女性が、島での暮らしを振りかえる。記憶から離れていかないのは、その存在が大きかった母のこと。詩のような断片の数々が波うつ。

【FROM BOOK】
海、陽炎にゆらめくピンク色の砂、帽子をかぶった海水浴客たち、腕を組んで顔をくっつけあうようにして話をしている二人連れ、鼻には水滴がやどり、くるぶしには海のしぶきがかかり、発達しすぎたふくらはぎにも、青、緑、黒、とても深く、とてもなめらかに、強くて早い底流、海面はガラスのよう、白い小波、とても目をあけていられないほどの嵐がきて塩がわたしたちの目に入る、海は裏返しになり、澱のたまった瓶のようにすべてを攪拌し、一隻の小舟の上で二人の人が茶色い包みを海にほうりだそうとしている、謎、あの黄色の地に斑点のあるウツボの鋭い歯、のたうち、なめらかな縞、開いた口、大きなやかましい種類の鳥たち、大きなやかましい種類の人間たち、さまざまなプヨたち、海、家に帰るわたしについてきて、わたしのかかとに噛みつき、ずっと戸口まで、海、あの女。
「わたし、おまえを怖がらせたかしら? もういちどいうわ、おまえは、わたしが怖いの?」
「あなたはわたしを怖がらせました。わたしはあなたがとても怖い。」
「ああ、自分の顔を見てごらんよ。おまえが自分の顔を見られるといいのに。おまえには本当に笑ってしまう。」

【ABOUT STORY】
著者がニューヨークに来たのは16歳のとき。アフリカ系の黒い肌の少女は、なにかと息苦しかったカリブの小島とは対照的な、アメリカの自由さに魅了され、島の母との約束を破って、子守仕事のかたわら、写真の勉強に励む。映像がくっきりと浮かぶ文章はそのときの学習の成果か。(菅啓次郎/平凡社)


BOOK#4

「調書」 J.M.G.ル・クレジオ
暑い盛りの真夏、南フランスの浜辺の町にあらわれた正体不明の青年。降り注ぐ太陽の下、光と風を浴びながら、海水浴に来た人間たちをながめ、野良犬のあとをつける。奇妙な恍惚の時間が流れる。

【FROM BOOK】
アダムは海に沿って歩きだした。爽やかな雨水が彼のこめかみに沿って流れ、髪を通し、ワイシャツのカラーの内側へと滴って行った。それは幾月にもわたる陽射しと海水浴とが作りあげた塩の甲皮に、畝のような通路を切り開いて行った。そこは奇妙な遊歩道だった。タールを敷いた、かなり幅広い道で、公園の下を通っていた。最初は港の桟橋沿いで、そのあと観光客たちの海水浴場となっている一連の小さな入江に沿っていた。歩道は海よりに一つあるだけだった。こうして、晴れた日などそこを通りかかると、一群のしかつめらしいサディストたちが、背をかがめ、欄干に肘をついて、下の浜辺で一群のマゾヒストたちが裸でまどろんでいるのをつくづく眺めているところが見られたというわけだ。

【ABOUT STORY】
やがてノーベル文学賞をうけることになる作家が23歳のときに発表した鮮烈なデビュー作。すさまじい熱を発する太陽の光のなか、体のすべての感覚をひらいて、地を這う虫のように、さまよう犬やねずみのように、アダムという名前の青年が、浜を、海をながめる。圧倒的に官能的。(豊崎光一/新潮社)


BOOK#5
「優雅な生活が最高の復讐である」 カルヴィン トムキンズ
1920年代、フィッツジェラルドがあこがれて小説のモデルにもしてしまった魅力あふれるアメリカ人の夫婦がいた。南フランスの海を見下ろす丘の上の家でひとをもてなすことに情熱を傾けたふたりの日々の物語。


【FROM BOOK】
マーフィ夫婦の身近にいた人間たちにも、ふたりの独特の暮らしぶりとその魅力を口で説明するのはなかなかむずかしいようである。花の香りもかぐわしい美しい庭からは、海の向こうにカンヌとその彼方の山々が見渡せた。ジェラルドのレコード・コレクションはまるで百科事典だった(バッハから最新のジャズまでなんでもあった)。おいしい御馳走は―周到な準備と給仕で―最高の味を味わうにふさわしい時と場所を選んでふるまわれた(たいていは庭の野菜と果物を添えたプロヴァンス料理だったが、ときにはクリーム・コーンを敷いてそこにポーチド・ エッグを乗せたような典型的なアメリカ料理もでた)。ジェラルドは楽しくてたまらないといったふうに、お客を楽しませるためにせっせと情熱的なまでに気を配っていた。きりっとした美貌とウィットの持ち主のセーラは、じぶんの暮らしと友人の付き合いを心底から謳歌していた。三人の子どもたちも、独特のプライベートな世界で暮らす子どもらしく、大人たちのなかにしっくり馴染んでいた―ルノアールの絵から抜け出してきたような容貌と装いのオノーリア、逞しいスポーツマンのベイオス、はらはらさせられるほど繊細で頭の回転の速いところが「ジェラルド以上にジェラルド的な」パトリック―こういうことがぜんぶいっしょになって、そこに仲間入りできるのが特権のようにもかんじられるひとつの雰囲気を作りあげていたのである。

【ABOUT STORY】
荒れていた浜をみずからせっせと整えて美しいビーチにする。だれも見向きもしなかったものを宝物のように大事にする。そんなふたりの生活ぶりに魅了されたのは、ピカソやヘミングウェイをはじめ、多くの芸術家たち。優雅な生活のしかたのヒントも得られる小さな伝記本。(青山南/新潮文庫)


BOOK#6
「遙かな海亀の島」 ピーター・マシーセン


【FROM BOOK】
西日を浴びて、珊瑚が輝く。炎。暗い壁から鮫が一匹現われて、その巨大な尾をなびかせて急進する。遠くで、鰹が、小魚を追って乱れている。鰹が海面を騒がすところに、小魚が銀のしずくを撒きちらしながら飛びだす。その後に、陽に燃える珊瑚。
バイラムが不平を言い、オールに手を休める。
礁の中へ入って鰹を見たのは、後にも先にもここっきりだ。それに雑魚もだ。
舳先をそらすな、バイラム。漕ぐんだ。この風のなかで一服してたら、あっという間に船に逆戻りだぞ。
魚のしぶきが陽の光に輝き、あじさしの目を惹きつけている。頭上を、風に身をぶつけるようにして飛ぶ島。魚と島はキャットボートの船首をよぎって、追い、そして逃げ、あじさしのかん高い鳴き声は礁の空ろな轟きに呑みこまれる。

【ABOUT STORY】
太陽の絵が、波しぶきの絵が、さまざまに姿を変えながら、イラストとしてではなく、本文の一部として随所にあらわれる。漁師たちの愚痴が、悪口が、猥談が、吐息が、罵声が飛びかう。海上にいることを体感させる、映画のスクリプトのような画期的なデザインで構成された小説。(小川国夫,青山南/講談社)


BOOK#7
「イザベラ・バードのハワイ紀行」イザベラ・バード
馬に乗って、ハワイの島々を巡る。噴火をつづけるキラウエアをながめ、深い谷間を下り、群生する熱帯植物のなかをさまよう。時は1870年代。変わらないハワイと変わってしまったハワイ。ふたつの風景がひろがる。


【FROM BOOK】
ここでは、いつも昼下がりなのだろうかとわたしは訝る。海はあくまでも青く、陽射しは柔らかく、空気は心地よい。苦労も騒音も慌ただしさも、この地には無縁だ。人々はだれもが休暇を楽しんでいる(もっとも、仕事がない状況で、果たしてそれを休暇といえるのか定かではないが)。ともかくも、海では人々が波を浴び、華やかな装いをした数百人の男女が馬に乗って浜辺を駆けて行く。なんとものどかで熱帯らしい。ロトの実を食べ、うっとりとするような魔法の岸辺に留まる人々の気持ちが、わたしにはわかる気がする。
わたしは日々、健康を取り戻し、ほとんどの時間を屋外で過ごしている。この間、現地の警察官から馬と鞍を借りた。親切な友人たちがわたしのためにマクレガー製のフランネルで乗馬服を仕立ててくれた。これを着て、例のじゃらじゃらと鳴るメキシコ式の鎧があれば、わたしもすっかりハワイ人になった気分だ。わたしは日に一、二回馬に乗り、一人で近所を探索している、毎日見たことのないシダや花との出会いがあり、そのことにすっかり夢中となっている。

【ABOUT STORY】
ハワイ王国がアメリカによって崩壊させられたのは1890年代だが、イギリス人のバードが健康のための旅でハワイに7ヶ月近く滞在したのは1870年代。じわじわと政変は近づいていたが、ハワイの自然はいまとほぼおなじ。美しい文章で書かれた詳細な報告がいまなお瑞々しいハワイ本。(近藤純夫/平凡社ライブラリー)


BOOK#8

「アフター・ザ・ダンス ハイチ、カーニヴァルへの旅」 エドウィージ・ダンティカ
カーニヴァルは危険だ、と、ハイチで育った子どものころは牧師のおじからずっと言われてきた。そんな故郷をアメリカから10数年ぶりに訪ね、カーニヴァルに参加。ハイチ人の熱狂的な祝祭の真実を初めて知る。

【FROM BOOK】
とうとう、わたしの身体はより大きな存在のなかの、ちっぽけな片鱗になってしまった。集団憑依の一部、大きな歓喜の流れの一部になったのだ。まるでメイポールのまわりをくるくるまわっているみたい、それがどんどん速くなっていく、もう止まらない。頭がクラクラする、でも、気にしない。わたしの身体にぶつかる他人の身体の曲線についていくこと以外、もうどうでもいい。そのわずかな空間と瞬間に、カーニヴァルは、わたしが欲しくてたまらなかった、理屈に合わないすべてのものをあたえてくれるのだから。無名性と、歓喜に酔いしれるコミュニティと、そこに帰属しているということを。
もっとカーニヴァルの日にふさわしい、派手な衣装を着てくればよかった、ジーンズとTシャツに麦わら帽子じゃなくて、いまではそう思う。群衆のなかで跳びあがった瞬間、その麦わら帽子がわたしの頭から脱げて首筋を滑り落ちる。振り向いて探す余裕なんかない、地面に落ちたのかどうかさえはっきりしない。だれかほかの人の頭に飛び移っただけなのかもしれない。

【ABOUT STORY】
著者の両親は、いい暮らしを求めて、カリブの小国ハイチからアメリカに移住した。著者が両親を追って島を出るのは、それからかなり経った12歳のとき。やがて、ハイチの言語はフランス語とクレオール語なので、英語を学んで英語で小説を書くようになる。しかし、書くのはハイチのことばかりだ。(くぼたのぞみ/現代企画室)


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青山南
1949年福島県生まれ。翻訳家、エッセイスト。アメリカ現代文学作品の紹介につとめる一方で、アメリカ文化や文学界の事情にも詳しい。小説の翻訳だけでなく、絵本の訳やエッセイ、映画の評論などを幅広く手がける。主な翻訳の仕事に『ゼルダ・フィッツジェラルド全作品』『愛してる』『優雅な生活が最高の復讐である』など。自著には『ネットと戦争』『短編小説のアメリカ52歳』『南の話』などがある。2007年には、ジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』の新訳を刊行し、話題を呼んだ。

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