anna magazine presents<br>『All the Streets Are Silent』<br>Special Booklet<br>制作 & 映画公開記念!<br>スペシャルインタビュー vol.2

anna magazine presents
『All the Streets Are Silent』
Special Booklet
制作 & 映画公開記念!
スペシャルインタビュー vol.2

Contributed by anna magazine

Pick-up a day / 2022.11.18



2022年10月21日(金)から公開されている、ドキュメンタリー映画『All the Streets Are Silent:ニューヨーク(1987-1997)ヒップホップとスケートボードの融合』。

1980 年代後半から90 年代にかけて、ニューヨーク州マンハッタンのダウンタウンでは、ヒップホップとスケートボードという2 つのサブカルチャーが出会い、後に巨大なメインカルチャーにまで発展した。NY の人気ナイトクラブ Mars、ヒップホップグループ Wu-tang Clan のデビュー、スケートブランド Supreme や ZOO YORK の誕生、ラリー・クラーク 監督映画『KIDS/キッズ』公開。この時代のスケーター、ラッパー、DJ など不良と呼ばれていた若者たちの生き様が今では最も影響力のあるストリートカルチャーを作り上げた。

anna magazine編集部が映画『All the Streets Are Silent:ニューヨーク(1987-1997)ヒップホップとスケートボードの融合』のパンフレット制作を手掛け、各上映館で大好評発売中です!B4サイズの迫力あるビジュアルブックと、ジェレミー・エルキン監督や映画にも登場する伝説のクラブ「CLUB MARS」の元オーナー・Yuki Watanabe氏へのインタビューなどが掲載されたA4サイズのインタビューブックが挟み込まれた豪華仕様。

今回は映画公開を記念して、パンフレットにも掲載されている90年代後半〜00年代にかけて『ZOO YORK』に所属した、スケートボーダー・フォトグラファー荒木塁のインタビュー“憧れのスケーターが身近だったニューヨーク”を公開します。

是非、劇場にお越しの際はパンフレットにも注目してください!
*パンフレットのお取り扱いについては各劇場にお問い合わせください。




スケーターとして活動しながら、写真家としても活躍する荒木塁さん、90年代にはニューヨークのスケートカンパニー『ZOO YORK』のライダーとして活動していた。荒木さんに当時のニューヨークのスケートシーンを語ってもらった。
「一番初めにニューヨークへ行ったのが97年でした。ニューヨークのスケボーから大きく影響を受けていたので、地元・神戸の友人3人とニューヨークへ滑りに行ってみよう!っていう感じでした。『ZOO YORK』の『MIXTAPE』を初めて観た時は西海岸のスケートスタイルとは全然違っていて新鮮でしたね。もっとクリエイティブだったし、スケーターのヒップホップ要素を取り入れた服装とかにやられました。それ以前は『Plan B』とか『Blind』とか西海岸のスケートシーンを観ていたんですけれど、ニューヨークの街中をガンガン滑っていくスケーターたちのクリエイティブなスタイルに惹かれたんです。クルマの間をすり抜けながら街中をどんどん滑っていくスタイル。カリフォルニアに比べたらトリックもシンプルなんですけど、ウォールとか街中にある地形を使って滑るスタイルに影響を受けました。ニューヨークに到着してすぐに、ブルックリンバンクスへ行きましたね。街の雰囲気とかそこに居る人たちも、何もかもがとにかく格好よかったですね。みんな自由で、自分のスタイルを出していました。滑っているのを眺めていると、そこにいたスケーターが声をかけてくれて、ちょっと仲良くなったりして、そういうコミュニケーションも楽しかったですね。その時はニューヨークのスケーターのAkiraとか居ましたね。後はKeith Hufnagelとか本当に有名なスケーターたちが撮影していて。もう遠くから「やばい!」って眺めていたのを覚えています。今回の映画にも出てきたStretch & Bobbitoのコンビがやっていた屋上のイベントにも行きました。当時の日本のシーンとはまた違って、カルチャーショックを受けました。KRS-Oneの同じ曲を2回連続でかけたりして、えっまた同じ曲?!って」初めてのニューヨークでたくさんの刺激を受けた荒木さんは、それから毎年ニューヨークへ通うようになった。「もちろんMike Carrollとか西海岸のスケーターも好きだったんですが、でも自分はこのニューヨークのスタイルが合っていたんですよね。友人が『ZOO YORK』を日本で扱うディストリビューションからスポンサーを受けていて、その友人を通して紹介してもらって、日本で『ZOO YORK』のライダーになったんです。それからはニューヨークへ行くとアメリカのライダーたちと一緒に遊ぶようになりました。当時はJefferson Pang、Harold Hunterとかそのあたりの人たちとニューヨークでのデモにも参加したり。ご飯を食べに行ったり、夜は遊びに出かけたりでしたね。ニューヨークの有名なスポットでスケートしました。あとはそのスポットからスポットへ移動する間に街で見つけた場所でシンプルなトリックをしながら。それが格好いいんですよね」



「Haroldはいつもお調子者でしたね。それといつも1ドルくらいしかお金を持っていなくて。当時『ZOO YORK』にHarold Lineというのがあって、街中でそのHarold Lineの服を着ている人を見かけるとすぐに『ZOO YORK』のオフィスに電話をして俺の服を着ているヤツがいたから金をくれ!って電話をするんです。当時は公衆電話なんですが、その電話代も持っていないからすぐに僕に25セント貸してくれ!って言ってきて、もうめちゃくちゃですよね。スケーターってお金がないとすぐに知り合いのスケートショップとか、当時だと『Supreme』とかに行ってプロダクトをもらうんですよね。そしてそれを街中で手売りしてお金にするみたいな。昔のそういう感じがスケーターらしかったですよね」今回の映画でキーパーソンとなっているEli Morgan Gesner。ニューヨークを訪れていた当時、荒木さんが交流した印象はどうだったのだろうか。
「ニューヨークではいつもJeffersonの家に泊まらせてもらっていたんです。彼は一見しっかりしているように見えて結構めちゃくちゃで(笑)。せっかく僕が日本から来ているというので、Eliも合流して一緒に観光地っぽいところに連れていってくれたり。でも、今回映画を観て、実はEliってこんな色んなことを考えて行動してたんだって気付かされました。今思うと『ZOO YORK』のデザインとかイメージとかすべて彼がやっていたんですよね。広告やアパレルやスケートのデッキも。すごいなと改めて思いましたね」荒木さんが、当時のニューヨークで学んだこととはどんな事だったのだろうか?「テクニックだけがスケートボードではないことをイーストコーストのスケーターに教えてもらったような気がします。街中なのでその場所で滑るしかなくて、その中でどうやって滑るのか?って言うのが良かったですね。とにかく当時のニューヨークで経験したことは本当にいい思い出ですね」


Text Taku Takemura

《PROFILE》
荒木塁
スケーター、フォトグラファー、L.I.F.Eディレクター、プロスケーターであり写真家としても活動する。90年代後半~00年代にかけてNYCのデッキカンパニー『ZOO YORK』に所属し、その後も仏ブランド『Magenta Skateboards』からゲストボードをリリースするなど、洗練されたスキルと独自のスタイルは海外からも非常に評価されている。また写真家として活動し、国内外の風景や人物をフィルムで撮影し自家現像や自宅の暗室で手焼きプリントを行うというこだわりで数々の作品を残す。



information
無法地帯と呼ばれていた1987年のNYダウンタウン。そこには自分たちの遊び場所を求めて、ストリートにたむろするスケーターの不良少年たちが居た。彼らは88年、クラブ・マーズの開設により、それまで距離のあったヒップホップの連中とも積極的に関わっていく。この多種多様な交流の場をきっかけに、人気スケートブランドのズーヨークやシュプリームも立ち上がった。やがて95年、地元スケートキッズのリアルな生態を捉えた映画『KIDS/キッズ』が社会現象級の大ヒット。こうしてNY流儀のストリートカルチャーは一気に世界へと拡大するのだが……。

10月21日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国ロードショー。
『All the Streets Are Silent』公式サイト
https://atsas.jp/



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