美味しいリマ、そしてメキシコ

the UNKNOWN #13

美味しいリマ、そしてメキシコ

Contributed by Miyu Fukada

People / 2024.03.07

心の片隅でずっと恋焦がれていた場所、南米。その地に惹かれ続けた理由を確かめるべく、写真家Miyu Fukadaさんが再び当てもない旅に出た。はじめて訪れる地で過ごす、まだ誰も予測できない出来事をリアルタイムでお届け。

#13


2/26 DAY50



目が覚めた。まだ6時。あれは海か? 海だ! 1ヶ月ぶりにみる海。空がピンク! と思ったらバスの窓に貼られているシールでピンクに見えるだけだった。
岩がゴツゴツした乾燥した景色が続いてると思ったら次のカーブを曲がった瞬間、奥の方に雪かと思うほど白いものが見えた。砂漠か。道は比較的まっすぐなのに先が見えない。道路の両側には電柱がポツポツと寂しそうに立っているのみ。周りにはお世辞にも何もない。しばらくするととっても小さい町が現れて砂漠は次の景色へと姿を変えた。右奥にはエアーズロックのような形の山。そこまでも建物は見当たらない。本当に何もない。何もないけど全てあると言った景色ではなく本当に何もない。ここで降ろされたら途方に暮れる絶望しかないような景色。地球の最果てみたいな景色だ。植物もない。あたりはただ茶色い砂と風で形作られたなんとも不思議な小さな三角ばかり。走っている車も胴の長い長距離トラック。ごくたまに乗用車も走っているけれど一体どこからきてどこへ向かっているのだろう。

やがて電線も少なくなってきた。
この辺りはずっと1本道。その脇にはグランドキャニオンを縮小したくぼみみたいのがあり、いつかは水でも流れていたのだろうか?
ここの土地をあげます! と言われても丁寧にお断りしたいくらいの本当に何にもない砂漠地帯。あるのは寂しそうな電柱とたまに現れる標識、長距離トラックが捨てたであろうゴミたち。そして広い広い空。

バスは走り続ける。
徐々に景色は変わるけど何もないのは変わらない。数キロ先もただ道と大地が広がっているだけ。大きさの感覚がもうおかしくなってきてると思う。
運転が下手だ。もうかれこれ数時間思っていたけどとうとう確信に変わった。
前に長距離トラックがいて時速30kmくらいで走っていて遅い時があるんだけど、追い抜かす途中にこの運転手なぜだか減速する。さっきは5台以上トロい長距離トラックが連なってる時があってあまりの遅さに長距離トラックを抜かす長距離トラックが出てきた。その合間を縫って抜かそうとしたらしいが前後車両との距離も近くて間に入れなくなり長距離トラックのおっさんにクラクションを鳴らされていた。とりあえず総合的に運転が下手なことが確定した。 

気づいたら寝ていて、起きたらまた景色が変わっていた。ナスカ、イカと途中停車してやっとリマに辿り着いた。17時間のバスの旅。バスターミナルからはUberで宿まで行くことにした。Uberの料金が40パーセントOFF。9.80soles 400円。ラッキー。ホストが迎えてくれて宿の説明をしてくれた。ここは2階建ての比較的古い建物。エレベーターはない。2階まで上がって部屋があるのかと思いきや私の部屋は屋上にある多分通常は物置きとして使うスペース。部屋は1人には充分。でもトイレは2階まで降りないといけない。不思議なエアビーだけど立地は良い。
海まで歩いてみた。海までと言っても崖をくだらないといけなくて、今日はとりあえず上から眺めることにした。おそらく人工的に作られたビーチなのだろう。いくつもピアが見える。波もある。でも水の色が綺麗! と言った感じではなくて、サーフィン欲をそそられないビーチだった。





2/27 DAY51



現在の口座残高は3000円ちょっと(笑)。今日の夜か明日にはもっと増えているからいいんだけど、とりあえず今持ってる30solesと口座残高で生き延びなければ! 写真を現像したくてマップで探した写真屋さんまで行くことにした。どのバスに乗ればいいのかGoogleマップには出てくるけど実際バスに乗ろうとするとバスにはなんの番号も書いてないし、地理感覚がない私にとってはエリアの名前が書いてあってもどこなのかわからない。とりあえず行きたい方面に行きそうなバスに乗ってみた。でも曲がって欲しい角では曲がってくれず、閑静な住宅街の端で降ろされた。えーー! 本当は北へ向かいたかったのに。。バスは横ばいに進んだだけ。結局バスが難しすぎてわからず歩いて行くことにした。リマは夏。暑い。普通に30度はある。どうせ歩くなら途中の景色を楽しむしかないと、閑静な住宅街、おしゃれで大きな窓、手入れの行き届いた家とその周りに停まっているベンツやBMW、レンジローバーを眺めながら歩く。ようやく写真屋さんに着いた。早速値段と出来上がりの日を聞くと3日後の金曜日。金曜はメキシコに行く日だけどフライトは夜遅く日付が変わってからなので問題ない。現像とスキャン代の半分をデポジットとして払い口座残高は1700円に。帰り道、宿の近くに安いご飯屋さんを発見。ご飯と豆とチキンが乗って、サラダもついて15soles 500円ちょっと。安い! 米と豆の組み合わせはお腹に溜まる。これで夜ご飯は食べなくても大丈夫そう。
夕方は海まで夕焼けを見に行った。夕焼けを眺めるのは万国共通だ。
濃いオレンジ色した卵の黄身のような太陽。手前にはディグダみたいな小さな島の群れがあり、卵の黄身はその奥へととろけるように沈んでいった。







2/28 DAY52



さて、今日も昨日と同じカフェに行きローカルぶってみる。昨日はラテを頼んだけど今日はカプチーノにしてみた。ちょっとだけカップは違うけど見た目はほぼ同じ。ラテの方が若干牛乳が多い気がした。値段はカプチーノの方が3solesばかり安い。さて、お金も回復したところで今日はパメラが教えてくれたセビーチェの美味しいレストランに行こうと決めていた。歩くと45分。クスコもアレキパもそして今いるリマもなんだけどまじでバスが意味不明。Googleマップで行き方を調べるとEM17とかOI09とか暗号みたいな系統番号が出てくるんだけど、実際のバスにはそんなのは全くどこにも書いていなくてどれに乗ればいいのかさっぱりわからない。バスの車体にはおそらく行く地区の名前がずらっと書いてあるんだけど当然どこなのか見当もつかない。Googleでそのバスの色と見た目を探したけれど一台通っただけでしかも停まってくれずもういいやと諦めて、30度近いリマの街を45分歩いた。ふう。br>
汗もたらたら歩いてこの大きな街を横断してはるばるオススメのレストランへ向かう自分へのご褒美に途中、アイスクリームを買ってあげた。フロリダで食べたアイスに次いで人生で2番目に大きなアイスで甘かったしお腹いっぱい。さて、歩行者優先という感覚がほぼ存在しないペルーで縦横無尽に道を渡りようやく辿り着いたレストラン、「Puerto Med」 パメラにオススメされたceviche de lenguado(ヒラメのセビーチェ)とCausaと呼ばれるケーキみたいな見た目の甘くない層になった料理はまだ13時にもなっていないのに私が歩いている間にもう売り切れてしまったらしい。仕方なく普通のセビーチェとピスコサワーを頼んだ。オーダーして席で待っているとサメ柄のアロハシャツを着たオーナーらしきおじちゃんに「ようこそ! いらっしゃい! どこから来たの?」と話しかけられた。
「日本から来たよ。リマの友達からオススメされて来たんだよ!」
「あらそうなの! それはようこそ! ごちそうさまでした!」と知っている日本語を披露してくれた。
「ごちそうさまでしたは食べ終わった後に使うフレーズなんだよ」と伝えると
「ああ、なるほど!」と。

しばらくして店の奥から薄い本を持ってきて、
「英語はわかるかい? これ私が書いた物語の本なんだ。君にプレゼントするよ」と本をプレゼントしてくれた。
パメラ曰く、このおじちゃんがレストランのオーナーのペドロでいつもこんな感じらしい。1人で初めて訪れたレストランだけどとても居心地がよかった。
そのおじちゃんはお店に人が来るたびに、挨拶や握手をしにいってお店にくるお客さん全員とコミュニケーションをとっていた。その人柄もあってか常連さんも多く、「久しぶり! 元気かい?」などと常連のおじさんや家族連れのお客さんと気さくに話す。
肝心のセビーチェ。塩加減もライムの酸っぱさ加減も完璧で、全部美味しかった。オーダーする前に前菜的な小さいコップに入ったchilcano de pescado(パメラの家でも作った魚の骨や頭などセビーチェに使わない部位をニンニクや生姜など薬味と一緒に煮込んだ出汁)が出てきたんだけど、それがもう絶品で何倍でも飲めそうな本当に美味しいスープだった。
 
ペルー料理に飽きていたけどここのセビーチェは久しぶりに「美味しい!!!」と思った愛の詰まった料理だった。セビーチェはチチャロンと呼ばれるフライと一緒に出てくる。なので一品しか頼んでないけどお腹はいっぱい。ペドロに「ごちそうさまでした!」と伝えて、写真を一枚撮って店を後にした。
旅中に必要以上に人と話さないと先週書いたけど、5年前の私だったら今日みたいにお店の人に話しかけられても、ぶっきらぼうにブスッとした顔で返事しか返せなかったけど、当時より心を開けるようになったみたいだ。道端で話しかけられてもすぐに話を切るんではなく歩きながら少しだけ話を聴ける余裕が持てるようになったし、何か物売りが近寄ってきても丁寧に断れるようになった。

リマのビーチは不思議な作りをしていて崖の下にある。
長い階段を降りないと辿り着けない。昨日ビーチまで初めて降りてみた。海沿いを歩くとサーフスクールとかボードレンタルとかかれたタープを張った簡易的な「ショップ」みたいなのがあってソフトボードとかすごい古いサーフボードが並べて置かれている。その前を歩くと裸足でスケートボードに乗った髪がクリクリのペルー人に話しかけられた。「サーフィンする?」 
「今日はしない。メイビー明日」とりあえず話だけ聞こうと板を見せてもらった。うーーん微妙。板がすごく古くてスタイルも古い。いくらか聞いても「時間にもよるよ〜」とはぐらかされて正確な値段は教えてくれなかった。インスタを教えてと言われたので教えたけれどフォローは返してない(笑)。
そんなわけで昨日はレンタルボードの値段もわからず帰ってきたんだけど、今日はレストランの帰り波だけチェックして帰ろうと海沿いからまた何十分もかけて宿まで帰ることにした。昨日も見た一本気になる板があってその板を借りるのはいくらなのか知りたかったのだ。ビーチめがけて崖を降りてその板を近くまで見に行ってみた。そうするとその板を貸し出してるらしきお兄さんが「いろんなボードあるよ〜」と話しかけてきた。
「いくらなの?」と聞くと「クラスは〜だよ」
「いやクラスじゃなくて板だけ借りたいんだ」
「そしたら30solesだね」 
「わかったありがとう! あといつがベストサーフの時間帯か教えて欲しい!」
「やっぱり朝イチかな8時とか」
「わかった! また金曜に来るね!」
と伝えてさよならした。
 
金曜と言ったのはサーフィンの波予報アプリで金曜が1番良いとでていたから。昨日も今日も風がオンショアで波を見ていてもそこまで良くなく、なおかつ水も茶色いので入る気にはならないんだけど金曜はどうやら良さそう。 
リマ最終日だけど飛行機は夜中なので時間はいっぱいある。
とりあえず金曜は朝早起きして海まで行ってみようと思う。

宿までの帰り道、日本にいる日系ペルー人の友達JPがリマに行ったら連絡してみて! という彼の友達カルロスのことを思い出してインスタで連絡をとってみた。そしたらすぐ返事が返ってきて仕事が終わったら彼女のキティと一緒に私がいるエリアまで来てくれることになった。20時頃に宿の前で待ち合わせをしてそのまま夜のリマの街を散歩した。どうやらリマでは道でたむろしてお酒を飲むのは禁止されているけれど、動いていれば道でも飲酒していいらしい。というわけで近くのコンビニでビールをゲットして、3人で話をしながら中心街までお散歩。まずはケネディー公園へ。この公園のネズミ駆除のために政府が猫を連れてきたら、その猫同士で繁殖してしまって今では猫が増えすぎて困っているという話らしい。野良猫はペルーで見かけることはほぼなく、野良犬の方が多いのにここは野良猫だらけ。そのために猫目当てに公園に来る人も多いそう。リマにコンビニというものができたのはここ最近の話らしい。それまではbodegaと呼ばれる売店的な店だけだったという。ペルーで一番最初にできたコンビニチェーン名前は「TAMBO」タンボという。タンボとはケチュア語で休憩どころ、みたいな意味があるらしい。ロゴもなんか印象的で、紫と黄色の配色もいけてる。それからはいろんなところでTAMBOが目に入るようになった。今まではその存在さえ知らなかったのに。
それからもコンビニでお酒をゲットして飲み歩きながらBarrancoというエリアへ。ここはリマのボヘミアンカルチャーの中心。街のあらゆる壁に壁画が書かれていた。願い事をしてから渡ると願いが叶うという橋を渡ってそのすぐ傍にあるレストランへ。ペルーに来てからまだ一度も食べたことのなかった「Causa」と牛ハツの串焼き「Anticucho」を頼んだ。私が苦手だと思ってたチチャモラダも、普通に美味しかったし甘いものは別腹ということで頼んだ「Picarones」というペルーのドーナツも全部美味しくて満腹満足。しかもカルロスがせっかくペルーに来たんだからと全て奢ってくれた。「本当にありがとう! ずっと1人だったから夜も出歩いてなくてすごく最高な夜になったよ!」と伝えると「いいよいいよ! 今度俺たちが日本に行ったらよろしくね!」と。
その後はスケーターでリマでスケーターが集まるスポットにも連れて行ってくれた。昔はスケートすると警察に怒られたらしいが、今ではスケートがこのリマのカルチャーの一つになったそうで全然怒られないらしい。日本のスケーターからしたらなんとも羨ましいし信じられない話だろう。そのスポットには若いスケーター達が溜まっていて、普通に女の子のスケーターもいた。世界は変わってきているなと実感した。
本当に数ヶ月ぶりに夜の街に出歩いて帰りはカルロス達のタクシーで途中でおろしてもらって帰宅したのは12時過ぎ。お腹もいっぱいで久しぶりに人といろんな会話をして笑った、満腹で楽しい夜だった。







2/29 DAY53



朝はいつものコーヒー屋さんへ行ってリラックス。
今日は特に何もする気が起きなくて宿でダラダラ。カルロスから夕方うちに来なよ! と連絡があった。カルロスの住むエリア Jesus Mariaまでタクシーで向かった。タクシー代はわずか450円、25分くらいの距離。
そのエリアはさらにローカルといった感じで観光客や車も少なく落ち着いた雰囲気だった。家でビールを飲んで夜リマの中心街へみんなで遊びに行った。
ペルーにはPlaza de Armaという広場が各都市にある。これはインカ時代の伝統らしく四角い広場の周りに教会や市役所などの建物が壁のように立っている。リマのPlaza de Armasは初めてだったけど、やっぱりどこの広場とも同じで人の集まる場所だった。
そのあと連れていってくれたのはGran Hotel Bolvierというホテル。ホテルの中に天井の高いサロンがありそこがバーになっている。ここのPisco Sour de catedralというのが有名らしくそれを飲みに連れてきてくれたのだった。なんとそのPisco Sourは47soles! 一昨日食べたセビーチェとほぼ同じ値段。でも2つで4人分の量があり、すでに4人分に分けて持ってきてくれた。昨日も今日もカルロスの至れり尽くせりでリマの街を色々と案内してくれて本当に最高な時間を過ごすことができて嬉しかった。カルロス曰く日本に6年住んでいた時、日本のスケーターの友達や日本人がよくしてくれたからその恩返しだと。旅先でこういう友達ができると私も同じようにおもてなしをしようと素直に思わせてくれる。ブラジル以来に地元の友達のおかげで1人だったらいかなかった場所や現地の様子を垣間見れてリマの滞在も本当に楽しいものとなった。
カルロスありがとう! そしてカルロスと繋げてくれたJPもありがとう!







3/1 DAY54




リマ最終日
サーフィンをしようと思っていたけど予報を見るとどうやら風が入っていて波は良くなさそう。午後から明日にかけて良くなりそう。でも19時ごろには空港に向かうので時間が微妙だ。

とりあえずこの5日間通ったコーヒー屋さんへ最後のコーヒーを飲みに。それから一度宿に戻り、パッキングを8割終わらせて現像したネガのピックアップのついでにカルロスの彼女から美味しいと聞いたSiete Sopasという日替わりスープのレストランへ。今日の日替わりはChupeと呼ばれるちょっとクリーミーなスープ。美味しかった〜。それから歩いてフィルムをピックアップしに。
そのあとはバスに乗らず時間もあるので街を観察しながら宿まで歩いて戻った。 

リマはカオスだ。 
2車線でも3車線になってるし、そもそも車線の概念がないのか車線と車線の間を普通に走る車はいっぱいだし、ウインカーの意味は全くないみたいだし、信号もあってないような……。
歩行者の信号が青で渡っていてもお構いなしに横断歩道に車は突っ込んでくるし、なんでもありすぎるカオス。クラクションは歩行者には鳴らさないものの道路のど真ん中でなぜか駐停車してる車など道路の真ん中で全く動かない車にはお構いなしにブーブービービー鳴らす。ブラジルもジャマイカもインドもカンボジアも今まで色んなカオスというものを体験してきたけどペルーの特にリマの運転事情は本当に何も理解できないほどカオス。車線をまたぐように横から入ってくる車があり、そのおかげで反対車線の車は行き詰って動けないとか当たり前すぎる光景。
そうやって入ってきたら他の車にすごい影響があるとか何も考えないのか? とか運転手に聞いてみたい質問ばかり浮かぶ。不思議すぎてしょうがない。
譲るとかそういう言葉はどうやら存在しないらしい。

約1ヶ月前リマでのトランジットぶりにこの空港へ戻ってきた。そしてご飯の美味しい同じレストランにまた入ることにした。美味しい食事を楽しんでいるとすぐ外から「医者はいないかー?!」と叫びながら人がレストランに入ってきて何かと思ったらすぐ外で人が気を失ったか何かで人だかりができて誰か医療関係者を探している。そういえば一昨日もカルロスたちと入ったレストランで子供か誰かが喉に食べ物を詰まらせ周りの大人たちがパニック状態で助けを求めていた。  

そう言った感じにカオスを至る所で目撃しなんとも秩序のないというか運転に関していえば効率とか自分の運転の与える影響などは悪気もなく当たり前に考えないペルーとの時間も今日までだと考えると少し安心なのか寂しいのかもはやわからない。
自分の当たり前が当たり前でない場所にいるとハテナが頭の中を埋め尽くしてたまに疲れる。驚きとかを通り越して理解出来なさすぎて脳内がハテナのまま停止している感じ。答えを見つけようなんて無謀。だって絶対みつからないもん。理解しようとするだけ時間と脳みその無駄であってそういうものなんだと丸飲みした方が健康に良いと思う。 

さて、2杯目に頼んだピスコサワーが強すぎたのか頼んだご飯を綺麗さっぱり食べたのに、いきなり吐き気がしてトイレで全てさよならした。お腹がペコペコのまま機内へ。でも配られたサンドイッチは食べる気がせずそのまま就寝。 

 





3/2 DAY55




寝心地が悪くて目が覚めた。隣の人は肘で押してくるし。空はまだ暗い。しばらくして機内が明るくなりあと1時間ほどでメキシコに着くというアナウンス。
空から見た夜明け前のメキシコは予想以上にキラキラしていて白とオレンジの電気がチカチカしていた。メキシコシティでは逗子の友達、斌太(ブンタ)の家に泊めてもらう。空港から車で20分ほど。タクシーは1000円。ざっとペルーの倍の値段だ。もらっていた住所の前に着いた。夜明けのメキシコシティ。斌太は5年前に日本を出て、グアテマラでスペイン語を勉強しメキシコシティの大学に通うため4年前にメキシコに来た。今はシティで一番人気のタトゥーショップで彫師の見習い中。5年前くらいからずっとメキシコに来てみたくてやっと来れた。斌太がメキシコに住み始めてから、何度も「メキシコ行くから!」と話をしていてやっと実現したのだ。斌太がもう朝なのにタクシーのうんちゃんに「Buenas noches!」と挨拶をするもんだから寝てないのかと聞くとほんの3時間前の朝4時に家に帰ってきたらしい。メキシコライフをすっかり楽しんでるみたいだ。
 
仮眠をとって、10時くらいに起きてシャワーを浴びて街へ繰り出した。泊まっている家の下にはこれまたコーヒー屋さんがあるんだけど値段はあまり日本と変わらない。コロナ時期からこのエリア「Roma Norte」はアメリカ人をはじめとする外国人に人気になり、彼らのお気に入りになりそうなポッシュなレストランやカフェがめちゃくちゃ増えたそう。街を歩くと英語やフランス語も聞こえてくる。その中でもフードトラックで売っているタコス屋さんもあり、まだまだローカル感はある。街も道に生えているサボテンも、建物もなんか色々全てが可愛い。歩いていると公園の周りで骨董市をやっていた。まさにそこに着いた瞬間、斌太から骨董市をやっているよとピンが送られてきた。なんというタイミング。少し歩くと古いカメラを売っているおじちゃんを発見。眺めていると「気になるのがあったら手に取ってみてね!」と声をかけられた。カビているのもあるし、状態が良くないのも多いがその中でレンズが日本産の綺麗なコンパクトフィルムカメラを発見した。バッテリーを入れて試さないとなんともわからないのでバッテリーがあるか聞くとバッグのポケットからバッテリーを探してくれて入れてみると普通に動く。良さそうだ。値段を聞くと400ペソ。日本円で約3500円。数あるジャンクの中から動くカメラを見つけたからか、おじちゃんに「お目が高いね」的なことを言われた。「写真が好きなんだ!」と、持ち合わせていたフィルムカメラ2台を見せると「これは初めてみるけどいいカメラだね」と会話が続いた。おじちゃんの名前はフランシスコ。とりあえず挨拶をして現金を持ち合わせていないので一旦ATMを探しに行くことにしてそこを離れた。うーん、どうしよう。戻ってあのカメラをゲットしようか少し迷っている。明日もやっているというので少し考えることにした。そのまま斌太の働くタトゥーショップへ。2時間ほどゆっくりした後、斌太とご飯を食べにメキシコシティの中心街へ。中華街があった。土曜日な訳かたくさんの人で賑わっている。しばらく歩いて、人のたくさん入っているタコス屋さんへ。小さいタコス3つで350円。安いなあ。

そのあとArte Popularメキシコのポピュラーアートの美術館へ。メキシコらしい色使い、でもどこかアジアやアフリカっぽい作品や伝統工芸品などを見て回った。それから歩いて家のエリアへ向かう途中、日本人のショウタさんとメキシコ人のパートナーのJacquieがオーナーの「Loose blues」というセレクトショップ兼レストランへ。一階が服屋、2階がレストランという作り。メキシコに来て15年目、服屋は11年、レストランも10年ほどやっているというショウタさん曰く、本当にここ数年でレストランやカフェが一気に増え外国人の数も増えたそうだ。
2階のレストランの雰囲気がすごくいい。壁にはアートも飾ってある。それを見ながらふとやっぱり海外で展示したいなと思った。ここメキシコで。斌太に「やっぱり海外で展示したいよね〜」とボソッと呟くと、「え、ここでやればいいじゃん!」と。そのあとすぐJacquieにその話を斌太が話すと、「全然ウェルカムだよ! でも時間も少ないと思うからもし本当にやりたくなったら教えて! 今飾っているアートも一回外せるし相談して! でもノープレッシャーね」と言ってくれた。写真展は時間をかけて準備した方がいいと今までの経験で思っていた。でも初めて訪れた場所で感じたものをそのまま表現してみるのも面白いかもしれない。いきなり体中の細胞がイキイキするのを感じた。







3/3 DAY56




今日も街を歩く、歩く、歩く。昨日いきなり出てきた展示の話。何か形にしてこの新しい土地に種を蒔いてまた戻って来れるようにしたい。そんなことを考えながらここ数ヶ月の旅、そして今いるメキシコで何を自分が感じ何を伝えたいのか考えながらひたすら歩いた。
やっぱり新しい場所に来たら一番最初に行きたいのは市場。昨日行った家から割と近い市場はイマイチだったので今日は歩いて30分ほどのMercado San Juanへ行ってみた。日曜だからかそんなに人は多くない上にやってないお店も色々あって、さらっと回って外に出た。気分に任せて歩くと角を曲がってすぐ何やら人で賑わっている通りに出た。何やらもう一個市場があるみたい。中に入ってみるとさっきの市場よりもっと多くの人で賑わっていて地元の人も観光客も混ざって、どうやら朝食を食べているようだった。大きなテーブルがあってみんな相席。ローカルっぽいおばあちゃんがお肉がてんこ盛りのプレートを食べている。うわーこのおばあちゃんの写真撮りたい。その相席にはおばあちゃん以外座っていない。どうしようかと写真を撮るタイミングを伺っていると、店員のお兄ちゃんに、「朝ごはんは食べた? 食べて行かない?」と声をかけられ考える暇もなく気づいたらそのおばあちゃんの斜め向かい、2席離れたところに腰掛けていた。メニューがいっぱいありすぎる&メニューの名前をみても何かよくわからない。これは新しい国に行くとよくあることだけど、スペイン語がわかっても地域によって食べ物も色々違うので呼び名も違う。例えば唐揚げを北海道ではザンギと言う感じ? とりあえずおばあちゃんみたいなガッツリお肉は重すぎるなーと思い、とりあえずhuevos(卵)と書いてあるメニューを頼んだ。卵と一緒にチョリソーなど色々一緒に来るみたい。それと、オレンジジュース。

しばらくして大きなお皿が運ばれてきた。結構半熟な目玉焼き二つが、トルティーヤの上に乗っているその上にはシャばい豆の煮込みとオレンジと緑色のソースがかかっている。うん、よくわからない。味はするのか?! テーブルには給食で使いそうな大きな銀のお皿が置いてあり、玉ねぎの微塵切り、パクチーの微塵切り、ライム、チリなどが乗っている。玉ねぎとパクチー、ライムを絞ってテーブルに常備されているサルサもかけて食べてみた。見た目ではわからなかったけどなんだがいろんな味が詰まっている! お店のお姉さんがやってきて、パンかトルティーヤどっちがいい? と聞かれた。へえ、そんなのも付いてくるのか。2択のチョイスがなんともメキシコらしい。メキシコではトルティーヤが日常。ちなみにご存知だと思うがトルティーヤはとうもろこしの粉で作られた生地。日本によくある小麦の生地はメキシコではGringaと呼ぶ。(ちなみにgringoはアメリカ人の意味。tortillaは女性名詞なのでこの場合gringaとなる)ほかほかのトルティーヤが運ばれてきて、お皿のソースや卵をつけて食べる。トルティーヤは3枚だけでプレートも見た目はそんなにボリューミーじゃないのに全部食べたらお腹ぱんぱん! でも緑のサルサが辛くてオレンジジュースをもう一杯頼んだ。

この合間にしっかりおばあちゃんの写真も撮った。それにしてもよく食べる。コーヒーとオレンジジュースのおかわり、お皿にあったお肉はいつの間にかなくなっていた。私の隣に座ってきたメキシコ人観光客の人にも気軽に話しかけて、どのメニューが美味しいだとか色々話している。メキシコ人は気さくだ。さてお会計。このプレートはメニューに90ペソと書いてあったからオレンジジュースを足していくらかな? なんて思っていたらどうやら朝食メニューのオレンジジュースはサービスらしく、お会計は変わらず90ペソだった。メキシコの物価は日本とそこまで変わらない。ブラジルやペルーの価格とは全然違う。90ペソは850円くらい。
さて、お世話になっている斌太の家にはちゃんとキッチンもあるので約1ヶ月ぶりに料理しようと市場へ買い物へ。そしてアジアンスーパーにも行った。これがまたびっくり仰天。アジアンスーパーが高い。バルセロナのアジアンスーパーは比較的安いんだけど、それの2倍くらいの価格。

メキシコシティは広くて、歩いて色々行くと結構大変。
夜は家で市場で買った野菜と鶏肉で炒め物、そして卵スープ。久しぶりに料理したな。おいしかった!







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