逃げ

海と街と誰かと、オワリのこと。#36

逃げ

Contributed by Kite Fukui

People / 2023.03.08

大好きな海を離れ、アーティストになったオワリ。居心地の悪さを感じながら、それでも繰り返されていく毎日のあれこれ。「本当のボクってどんなだっけ?」。しらない街としらない人と。自分さえも見失いかけたオワリの、はじまりの物語。


今この場から逃げ出したい。なぜなら彼女と気まずい空気になりたくないから。さきは、凄く自然に合鍵を渡そうとしてくれたのに。僕は驚いてつい断ってしまった。この時間はよくない、彼女はもうすぐ家を出なければならないから話し合う時間がないし。後で話し合おう。ほど1日が憂鬱に感じてしまう事を多分さきもわかっている。

僕「さき、どうして合鍵?」

とにかく何か言わないと、と思い口から出た言葉だった

さき「どうしてって。うーん。私、自分の家に男の子入れたの初めてなの。オワリと一緒にご飯食べて映画見て凄く楽しかったの。だから今日も明日も一緒に過ごしたいと思って」

ちょっと待った、それは何か僕が思っている話と少し違う。さきが今話してくれたのは同棲したいから合鍵を渡す。という話だ。僕はまだ上京してきたばかりだし、自分の家が好きだ。さきの家ももちろん好きだけれど、僕の家ほど快適な狭さがない。それに、自分の家に初めて男の子を招いて一緒に映画を見てご飯を食べたら、そりゃ楽しいに決まっている。ただ、さきの気持ちを無視するわけにも行かないししたくない。

僕「うん、僕もとても楽しかった。ありがとう、だけどすぐに同棲は出来ないよ。僕は自分の家が好きだし」

さき「そうだよね」

さきの顔が完全に曇った。

僕「僕もさきと長く一緒に居たいと思ってるよ。だから鍵はさきが具合悪くなってベッドから動きたくない時や何かあった時のために預かる。のはどうかな」

さき「うん、すっごく助かる!」

結局、合鍵を受け取った。だけど凄く上手く話ができたと思う。

僕「ありがとう、そろそろ行こうか」

さきの家を出て僕はバイトへ、さきは仕事へ向かった。

昨日と全く同じ洋服を着て、少し寝不足で東京の街を歩いている。夜遊びした人たちはこんな感じなのだろうかと思った。二日酔いはないし、洋服からはいい匂いがしているけれど。東京の自分の家ではないどこかで夜を過ごしたからか、バイト先へ向かういつもの道は違う道に感じた。

オフィスに到着して、今日は菊池さんに頼まれているグラフィックを制作したいけれどここのバイトで作ってもいいか。どうか。さすがに断られるとは思うけれど、林さんに聞いてみたら。「全然いいよ、むしろそうやって使って欲しい」と言われた。本当にありがたい。

その後、作業部屋に籠もってお昼までに10パターン作った。紹介してくれたジンにどう?と送ったら「全部好き」と返信があった。彼は素直な男だから変なものは変と言ってくれるので、少し自信が湧いた。

作業がひと段落したから、ロイヤルホストでランチを食べる。さきから作業は順調かとメッセージが届いていた。順調だよ、暑いから水分補給忘れないで。と返信した。午前中はスタジオだから冷房で逆に寒いらしい。疲れてボーッとして返信する言葉が見つからないから後で返信することにした。

オフィスに戻り、グラフィックの気になる箇所を修正していると「よっ」とジンの声がした。

僕「今日は休みなの?」

ジン「そう、めっちゃ暇だから遊びにきた」

ジンにコーヒーを作り渡す。オフィスは騒いで林さんの迷惑にならなければ、友達を呼んでもいいと加藤さんは言ってくれた。もちろんさきも。

それから、ジンにさきとのデートのこと、付き合ったことを話した。朝の合鍵の事を話したらジンも彼女の合鍵を持っているし彼も渡しているらしい。ジンの彼女もミュージシャンでお互い人の前に出る仕事をしている以上変なことはしないし、ならないから。と言っていた。そういうものなのか。と僕の中で合鍵のハードルが下がった。


続く



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