『DOUBLE FOOTWEAR』の革靴

Just One Thing #56

『DOUBLE FOOTWEAR』の革靴

JARO(イラストレーター)

Contributed by ivy -Yohei Aikawa-

People / 2024.05.17

街は、スタイルが行き交う場所だ。仕事、住む場所、友だち、パートナー、その人が大切にしていることが集約された「佇まい」それこそがその人のスタイルだと思う。
 絶えず変わりゆく人生の中で、当然、スタイルだって変わる。そんな中でも、一番愛用しているものにこそ、その人のスタイルが出るんじゃないかって。今、気になるあの人に、聞いてみた。
「一番長く、愛用しているものを見せてくれないか」


#56


大人になる、ってどういうことだろう。なんだかとても味気なくてつまらないものを想像してしまう人が多いかもしれないし、不自由で窮屈な印象を受ける人もいるかもしれない。「いい歳なんだから」「あいつは大人になりきれない」「いい大人が何をしているんだ」そんなニュアンスで使われることが多い。

イラストレーターのJARO(ジャロ、以下JARO)が20歳の時に買ってから履き続けているチロリアンシューズは本人曰く“大人になるきっかけ”として印象深い一足だという。外を出歩くとき、オーバーサイズのスウェットとワークパンツやトラックパンツ、帽子を目深に被っていることが多い。カジュアルな装いにも馴染むぽってりしたフォルム。ボリューム感があるから、普段から着ているダボダボのワークウェアともよく合う。JAROがここでいう「大人になる」ということはどういったニュアンスなのか。





「ガムシャラでなくなることかな。10代の頃、グラフィティを追いかけてガムシャラに街を歩き回っていたんだ。そういうときは、履きつぶしちゃうからさ、スニーカーで歩くことが当たり前だったんだけど……。これを履くときはそこまでガムシャラに歩き回れないよね。大切な人とゆっくり話をしたり、お茶をしたりするときに履いて行く靴。履く頻度自体は多くないけど、そういう機会ができたことが大人になったきっかけだと思う」

JAROの作品には、動植物や身の回りのものをモチーフにしたキャラクターが登場する。目を惹くポップでカラフルな配色、躍動感ある大胆な構図、線が太くエネルギッシュな画風などグラフィティからの影響が強い。

「元々グラフィティのカルチャーに憧れとか尊敬を持ちながら、それを自分の絵に落とし込んでたんだけど、なんかその憧れだけに引っ張られ過ぎていたと思う。自分のスタイルができたかなあ。憧れのものに酔っ払いすぎて、追っかけまくってたあの頃より、自分らしさができて、軸が決まったなって思った時に、ちょっと大人になった気がして」

無心に、我を忘れるほど熱中する。それを超えた先に、自己内省、自身との対話を通して本当にやりたいことが見えてくる。JAROの中でいう“大人になること”はそういうことのようだ。

「幼稚園ぐらいの頃からすごい引っかかってたの。当時は、一般の人と同じ目線で見ていた。ああいうタッチで、スプレーで描いたものを、家のそばとか、街中で見かけて、漠然と好きだなあと思って。でも、落書きとしか思っていなかったから、それが文化でどういう人がどういうメッセージを込めてやっているとかは知らなくて。高校生の時かな友だちが教えてくれて」

公共の場に自らの名前を作品として残していくグラフィティ。10代の頃のJAROは、スニーカーがボロボロになるまで夢中で街にあるグラフィティを追いかけ、自身の作品もそれに寄っていたという。



とはいえ、憧れていたものから離れるということは心のどこかで違和感を感じていたのではないか。今でも絵を描き続けているJAROにとって、それはどのようなきっかけがあり、どうしてそう思うに至ったのか。

「そのコミュニティに染まり切れなかったというか、入り込み切れなかったというか。好きで追いかけて、関わりを持つ中でグラフィティをしている人たちのことが大好きだった。でも、自分の人間性とか、スタイルとか。で、グラフィティを同じように、憧れの人たちと同じスタイルでやって、自分がやりきれるのかって言ったらそうじゃない」

憧れがゆえに、自分自身でやりたい表現との違いに気づけなくなってしまう。そんなところか。

「どこかJAROが無理しているところがあったと思うんだ。もちろん、好きなことは前提でね。これはもう、どちらかというとJAROの人間性とか個人レベルのことになってくると思う」

カルチャーの中には、そこに携わる個々のパーソナリティが存在している。JARO自身が内面を表現するにあたり、“型”から離れていくことはある種必然だったのかもしれない。自身がやりたい表現とは何だったのか。

「JAROっていう名前は普段の自分自身とは別人格だと思ってる。普段の自分は“ビビリ”。JAROはありたい自分の姿で、挑戦的でありたいし、自分が挑戦できないことをやっていく存在だと思うんだ」

アーティストとして表現しているのは、自分自身のありたい姿。JAROの作品に登場するキャラクターたちはユーモラスで、愛らしいフォルムをしていて、カラフルだ。ポップな作風といって齟齬はないだろう。ただ、作品中の彼らはポーカーフェイス。どこか意味ありげな表情をしていることが多い。

「作品の中にいるのは、全部JAROの仲間なんだよね。だから、ピースな世界なんだけど、それぞれが持っている本人はネガティブに思っているところとか、完璧じゃない部分も大切にしていきたいと思う。児童文学で『ミスターメンリトルミス』ってあるんだけど、それがずっと好きで、ドジとか、心配性とか、キャラクターの個性をそれぞれすごく尊重しているから」



色々な仲間を増やしたい。人の個性に分け隔てなく寄り添える存在でいたい。自己表現でありながら、人間として周囲との関係性なしには生み出されない世界がJAROの作品に描かれている。

JAROがこの日履いてきたお気に入りの靴を履いて街を歩くとき、多くの場合絵を描く時ではないだろう。また、グラフィティのコミュニティとは別の友人たちと席を共にしていることも多いはずだ。
普段関わる人とは全く異なる場所へ足を運ぶ。好奇心の赴くままに関わる人を仲間にしていく。それこそがJAROのありたかった姿なのかもしれない。やってみたかったことをやる。ガムシャラに憧れを追いかけていただけでは見えなかった自分自身のスタンスが固まること。

「大人になった」JAROだからこそ創り出せる世界がキャンバスの中に広がっている。


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JARO(イラストレーター)
詳細プロフィールは非公開。時折展示やポップアップを行っている。作品は本人のInstagramまで。
Instagram:@jaro_ja_ro

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