LUKE magazine SECOND ISSUE
取材者紹介 #2
Contributed by LUKE magazine
By / 2021.07.27
さまざまな業種で活躍するサーティーエイジャーズたちに、何を考えて仕事に向き合っているのか? 何を目的に仕事をしているのか? 将来の夢などについてインタビューをしました。また「the moment. 働く現場。」と題し、新進気鋭の写真家6名による写真も掲載。
今回は全3回に渡って、LUKE MAGAZINE最新号でインタビューに協力して下さった、21名のサーティーエイジャーズをご紹介します。
#8
「素直に、謙虚に、前向き」に。夢はオリンピック。
バレーボール選手
小野寺太志
JTの社内バレーボール部に所属し、リーグ開催期間は全国各地を回り試合をしています。もともと野球少年だった小野寺さんが、バレーボールを始めたのは中学3年生のとき。ご両親がバレーボール経験者だったこと、ご自身が長身ということで県選抜で選考会に招待されたことがきっかけとなりバレーボールに興味が湧き始めたそうです。コロナ禍には来場者数を制限され、ファンの方と触れ合う機会も減ってしまいましたが、インスタライブをするなどSNSを通じて積極的に発信。ファンの方に自分が活躍する姿を見せることを意識し、「常に自分が一番だ」という信念を持ってバレーボールの試合に臨んでいます。
https://www.instagram.com/jt_thunders_hiroshima_official/
https://www.instagram.com/taishi.o/
#9
人とのつながりが開いた新たな道。
フリーランスPR
勝山龍一
2021年4月からフリーランスPRとして独立。現在は山梨県道志村にある「水源の森キャンプ・ランド」のPRをメインに活動中。これまではアパレル企業に務めており、さまざまな業務に携わっていたそうです。しかしここ数年、「このまま今の会社に勤め続けていいのか?」と悩む中で、お世話になっていた方から適任の仕事があると紹介されたのが、現在のキャンプ場のPR。狭き門であるキャンプ場ビジネスに関われることも魅力のひとつだったそうですが、何よりも仕事を選ぶ上で大切にしたのは「人」だと、勝山さんは語ります。
https://www.instagram.com/ryuichi_katsuyama/
#10
いくつになっても、つねに新しいことをやり続けていきたい。
AMORE n AMIGO MIYAKO ISLAND店主
佐藤壮太
宮古島を拠点にイタリアンとメキシカンをミックスさせた料理をキッチンカーで販売。もともと、ザ・ペニンシュラ東京でバーテンダーを務めていたそうですが、お酒について詳しくなりたいという想いから、青葉台のダイニングバーでもアルバイトを開始。当時はバーテンダーと大学のサークルで始めたストリートダンスに夢中で学校に通わない生活が続いたそうです。そんな中カクテルコンペティションに出場が決まり、日本大会では準優勝を飾ります。いつか自身のお店を持ちたいと考えており、2021年に宮古島に移住しました。
https://www.instagram.com/sotasato_viva_miyako/?hl=ja
https://www.instagram.com/viva_miyako/?hl=ja
#11
前と変わらないよ、とりあえずおどる。
経済学者・詩人
ジョージ・ネルソン
アーティスト、経済分析者として活動中。あくまでもふたつの活動を両立することで、自分らしさを表現していると、ジョージさんは言います。高校時代からデザインに興味を持ち始め、経済分野に関わりながらアートは趣味として続けるつもりだったとか。日本をホームベースに、2021年9月から日本の大学院で経営学を学ぶ予定だそうです。日本のコロナ感染状況は深刻ですが、今後も日本で活動を続けたいと語ってくれました。テクノミュージックが好き。
https://haikujoji.com/
https://www.instagram.com/haiku_joji/
#12
プロレスというエンターテインメントの新しい可能性。
プロレスラー
定アキラ
Alma Libre代表
Kaguya Asuka
定アキラ
プロレス団体 Alma Libreに所属するプロレスラー。幼少期に父に連れられてプロレス観戦に行き、大好きだったプロレスラーハヤブサ選手の敗北を目の当たりにしたことがプロレスラーを目指すきっかけに。以来、UWFスネークピットジャパンでレスリングを習い始め、18歳でプロレスラーとしてデビュー。怪我が重なりリングを離れていた期間もあったそうですが、3年のブランクを経てAlma Libre所属選手としてカムバックを果たしました。
Kaguya Asuka
定さんが所属するプロレス団体 Alma Libreの代表。熊本県にある大学の医学部を卒業し、東京で医学関係の研究所に勤めたそうです。しかしスカウトされた研究所を退職し、プロレスに関する仕事をするようになり、Kaguyaさんにプロレスのいろはを叩き込んだのは、定さんが憧れのハヤブサ選手。フリーのリングアナとして活動をする中で定さんと出会いました。
#13
お母さんじゃない。
私が私でいられる場所。
OHYA BASE 管理人
藏所千尋
東京から地元・栃木にUターンして、大谷町にあるOHYA BASEという施設で管理人を担当しています。OHYA BASEは採掘場跡地を活用した、地底湖クルージングツアーなどを実施し、その地域ならではの事業に取り組んでいます。大谷町にUターン以前、藏所さんは印刷営業、グラフィックデザイン事務所、ミュージアムショップなどに勤務し、クリエイティブメンバーのサポート役を担当。シングルマザーになり「東京だと、子供たちができないことや、叶わないことに直面する機会が多い」と感じたことが栃木に戻った理由のひとつだそうです。そんな藏所さんは宇都宮のふるさと回帰支援センターで、OHYA BASEと運命的な出会いをし、OHYA BASEで管理人としてあらゆることへの対応をしています。
https://www.instagram.com/ohyabase/
#14
自分がやりたいことをやるために、林業を生業にする。
林業
中村純
不動産業から林業へ転身を遂げた中村さん。林業に身を移してからは、山で木の伐採やユンボを操縦して材木を運び、夕方に仕事を終えて帰路に着くという日々を送っています。高校時代から自然環境に関心があり、大学卒業後は大手のハウスメーカーに就職が決まったそう。しかし希望をしていた住宅部門ではなく、テレアポが中心の営業部に配属されてしまい、2年弱で退職してしまったそうです。そして不動産会社でライターやシェアハウスの管理などの経験を経て、満を辞して林業界に。慢性的な人手不足に悩まされているという林業。中村さんは林業の世界を自分なりに開拓し、自分の辿った道をまとめウェブで公開しています。
https://srkk.jp/
概要はこちら
取材者紹介 #1
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