『Dr.Martens』のストラップシューズ

Just One Thing #52

『Dr.Martens』のストラップシューズ

三津碧桃(ベビーシッター)

Contributed by ivy -Yohei Aikawa-

People / 2024.03.21

街は、スタイルが行き交う場所だ。仕事、住む場所、友だち、パートナー、その人が大切にしていることが集約された「佇まい」それこそがその人のスタイルだと思う。
 絶えず変わりゆく人生の中で、当然、スタイルだって変わる。そんな中でも、一番愛用しているものにこそ、その人のスタイルが出るんじゃないかって。今、気になるあの人に、聞いてみた。
「一番長く、愛用しているものを見せてくれないか」


#52


ロンドンの冬は寒い。気温が低いことはもちろん、冷たい湿った風が吹きつける。呼吸を奪うようなひんやりとした風がコートのポケットの中まで入ってくるようで、慣れないうちはかなりしんどい。時折雨が降り、基本的にはどんよりと曇っているのだから余計寒々しく感じる。日曜日の昼前だというのにそれほど人がいないのは、寒さと陰気な空のせいかもしれない。

くすんだ空の色は、どことなく洗いこんでクタっとしたデニムの色合いに似ている。待ち合わせ場所に現れた彼女が履いていたヴィンテージの『Levi’s』、501のブラックデニムもちょうどそんな色。1年ほど前からワーキングホリデービザを取得し、ロンドンへ渡った三津碧桃(ミツミワ、以下ミワ)だ。元々は名古屋市内で美容師をしていたが、ロンドンではベビーシッターとして働いている。



ロンドン暮らしにも慣れてきたのか、季節の割に少し薄着だった。ショート丈のMA-1ブルゾンに明るいインディゴブルーのキャップ、グレーのスウェットと洗い込んだブラックデニム、そして『Dr.Martens』のストラップシューズ『CAIDOS』を履いている。

この日着ていたものの中でも、特に一番のお気に入りがストラップシューズだという。メリージェーンシューズ、とも呼ばれる広めの履き口にストラップベルトがついた装飾的なデザイン。特にこの『CAIDOS』というモデルは、甲の部分に金属製のプレートがついていてパンキッシュな印象が強い。よく見たら履き口からレースの靴下が覗いている。

「買ったのは3、4年前くらいですかね。まだ20歳で、美容専門学校に通っていた頃です。名古屋に住んでいて、そこの『Dr.Martens』ショップで買いました。高校生の頃とか、専門生の頃はあまりデザイン性が強い物を買わなくて。だから、最初はちょっとデザインが攻めてるなあって思って悩んだんですけど……」

あまり着なくなった服は迷わずセカンドハンズへ売りに出してしまうというミワ。それだけにかなり長いこと履いている、かなり珍しい存在だ。

「買ったのが夏なんですけど、悩んでいた時に『目玉焼きが作れそうだな』って思ったんです。甲のプレートのところ使って、夏だから熱くなってるだろうし、ジュワって。そう思ったら『攻めてる靴』だったのが『目玉焼き作れる靴になって、急に距離が近く感じられるようになってきて」

一体何の話をしているのかいささか困惑しつつも、それはあくまできっかけのようだ。



「10代の頃、すごく髪が短かったんです。美容室へ行くことが好きすぎて、伸びる前に切っちゃうから。服装もボーイッシュな古着が多かったと思います。派手な物とか、凝ったデザインのものとか、女の子っぽいものは似合わないと思っていて。でも、フリフリなやつとかレースとか、すごく好きなんですよ、本当は」

よく見るとレースのソックスを合わせている。着ているもの一つ一つはメンズライクだけど、身体のラインが出る、どこか女性的な要素を感じる着こなしが今の彼女にハマっていた。「似合わない」と思っていたけれど、同時に好きだったもの。それを彼女なりに着こなして自分のスタイルへ落とし込む。そのきっかけをくれたのがこのストラップシューズだということか。

以前の仕事である美容師を志した理由もどこかそんなお気に入りの一足にまつわるエピソードと通じるものがある。

「ちっちゃい頃からずっと言っていました。『私、美容師になる!』って。まだ幼稚園児の頃、すごく髪が長かったんです。ある日バッサリ切ったらそれが衝撃で。痛い思いも、きつい筋トレもしていないのに、別人みたいに違う自分がそこにいて。髪を切るだけでこんなに人が変わるんだって思ったら、美容師になりたいって思うようになって」

髪を切ること自体がその人にとって大きなターニングポイントになる。そのことを幼い頃から身をもって知っていた。事実、何かの節目で髪を切る人は男女問わず多い。季節が変わるとき、高校を卒業するとき、失恋したとき……。そんな時、その人は意識しているかはさておき、自分自身を変えるきっかけを求めているのかもしれない。

「美容師をしていた頃は、お客様のネガティブな気持ちを変えたくて、寄り添うことをずっと考えていました。美容室に来るってことは今より素敵になりたいから足を運んでくれているんだと思うんです。『こんな髪型にしたいけど、私には似合わない』って、思っている人がいたら『そんなことないよ。あなたはとっても素敵だよ。こんなスタイルも絶対、似合うよ!』って言ってあげたくて」

彼女自身がきっかけを作ること。それこそがミワを突き動かしていた。幼い頃の原体験ともいえる髪を切った衝撃と、美容師になる直前に思い切って買った「少し攻めている」ストラップシューズ。そんな、人生を変えてくれた体験を自分で届けたい。ミワがやりたいことは、常にそこにベクトルが向いているようだ。



一見、やりたいことが形になっているようにも見える美容師の仕事。しかし、ミワはロンドンへ来る際、その仕事をするつもりは一切なかったという。

「周りの人からも、めちゃくちゃ言われました。『美容師の仕事しないの?』って。それこそこっちだと資格はいらないし、日本人美容師の技術レベルはすごく高いから、こっちでも需要があるみたいなんですけど……。あくまで私にとって美容師であることは手段でした。目の前にいる人が幸せになるきっかけを作れる仕事だったから。でも、美容師として有名になったり、たくさんお金を稼げるようになったり、そういうことには興味がなくて。美容師としてのキャリアを重ねていくことよりも、相手を幸せにすることを追い求めていく人生にしたいんです」

やってみたからこそ、いえること。やったことがないからこそ、惹かれること。その板挟みになってミワが出した結論は明確だった。その意味でいえば、今ミワがロンドンへいること自体、きっかけの一つでしかないようだ。

「高校生の頃から、海外へ行きたいってずっと言い続けていて。たまたまロンドンへのワーキングホリデービザの募集を知ったんです。それが締切の一週間前とかで、もうこれは行くしかないって。どこでもいいと思ってました」

ただ海外へ行きたい。そう漠然と思っている人はたくさんいるかもしれないが彼女の場合はそれとも違った。

「想像力は果てしないけど、想像できるものは今まで見聞きしたものしかないと思うんです。たとえば、『空飛ぶ車』を想像しても、その車は私が見たことあるものからイメージするしかないじゃないですか。想像できるものを狭めたくなくて、そのためには視野が広く持たないといけない。だから、本能的に知らない場所へ行って、知らないものを見たいって思っていました」

誰かに幸せのきっかけを届けるのは、その人の幸せを想像すること。だから、想像力が膨らむように、彼女自身にきっかけがあることが何よりも大切だ。実は、ロンドンに来てから始めたベビーシッターの仕事もミワに大きなインスピレーションを与えている。



「親子の会話一つとっても、日本とイギリスで全然違うんですよね。子どもに街中で『私のかわいいベイビー』とか『マイ・プリンセス』とかナチュラルに言うんですよ。こっちのお母さんって、人前でも家族に愛情表現をするのが当たり前のことだったりするから、日本ではあまり見ないなあって」

日本にいて、前の仕事をしていたら想像もつかなかったことは、きっとこの日話してくれたこと以外にもたくさんあるんだろう。

ミワはたぶん、最初からゴールを自分で決めることをしない。その代わり、自分自身に起きたきっかけを素直に受け入れて、自らの人生に変化を起こしている。そして、それを誰よりも彼女自身が楽しんでいる。もしかしたらいつかこの『Dr.Martens』のストラップシューズすら、履かなくなることがあるかもしれない。それはきっと、彼女にとってまた新しい転機が訪れているタイミングだ。

彼女がいう、幸せのきっかけを届けたい人が誰なのか。そして、想像している幸せは何なのか。その想像力は、様々な変化を受け入れ、心行くまでに楽しんでいる日々の中で、少しずつ広がって、かつたしかな輪郭をもってきているはずだ。



アーカイブはこちら





三津碧桃(ベビーシッター)
愛知県出身。前職は美容師。現在は、ベビーシッターとしてロンドン市内の家庭で住み込みで働いている。「ロンドンで一番美味しい食べ物」と語るお気に入りはショーディッチのベーグルショップ『Bagel Bake』。

Instagram:@30.honey


Tag

Writer