『Hysteric Glamour』のデニム

Just One Thing #37

『Hysteric Glamour』のデニム

KISARA(『WAY SIDE YAVIS』店主)

Contributed by ivy -Yohei Aikawa-

People / 2023.07.27

街は、スタイルが行き交う場所だ。仕事、住む場所、友だち、パートナー、その人が大切にしていることが集約された「佇まい」それこそがその人のスタイルだと思う。
 絶えず変わりゆく人生の中で、当然、スタイルだって変わる。そんな中でも、一番愛用しているものにこそ、その人のスタイルが出るんじゃないかって。今、気になるあの人に、聞いてみた。
「一番長く、愛用しているものを見せてくれないか」


#37


「あんまり一つのものを長く着ないんですよ。その中で唯一これだけは履き続けてるんです」

『Hysteric Glamour』の『スネークデニム』。脚のラインを強調するようなぴったりとしたシルエットに蛇の柄がペイントされている。白っぽいペイントは色落ちのような風合いをしていて、これ見よがしな感じがしない。単体のインパクトが強い割に、不思議と色々な服に合わせやすい。



「買った時点で既にアーカイブでした。ずっと探してたんですけど、たまたまフリマサイトで見つけて。届いて、履いたら本当にぴったりだったので気に入ってずっと履いてますね」

3カ月前、高知市の中心部、魚の棚商店街の一角に自らのショップ『WAY SIDE YAVIS』をオープンした、KISARA(以下、キサラ)。決して広くはない店だが、その品揃えはかなりフックとエッジが効いていて見応えがある。

セレクトした古着はデザインの効いたデコラティブなパンツもあれば90年代のメタルバンドやホラー映画のヴィンテージTシャツもある。古着だけではなくて、県外のローカルなストリートブランドや見慣れないモデルのスニーカーまで。一言で括るのは難しいがどれもちょっと意外性があるものであったり、一癖あるものだったり、ストリートの王道と少し距離を置いたものが多い。ヒップホップからも、スケーターからも、一歩離れたところにある。一方で、この日キサラが履いているデニム同様、実は様々なスタイルにハマりそうなものが揃っている。



そんなキサラは、やはり頻繁に様々な服を買うという。仕事柄もあるだろうし、何より新しい服やスタイルに出会うことが好きなんだろう。

「このデニムは3年目ですね。それほど長くないって思われるかもしれないけど、いろんな服を新しく買い替えていくから、これが珍しく長いんです。ほとんど、1年も着ないかもしれない(笑)」

『WAY SIDE YAVIS』のラインナップを体現するように、キサラも非常にオルタナティブなストリートスタイルを着こなしている。派手な色ものであったり、デザイン性が高いアイテム同士を掛け合わせているけれど、コーディネート全体で構築される世界観は、特定の時代とか、国とか、そういうイメージソースがわかりやすいものとは異なる。誰かの真似ではない、彼女だけのストーリーが読み取れるスタイルだ。

「服は本当にずっと好きです。好きなものはすごく変わったけど。最初は『THE 古着』みたいな感じで、そこからBガールというか、ヒップホップ寄りのスタイルになって。今はそれともまた違うスタイルだと思うんですけど、好きなものとかかっこいいものを着ていった結果こうなっていったかな、って。10代の頃から夜行バスで東京へ遊びに行ってました。最初は高円寺とか、下北とか。まだ友だちもいなかったから、ひたすら古着屋さんを回って、好きなお店を見つけて買い物して、って感じでしたね」

10代からファッションが大好きだったキサラ。当時通っていた学校や彼女が住む周りでは、同じようなものが好きな仲間とはなかなか出会えなかった。時を同じくして、音楽への目覚めも経験した。今でも大好きなヒップホップとの出会いは、そんな好きなものを楽しむ仲間がいない孤独感も関係していたのかもしれない。



「高校にラップをしてる先輩がいたんです。まだ高校生だし、他にヒップホップ好きがいる訳でもなかったからいつも一人でやってて。それが入りだったかもしれないです。その頃はSimi Labっていう(東京の)町田のクルーがいて、めちゃくちゃ好きでした。ミックスの人たちのカルチャーで、マイノリティの立場からマジョリティとか押し付けられた常識に対して問いかけるようなリリックなんです。当時の私が好きなものとか一緒に遊んで楽しい、とかそういう感覚になれる人がいなかったんで、共感するものがありましたね」

キサラが10代だったころ、ヒップホップはまだまだメインストリームでは聴かれていなかった。

「その頃、高知ではめちゃくちゃレゲエが人気でした。特に、ジャパレゲが盛り上がってましたね。イベントも頻繁にやってて。そういうレゲエのイベントでもヒップホップをやってる人とかがいて、たまに見かけるんですよ。見たとき、そっちの方がめちゃくちゃかっこいいって思って。もちろん、レゲエもかっこいいし、テンション上がるんですけど……。リリックにより共感できたのはヒップホップだったので」

好きなものを共有できる人がいない環境。だからこそ、今自らの店を持ち、彼女が好きな服、好きなスタイル、好きな音楽を形にしている。

とはいえ、東京へ遊びに行き、外の世界で音楽やファッションに触れることを早い段階から楽しんできたキサラにとって、東京や他の都市へ出るという選択はなかったのか。ずっと高知に住み続けていることが少し意外でもある。

「都会へ行きたいなあとは思っていたんですけど、生粋の田舎育ちだからか、暮らしていくのはどうしても肌には合わなくて。せっかく高知に生まれたなら、高知を盛り上げて、面白くしていくのが自分にできることかなって」

「高知を面白くしたい」この言葉の裏には、彼女自身の手で、思い描いた場やスタイルを創りたい、生み出したいという想いが隠されているように感じられる。それを裏付けるかのように、彼女は店を始めるまでの間、自ら主体となってヒップホップのイベントを手掛けていた。



「お店を始めるまでは、色んな仕事をしてました。時間とか服装を自由にできる仕事。バーとか、コールセンターとか。で、それとは別に県外から友だちを呼んでヒップホップのイベントをオーガナイズしてました。やっぱり大きかったのはSNSですね。こういうファッションとか音楽が好きな子って本当に高知にいないんですけど、Instagramを見たらいくらでも出てくるじゃないですか。東京とか、県外の人とも繋がりができて」

生まれ育ち、住んでいる街にシーンを創ること。もしかしたら彼女は自身が楽しいことを実現するために自ら動いた結果がそうなったのかもしれない。

「シンプルに高知で自分のスタイルにハマる服屋さんがなくて(笑)刺さるお店が本当にないんですよ。だったら自分でやっちゃおうか、って始めたんです」

ようやく動き出した今、『WAY SIDE YAVIS』へ徐々にキサラのスタイルへ惹かれて集まる人が出てきた。店に来た人へ、スタイルを提案することはもちろん、高知だからこそできることもある。

「高知でお店をやっていると繋がりも田舎特有の深さとかもありますからね。このお店オープンするときも、知り合いのツテで内装とか物件探しを手伝ってくれて、完成できました。あとは、この周りの商店街の人たちも暖かくて。八百屋さんとか、干物屋さんとか。物件を改装している段階から見守ってくれてて」

周囲の人を巻き込み、やりたかったことを一つずつ実現させてきた彼女にとって、一番大きいのは自らのスタイルを会う人にわかるように表現できるファッションだ。協力してくれる人、店へ足を運んでくれる人、彼女のスタイルを素敵と思う人。そういう人たちを惹きつけているのは、紛れもなく彼女の身に纏うものそのものだからだ。県外の人も巻き込んで、イベントを自ら立ち上げたときも、店を始めたときも。

そんな中で一番長く履いているというこのデニムは、一番多くの人と対面し、彼女のスタイルを構築してきたといっていい。店の前を通りがかって、ふと気になった誰かがそのドアを開けるとき、この先何度もこのデニムが多くの人の目に触れるはずだ。


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KISARA(『WAY SIDE YAVIS』店主)
高知県出身。10代にファッション、ヒップホップへの関心を深めてから頻繁に都内へ遊びに出掛ける日々を送る。現在も高知市内に在住し、過去には市内でのファッションショーや音楽イベント等のオーガナイズを手掛ける。2023年に自身のセレクトショップ『WAY SIDE YAVIS』をオープン。

Instagram: @_jus_kisa_
WAY SIDE YAVIS: @wayside_yavis_

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