夢のマチュピチュ!?

the UNKNOWN #10

夢のマチュピチュ!?

Contributed by Miyu Fukada

People / 2024.02.14

心の片隅でずっと恋焦がれていた場所、南米。その地に惹かれ続けた理由を確かめるべく、写真家Miyu Fukadaさんが再び当てもない旅に出た。はじめて訪れる地で過ごす、まだ誰も予測できない出来事をリアルタイムでお届け。

#10


2/5 DAY30



トレッキング1日目
このトレッキングを企画したJulioの経営するカフェで待ち合わせ。朝8時出発。
トレッキングの旅程はもらっていたけど山の名前も土地の名前も何も調べていないし、土地勘もないのでただつられるまま、必要そうなものをリュックに詰めて出発した私。綺麗な景色を横目に車に揺られて3時間、Humantayの麓へ到着。本当に山に囲まれて素敵な場所だった。
車から荷物を下ろし歩くこと10分くらいで麓にある山小屋へ到着。別々の部屋かと思いきや空いてないそうで2段ベットが3つある部屋へ案内される。今回のメンバーは企画のJulio、このトレッキングについて教えてくれたJose、そしてベルギー人3人、Noa、Noaのお父さんDanny、そしてFipa 。腹ごしらえをしていざ出発。

今日は山小屋の目の前の山のその後ろ側にある湖を目指すだけ。
往復3時間の比較的簡単なトレッキングらしい。終始草を食べ続ける馬の間を通りぬけ、緩やかな坂をしばらく登ると石と岩がゴロゴロしたエリアへ。自然を全身で感じながら歩いていると上裸のムキムキ金髪の男の子が半ズボン(短め)でサクサクと登ってくる。そしてまたもう1人上裸のムキムキ金髪の男の子登ってきた。「いるよね〜こういう欧米人観光客」と頭の中でボソボソ言いながら登り続けた。後からの話で彼らはオーストラリア人ということを知った。納得。他にいた登山客もオーストラリア人と聞いてあーね。となっていた。どうやら世界的にそういう評判らしい。

来た道を振り返ると太陽に照らされた青々しい山々と空の青がとても綺麗。奥の奥の山までスッキリ見える。山小屋もとても小さく見え、ここまで歩いてきたのかと思うと少し感動するくらいな景色だった。そして石がゴロゴロの場所を超えると、目的の湖が見えた。日本語ではウマンタイ湖らしい。太陽も出ていて、見事にエメラルドグリーンの湖と、そしてその奥に聳え立つ雪を被ったHumantay、青い空、白い雲、そして山を覆う綺麗な緑が息を飲む絶景を作り出していた。ここまでくると少し寒い。標高は4200m 富士山より全然高い場所。

夜ご飯の時間は18時と決まっていて、下山して部屋で荷物の整理やらをしていると山小屋の女の子が、もうご飯の時間だよと呼びにきた。指定された場所に行くと長テーブルに20人分くらいのセットがされていて、奥から詰めて座る。ペルーだし夜ご飯は米かなと楽しみに待っていると、次々と山盛りのパスタが運ばれてきた。味はちょっとしょっぱいくらいだけど、不味くはない。疲れてお腹も空き、残さず全部食べれた。

部屋に戻り私は2段ベットの上で就寝。
夜中大雨の音で起こされながらも意外と寝れた。







2/6 DAY31



トレッキング2日目
4時過ぎ起床。あたりはまだ暗い。上弦の月と星が綺麗。
10分もたたないうちに霧に覆われ数メートル先も見えないほどに。
今日はHumantayの隣、Salkantayを目指して下山含めて11時間歩くという。先が思いやられるが、馬3頭と、馬使いも一緒。重い荷物は馬に運んでもらいカメラやケータイ、水など必要なものだけで歩く。山で寒いのになぜかバナナとシリアルという朝ごはんをJulioが用意してくれた。いざ出発。

トレッキング出発の前日の日曜に買ったアルパカのビーニーがとても重宝した。とりあえず寒い。そして薄暗い。足元に生える背の低い植物や、花を見ながら一歩一歩進んだ。振り返ると山の谷間に雲、そして近くの山の天辺には太陽がわずかに当たっていて神々しい。出発から3時間ほどで谷間の景色の綺麗なところに来た。

ここには別の山小屋もある。ここから高低差700mを登るという。標高が上がるから高山病にならないように水を良く飲めと言われた。
山の知識はそこまでないのでよくわからないが、とりあえず標高が上がるから高山病にならないように水を良く飲めと言われた。結構な急な斜面をジグザグに登る。結構辛い。一緒のクルーのFipaは太ももの筋肉を痛めているそうで馬に乗って急坂を登って行った。いいなあ。ふと目を周りの景色にやると、下の方に緩やかな別の道が見えた。なんで私たちはこっち登ってるんだろう? 考えても仕方がないので、目の前の坂を休み休みゆっくり登った。

急坂を超えるとまたしばらく緩やかな斜面になった。Julioに馬に乗るか? と聞かれたが、大丈夫と伝えて先を行った。しばらくすると馬に乗ったJulioに追い越された。えー、Julioが乗るなら乗りたかったな。でも自力で登ったって言いたいじゃん。とか思っていると急に少しだけど頭痛がしてきた。うーーん、これは意地を張らずに乗ればよかったのかなあ。などとぐるぐる考えていると、また少し緩い場所。先に目をやると、馬使いと馬3頭と休憩していた。あれ? なんで? Julioが乗ってたんじゃ? でもとりあえず、もう馬に乗りたい。疲れた。馬に乗りたいと馬使いに伝えると、そうだろうと思って待ってたよ! と馬に乗っていざ出発。

最後の難関はまた急で、岩もゴロゴロだった。馬に乗ってよかった。馬に乗って20分くらいで頂上へ到着。ううう寒い!!
標高4630m 出発から3時間で到着。
頂上で母なる大地「pachamam」へ道中の安全などを願い3枚のコカリーフに息を吹きかけ好きな場所にその葉っぱを置くという儀式をした。トレッキング出発前日もなぜか涙が流れたが、この頂上でも感情が溢れて、今回は感謝の涙だと確信したがすでに亡くなっている父、おじいちゃん2人、そして最近数ヶ月前に亡くなったといとこから知らされた父方のおばあちゃんなどが浮かんできてなんだかわからないけどありがとうありがとうと口にしていた。
不思議な体験だった。

頂上でJoseがみんなにコーヒーを淹れてくれて、少し温まった。それでも手足の指先が感覚がなくなりそうなほど寒い。10時前には下山開始。

途中小雨が降り出す。2時間ほど歩いて屋根のある簡易休憩所的なところでみんなでカップラーメンを食べた。そこから歩くこと2時間くらいで景色はどんどん岩いわしい山から、アマゾンの熱帯雨林らしい景色へ。一回乾いたと思ったらまた雨が降ってきてぐちゃぐちゃ。靴も靴下もびちょびちょだし、ズボンも2枚はいているが濡れている。途中でJulioがあともう少しだよというから30分くらいで今日の宿に着くのかと思いきや全く着かない。びちょびちょだし、足は疲れてるし、かといって、暑いし、下りかと思えばまた登りだし……。とか色々ブツブツ頭の中で文句を言いながらただただ進む。あーでもない、こーでもない、なんでこんなトレッキングにお金を払ってやることにしたんだろう? もう二度とやらないとか頭の中でひとりでに喋り続ける独り言。15時ごろになると晴れてきて気づいたらズボンは乾いていた。なのに、山の途中雨で川が氾濫している場所を歩かないといけない場所もあってぐちょぐちょの靴を脱いで、またぐちょぐちょの靴下と靴を履き歩き続ける。メンバーもみんなもういっぱいいっぱいになってきたのがわかる。

ようやく16時頃に今日の宿に到着。アマゾンの山の谷間にある小さな村。わんこがいっぱいいて自由に村を歩き回っている。その中の1匹がロットワイラーの4ヶ月くらいの子犬。可愛い。癒される〜。
とりあえず濡れている靴を脱ぎ、靴下も脱ぐ。案内された2階の部屋は日本だったらまだ建設途中みたいな部屋で、洋服をかけるものもない。あるのはベッドとコンセントと蛍光電球と窓だけ。シェアのトイレには便座もなく、空気椅子でトイレ。ゆっくり落ち着いてトイレもできない。シャワーもお湯が出るというのに全然出ないので髪は洗わず、デリケートゾーンと足、脇だけ軽く流す。シャワーは日曜の夕方から浴びていない。とりあえず10時間くらい歩いてまだ頭の中ではそれがプロセスできていないようだった。1日で自分の機嫌が上がったり下がったり、天気も雨から曇り、小雨、晴れなど色々体験して時系列が良くわからない。

ホステルを経営している家族総出で晩御飯を作ってくれた。ペルーらしいLomo saltado。美味しかった。久しぶりの米が沁みた。疲れすぎて20時には寝ただろうか? 夜中途中にトイレで起きたらまだ22:40だった。屋根はトタン。雨の音が響いて起こされた。それでもまだまだ夜は長い。もう一度眠りについた。







2/7 DAY32



トレッキング3日目 
明け方雄鶏の鳴き声で起こされた。夜中の雨はどうやらすごかったらしい。徒歩で歩けない場所があるらしく、ホステルのお父さんが車を出してくれることになった。が、走って30分もたたないところで山道の途中土砂崩れ。歩いて行くことになった。しばらくして山の下の方で待ち合わせていたもう1人のドライバーアレックスが私たちがまだ降りてこないということで山の途中まで迎えにきてくれた。途中また土砂崩れがあり、ドライバーのアレックスとそこで立ち往生していたもう1人のドライバーのおっちゃんがシャベルを村まで取りに行き自力で道を整えて再度出発。

ベルギーチームはすでに徒歩で先を行っていた。途中で彼らを拾って次の目的地、天然温泉プールのCocalmayoへ。
腹越しらへをしてからいざ入浴。久しぶりに暖かいお湯を全身浴びてすっきり。手足はブラジルの日焼けから乾燥してカサカサ。みんなお湯に浸かって癒されたところでまた車で次はマチュピチュを目指しHidroelectricaへ。ここからマチュピチュの町を目指して歩くらしい。ここからマチュピチュまで電車も出ている。でもこれはトレッキングの旅なので歩く。昨日の疲れが溜まっていて本音のところもう歩きたくない。ここからマチュピチュの町までは2時間とJulio。歩いても歩いても線路が続いていて全く到着の気配がない。みんな歩くのが早いし、線路沿いとはいえゴロゴロと意思があって歩きにくい。とりあえず疲れて文句しか出てこない。2時間経ってもまだつかず、時刻は18時を過ぎてあたりは暗くなってきた。ヘッドライトも持っていないし、みんな歩くのが早くて先に行ってしまうし自分はすっかり機嫌が悪くなってもうどうでも良くなってきた。普通さ、トレッキング企画したら一番最後を歩くでしょ? 初めてここに来る人たちとツアーするなら最後歩くだろ? しかも2時間って言ったのに3時間経ってもまだつかない。なんなの? イライラしながら歩き続けた。

やっと町らしいところに着きもう着くのかと思いきやまだ20分くらい歩いてとんでも観光地な場所へついた。
これがマチュピチュの町なの? なんだかがっかり。ただの観光地じゃん。
到着しても各国どこにでもあるような観光地に気分も萎えワクワクなんてどこへやら。ホテルのwifiは1階でしか使えないし、お湯もなんだかヌルい。夜はもう遅く20時過ぎにみんなで夜ご飯へ。マチュピチュの町は観光地価格で、ご飯もそんなに美味しくない。昨日の小さな村で食べたLomo saltadoの方がよっぽど美味しかった。

やることもないのですぐ就寝。







2/7 DAY32



トレッキング4日目
結論、マチュピチュは本当にただの観光地だった。
マチュピチュの町からバスに乗るのに列に並び、パスポートをチェックされマチュピチュ遺跡、自然保護区に入るまでにもまた列に並ぶ。観光客が次々とバスを降りる。ツアー時間は時間が決まっているそうで時間ごとにバスに乗る仕組み。エントランスにはトイレもあるが2soles、大きい荷物との入場は制限されておりクロークに預けるのも有料(5soles)。ガイドに案内され説明を受けながら観る。幸い晴れて、青空と雲とマチュピチュを囲む山々も綺麗だった。

でもSalkantayやHumantayのような自然の絶景にはやはり叶わない。
また一つ腑に落ちないのがマチュピチュは1400年代の建造物ということ。一般的にはアメリカ人が発見し、ナショナルジオグラフィックに写真が発表されて一躍有名になったマチュピチュだが、当時の写真とは全然違い綺麗に手入れされ過ぎている印象、また遺跡の中にも回る順番や、階段などが建設されていて発見当時の姿ではなく観光資源として保存するために手を加え過ぎている感じがした。実はペルーの政治が大きく絡んでいるようで、もう10年以上前からマチュピチュが閉まるだのなんだのと騒がれているが、ここから生み出される莫大なお金の額を考えたらマチュピチュが観光地でなくなることはほぼないだろう。それだけの人がこのペルー最大の観光資源の恩恵にあやかっているということ。コロナ前は1日7000人ほど、コロナ後は1日4400人を上限としているそうだ。観光客を受け入れ過ぎてマチュピチュの地盤が沈んでいるという問題もあるらしい。

もっともっとすごいエネルギーに溢れているのかと思っていたけど、何も感じることはなく、「あーね」といった感じの場所だった。期待大だった夢のマチュピチュは感動することもなくあっさりと終わった。

ペルーにはマチュピチュより素晴らしい景色と自然がある。日本にも東京よりもっと味のある伝統や歴史が詰まったいろんな場所があるのと同じ。やっぱり自分の足で歩いて体験しないと本当のことはわからないんだと強く実感した。マチュピチュからはひたすら階段を降りて、また線路沿いを歩いてHidroelectricaまで。途中、今まで見たことのない数の蝶々がそこら中で井戸端会議をしていてとても不思議な光景だった。Hidroelectricaからドライバーのマルコの車で帰路に着く。道中は道が悪過ぎてびっくり。中国の会社がこの周辺道路の工事をしていて、なんとここからマチュピチュまで最短のトンネルを掘っている。建設中のトンネルの上には中国語の大きな垂れ幕もかかっていた。
旅をしていると世界の経済がどうなっているかとか、どの資本にその国が支配されているかとか、そういうことに敏感に気づいてしまい単純に有名なマチュピチュを見て感動とかできない自分に嫌気がさしたりもする。でもこれが私が感じた素直な感想。もっと鈍感であらゆることにあーとかわーってなったら人生もっと楽なんじゃないか? とも思ったり。
ちなみにマチュピチュの入場券は78ドル〜らしい。高い。ペルーの現地通貨にすると300 soles、現地の人にとっては大金。これに、ここまでくるバス、そして私たちのように歩かない場合は5時間のバスか、1時間半のバスのお金が必要。そこまでお金をかけてオーバー観光地化されたマチュピチュに来る価値はあるのかどうか謎。
個人的にはマチュピチュより、サグラダファミリアの方が感動しそう(笑)。

トレッキング最終日、Samanawasiに戻ってきたのは23時近く。ろくにご飯も食べていなかったけど疲れ過ぎてバタンキューした。歩き過ぎて膝が痛い。







2/9 DAY34



数日ぶりに戻ってきたUrubambaの村、相変わらず綺麗で癒される。
先週より外国人(欧米人観光客)が増えたな〜。いつものカフェに入ると家を買う話をする欧米人カップルと仲介役のペルー人。ペルーでもジェントリフィケーションが始まっているのか。

今日も市場へ行ってみた。アジアの市場と同じでペルーの市場も女性がメイン。肉屋も女性。かっこいい。まだいる間に話しかけて写真を撮らせてもらいたいな。でもなかなか勇気が出ない。声をかけて写真を撮るって私にとってはすごい勇気がいること。annaの取材の時も街で見かけた可愛い子に話しかけるのってすごいエネルギーが必要で、仕事じゃなければ絶対にできないこと。仕事になると自分にあると気づかなかった勇気が出て恐る恐る話しかけたりできる。 
仕事でできるならプライベートでもできるだろうと思うんだけど中々勇気が出ない。明日また言ったら勇気を出して声をかけてみようかな。

ふと部屋の外に出るとよく見かけるというか、また黒猫がドアの前にいた。ちょうど日が当たっていてドア前の階段に座ると太ももの上に乗ってきてすやすやと寝だしたではないか。魔女の宅急便のジジみたいに真っ黒な猫だ。







2/10 DAY35



Urubambaにステイするのは明日の日曜まで。明日からはクスコの街へ移動する。
Joseのエアビーは今夜は空いていないので同じ敷地内の違う家へ引っ越し。
こっちの方が景色がいいし、少し安いし、シャワーの水量も強くていい。なんだ、最初からこっちがよかったな、なんて。窓からはいつも村へ行くのに降る道が見えて、その下にはおばあちゃんが住んでいる。すぐ隣には滑り台やブランコなどの遊具があって、その横には畑があり広い庭にはローズマリーや知ってる香りのハーブが生えている。パオロという犬がいてゴールデンブラウンの毛の長い、鼻が短い犬。よくペルーで見かける犬だ。向かいのおばあちゃんに挨拶すると横には犬もいて、おばあちゃんが私のことを「友達だから大丈夫よ」と声をかけるとやっと寄ってきて匂いを嗅いできた。もう友達になれたかな?

トレッキング最終日の夜に立ち寄ったお店で買った自家製ポテチを食べながらこれを書いているけど、油が酸化した味がする。まだペルーに来てからセビーチェを食べていない。Joseが連れてってくれた。が、その場所はなんとも日本ぽい場所で、メニューにはカツ丼や、焼きそば、お味噌汁など……でもセビーチェもあって、アペタイザーの欄にあるのにすごい量でお昼はセビーチェでお腹いっぱい。SamanaWasiに戻り、芝生の上でうとうとして寝てしまった。

そして夜はウルバンバにJoseの友人、リマ出身のペルー人が新しくギャラリーをオープンしたというのでそのオープニングについていくことに。
リマの人の顔つきはこのクスコ地方の人たちとは全然違う。もっとスペインぽいというか、ヨーロッパ寄りの顔をしている。夜ご飯はハンバーガー。また宿に戻ったら星が満天だった。この村は電気が少ないので星がよく見える。夜になると曇りがちだったからこの場所でこんなに沢山の星を見たのは初めてだ。ここでの最後の夜に素敵な贈り物。







2/11 DAY36



7時に目が覚めた。
とっても綺麗な朝。目の前の山の後ろから太陽が顔を出し、朝露で濡れた芝生と木々が輝いている。
黒猫のジジがやってきた。敷地内で引っ越したから私のことを探していたのかもしれない。お向かいのわんこパオロもいたけど昨日あんなににおいを嗅いできたのに今日は知らんぷり。

ずっと忘れていた朝の瞑想をすることにした。それからシャワーを浴びて、お茶を入れ、パッキングを進めた。
村の裏に登りたい山とも丘とも言えない小さい山タンタマルカがあってそこに行こうと思う、とJoseに話すと車で途中まで送ってくれた。しかし、歩いても山の入り口が見つからない。見かけたおじさんに尋ねるともう少しあっちだよと教えてくれたので、あっちの方に行ってみた。が、わからない。

とりあえず道らしい道を歩いていると上からおじちゃんが歩いてきた。どこからタンタマルカに登れるのか聞くと、そこから歩いて数歩の自宅らしき場所に担いでいた荷物を置いて、どうやら道を案内してくれるという。
最初、ペルー人なのか? と聞いてきたので、日本人だよというとすごくびっくりしたように、「飛行機は何時間かかるんだ?」とすぐ聞いてきたが、ペルーに至るまでの一連の流れを説明するとあーねと言った感じでそのまま歩き続けた。やがて登り口につきここまでかと思いきや、一緒に登るよとおじちゃんと話しながら、途中途中休みながら一緒に登ることになった。おじちゃんの名前はサントス。4人息子がいるらしい。本当は今日ブラジルと国境を隔てるペルー側のアマゾンに金の採掘の仕事に行かないといけないらしいが、おそらく昨日友達の誕生日で飲みすぎて行かないことにしたらしい。(多分)どうりで少し酒臭い。山を登る間も何度かハグをしてきたので匂いには気づいていた。笑 よく喋るおじちゃんでどこまで本当でどこまでが嘘かは全くわからないしケチュア語が少し混ざっていて内容全ては把握できないが、あそこに友達が住んでいて、あっちには息子がいて、他の息子はアマゾンに住んでいるだとかおじちゃんの人生というか主に仕事について聞いてもないのに色々教えてくれた。頂上に着いた。あっちに見えるのが〜村だよ、あの山の向こうはクスコだよ、昔はこんなに家はなかったんだよ。とか色々教えてくれた。10:30過ぎから登り初めてもう11:40を回っていた。当初の予定ではサクッと登ってサクッと降りて、村でお昼ご飯を食べて宿に戻り村までモトタクシーで降りてそこからバスに乗ってクスコへ行こうと考えていた。が、特に急ぐ用事もないにおでおじちゃんに任せて下山することにした。すると、来た道ではないところから降りようという。見渡す限り道がなさそうなよくわからない、ましてや落ちたらサボテンやトゲのある植物にやられて死にそうな斜面。でもまあ、ここで死ぬことはないだろうとおじちゃんと自分を信じて言われるがまま道なき道を進んで行った。

頂上からもっと奥の山の方へ岩を登ったり降りたりして歩くと、もうさっきいた場所がずいぶん遠くに見えたが頂上の峰を歩いているだけで全然高度が下がっていない。このままどうなるのかと少し不安になり始め、おじちゃん私をどこに連れていくつもりなの?! と冗談混じりで聞くと、「わしもなんでこっちに来たのかわからないんだよね。意図してなかったから。でも死ぬ時は死ぬのさ。」というので、「みんないずれは死ぬけど今は死にたくないよ!」というとハハハと笑う。遠くからみると全く道がなさそうに見える山に立つと実は道がある。道っぽくないけど細い道筋があり、山、茂み、岩、など全ての要素をクリアした山を確実に降りていくと40分くらいで下についた。
あーよかった。下山途中に何度か後ろからハグされて、興奮のドキドキではなく、困惑のドキドキがまじりながらの下山。下山したら案内料をせがまれるかなとか、もし万が一何かあったらとか最悪の場合が脳みそをかすめたりしたけどインカの法律で嘘つかない、盗まない、怠けないという掟があることを思い出して、おじちゃんの顔からはそんな感じが漂っていないのでこの思いがけない予想にもしなかった出会いを楽しむことにした。

下山仕切ると、家で何か飲み物でもと誘ってくれたけど、クスコに行かないといけないから時間がないんだと丁寧に5回くらいお断りし、また番号も置いていってと言われたけど日本の番号だから電話は届かないよと伝えて、代わりにDirt Supplyのステッカーをあげた。最後の最後にも2回くらい熱い抱擁をくれて汗臭い、アルコール混じりの匂いとともに「Te quiero, te amo y te respeto. Gracias por acompañarme」と。道を教えてくれて一緒に登ってくれたのはおじちゃんの方なのに。
そこからSamanWasiまで照りつける太陽の中を歩いていると後ろからHi という声が聞こえて振り返るとみたことのある顔、でもすぐには思い出せず。身振りで車に乗りなさいと言っているのがわかり、SamanaWasiまで? と聞くとそうだというので車に乗り込んだ。あ、そうかこのおじさんは今泊まってる宿を管理しているおばさんシルビアの旦那さんだ。昨日も今朝も敷地内ですれ違い挨拶したんだった。 私のことを覚えていてくれたらしく拾ってくれたのだ。ラッキーな日だ。
帰ってきてまたパオロに会った。今度は呼ぶと近寄ってきて気持ちよく撫でられている。なんだこれは? 瞑想効果か?

さて、SamanaWasiからモトタクシーに乗ってクスコ行きのマイクロバスが集まる乗り場へ。すぐ見つかっていざ出発。お昼も食べていないのでスナック菓子とインカコーラを買っておいた。

揺られること1時間ちょっとでクスコへ到着。そこからエアビーまでタクシー。10solesと言われてうーん絶対ぼったくられてるなと思ったけど持ち合わせの小銭9solesを渡してチェックイン。リマ出身のパメラが迎えてくれた。パメラは2年前にクスコに引っ越してきたという。フリーランスでグラフィックデザインや観光の仕事をしているそうだ。割腹の良いパメラは私と同じ食いしん坊。早速いろんなレストランの情報を教えてくれた。午後17時過ぎ、ろくに食べてないのでパメラおすすめのクスコ料理屋さんへ。量が多い! 一つ面白かったのはビールを頼んだら「al tiempo o gelado?」(常温か、冷えてるのかどっち?)と聞かれたこと。トレッキングの途中に泊まった宿でもビールを冷蔵庫に入れていなくてそのまま出そうとされたことがあってなんで!? と不思議だったけど、こっちはビールを常温で飲む文化があるらしい?!

今回の宿はクスコ空港のすぐ裏。綺麗な家で何度コンロは5口もある! パメラは料理をするのも好きだそうだ。ここでの滞在は来週の月曜まで。クスコの次にどこへ行くかはまだ決めていない。ゆっくり考えよう。先の予定を決めていなくてもそこまでソワソワしなくなってきた。バッチリなタイミングでいるべきところにいられると1ヶ月前より自分を信じられるようになったかな!






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