MY FAVORITE MOVIE #4
ティモシー・シャラメの残像
Contributed by MFM CULB
People / 2023.05.10
世の中のお洒落さんたちはみんなティモシーの虜だ。
そんな偏見でしかない僕の意見は、あながち間違っていないとも思う。その証拠に僕のお友達であり、最強のお洒落さんRemiもティモシー好き。ティモシーの出世作『君の名前で僕を呼んで』を学生当時に観た時は死ぬほど影響されて二人で騒いでいた。それ以降、ティモシー出演の作品が上映されると決まった日には、二人の会話まで決まってティモシー出演だ。
NOW SHOWING
【君の名前で僕を呼んで】
仕事終わり。久しぶりにRemiとご飯を食べることに。
Remiとの旅のお話は前にしたね。Remiは映画と音楽と洋服が大好きなとってもキュートな子で僕たちは“映画好き”という共通点があって学生の時に意気投合。これは仲良くなってから発見したんだけど、僕らの両親のルーツが同じだったり、映画を観たあとの考え方とか影響の受け方が似ていることもあって、より関係性が深まったのだ。そして僕が唯一と言っていいほど積極的に映画を誘う子でもある。
会った瞬間に毎度毎度違う記憶が蘇ってくるぐらい彼女とは色んな思い出がある。屋台のおっちゃんと仲良くなって全然寝れなかった1泊2日の福岡旅や、ノンストップで映画と音楽の話を語り続ける日々。一緒に過ごす時間はそれほど多くなかったけど、その一瞬が濃くて重い時間だった。会えばコーヒー片手に永遠と会話する僕らの時間はかなり特別だと思う。(僕はRemiと過ごす時間が本当に大好き)
前に、僕の大好きなデヴィッド・リンチ監督の自伝本『夢見る部屋』を読んだ時引っかかった言葉がある。それは彼がフェリーニとした会話の中の一節。
昔は下りてきてコーヒーを飲んだら、映画学生たちがたくさんやってきて、おしゃべりをすると、みんな映画のことはなんでも知っていた。テレビなんか観ないで映画館に出かけ、映画が終わった後に映画学生たちとカフェで沢山話したもんだ。
この言葉を目にした時、羨ましくて仕方がなかった。僕の望んでいるシチュエーションはこれだと確信したから。映画を観て、ああだ、こうだ言い合って、映画を自分たちの時間へと変える。それがとっても羨ましかった。
でも、今思い返してみれば僕とRemiが過ごした時間はこうだったよなと。学校で話すとなると決まって映画の話。「これに影響受けた」「これが良かった」って。しまいにはDVDの貸し借りをして、返す時にはお互い感想の手紙をつけたり。常にこの世に一つしかない名作を見つけたかのようにはしゃいだっけ。
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その中でも盛り上がった作品の一つ『君の名前で僕を呼んで』は僕の中でかなり印象的で、僕らは互いにInstagramでとんでもない熱量のレビューをしたり、会えば二人でずーっとこの映画について語った。僕はふと思い出し、「もしかして…。」とInstagramのアーカイブを開くと、やっぱりあった! 当時の僕の感想が。
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2018/04/27-bunkamura ル・シネマ-
ゆっくりと丁寧に2人を映し出した作品だった。エリオとオリヴァーの確かめ合い、探り合う姿はとても愛おしく、ナチュラルに丁寧に描かれている2人はシンプルに愛し合っていた。
この作品のラストシーン。胸が苦しくなったけど、それは今までの作品とは違って恋の痛みを真っ直ぐに描くことによって生まれた痛みだった。人に真っ直ぐに恋をしている人の痛み。一人一人の声。音。表情。言葉。全てに重みがあり、説得力があった。
エリオとオリヴァーはいつでも隙間があるように感じる。頭を傾けるシーン。足先が触れ合うシーン。2人の隙間、その距離を埋めるようにお互いを確かめ合う。そんな2人の姿が本当に愛おしくて、見ている人の心の隙間にもすっと入ってくる作品だった。
この過ごした時間を忘れない。忘れたくない。と思えるほど相手を思えることは何回もあることではない。だからこそ、そのかけがえのない時間を見過ごさないように決して自分に嘘はついてはいけない。エリオのお父さんが言った言葉がまた反復する。あの言葉を信じたら不安定な場所でも歩ける気がした。
『君の名前で僕を呼んで』はキラキラとした作品ではないけど、どこかロマンチックで、素敵なことを教えてくれる作品だ。僕も「過ごした時間を人生で忘れない、忘れたくない」と思うほどの痛みを伴う愛しい時間を過ごしてみたいと思った。
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当時の僕はこんなことを思ったんだね。
公開日。学校帰りに渋谷まで観に行って、その日の晩にこのレビューをアップすると「早く観たい!!」ってRemiからすぐに連絡がきたことまで思い出した。あぁ懐かしい。
僕はちょうどこのぐらいの頃から文章を書くようになって、友達から「僕の書く文が好き」って言ってもらえたのが嬉しくて今も書き続けている。今までは苦手意識しかなかった文章はいつしか僕にとって大事な捌け口になっていた。今読み返すと少し薄っぺらい気もするなぁなんて思ったけど、当時の僕らにとってこの映画の影響力はかなり大きかったらしい。
まだ学生だったあの頃。子供とも大人とも位置付けにくい時期に、スクリーンの中でエリオのお父さんが投げかけた言葉。その言葉にホッとしたのかもしれない。
思ってもいない時に自然は狡猾な方法で人の弱さを見つける。そんな時は私がついてる。
僕らが大人に言って欲しかった言葉だ。
僕とRemiは意外にもティモシーの端正なルックスの話でなく、このシーンの話ばかりしていた。今ちゃんと記憶を辿ると、僕らを夢中にさせた“ティモシー・シャラメの残像”は、ティモシー・シャラメの残像でなく『君の名前で僕を呼んで』作品そのものの残像だったのかもしれないね。そんなことをぐるぐる思い出しながら懐かしい話も交えて呑むお酒はやっぱり美味い。
僕らの間に存在する“ティモシー・シャラメの残像”は今後も大きな影響を与えた残像として僕らの間に残り続ける。その残像はこれからも僕らの隙間を埋める大切な残像だ。
END
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