海から山へ

the UNKNOWN #9

海から山へ

Contributed by Miyu Fukada

People / 2024.02.07

心の片隅でずっと恋焦がれていた場所、南米。その地に惹かれ続けた理由を確かめるべく、写真家Miyu Fukadaさんが再び当てもない旅に出た。はじめて訪れる地で過ごす、まだ誰も予測できない出来事をリアルタイムでお届け。

#9


1/29 DAY22



月曜 
昨日の自分のモヤモヤと嵐のような天気が嘘のように朝から快晴。
どうやらモヤモヤ期間は抜けたみたいだ。
たまに来るこのモヤモヤ期間は自分の調整のためにやってくる。その度に本当にやりたいこと、自分は自分でいいんだと自分に優しくなるキッカケになっていると思う。もっとできる、もっと上、もっと仕事しないと、とか現状の自分を褒めずにもっともっとと求めがちで、さらには何か小さな外部的なきっかけで落ち込んだりする。 
旅は自分の細かな精神状態を観察するにはいい機会。日本の日常の中では何かとやることがあったりして、しばらくシカトできるけど旅中は自分ひとりとしかいないし特に日々のルーティンなどに惑わされることもないので、とことん居心地が悪いモヤモヤと向き合わざるを得ない状況になる。それでいい。それがいい。この旅はまたもう3段階くらい自分をレベルアップするためにしているのかもしれない。
というかレベルアップしたいから旅に出たんだ!

母の友人がリオに住んでる日本人と繋げてくれた。名前はテツヤさん。先週テツヤさんが連絡をくれてリオ市内では2月のカーニバルに向けてBloco(ブロコ)と呼ばれるチームでサンバの練習が毎日どこかで行われていると教えてくれていた。テツヤさん本人は今はリオにおらず、28日に帰ってくると聞いていた。先週はモヤモヤもあったせいか1人で市内へは行く気になれなかった。
朝8時過ぎから2時間ちょっとサーフィンをして家に帰ってくると、テツヤさんからメッセージがあった。24日からMacumba(市内から車で1時間)の場所に移動していると伝えたはずなのに市内のバーでライブがあるからと懲りずに連絡をくれた。市内か……バスと電車を乗り継いでも1.5時間かかる。一番わかりにくく、乗るのが不安なのがバスだった。あ、そうだUberで最寄りのメトロの駅まで行けばいいんだ。
毎日海に入るかビーチに行って散歩して、特にこれといった予定もないので行ってみることにした。

30分以内に家を出た。早めに市内に行って色々歩いてみよう!
晴れの日にバイクで走る海沿いは気持ちがいい。白い砂に映えるパラソルの色そして青い海と空。メトロはサンパウロのメトロより広々してて綺麗だった。みんなリュックを前にして乗ってくる。
なんなら町中を歩いている時もリュックを前に持ってる人をよく見かける。防犯対策か? メトロにはラッシュ時の女性専用車両もある。へ〜!
8年前のオリンピックを機に町は「綺麗」にされたと聞いたがこういうことなのか? 表向きは綺麗になったかもしれないけど元々住んでいた所得の低い人たちが住めなくなったことはあるだろう。メトロの路線もオリンピックを機に延長されたそうだ。

メトロに乗って30分くらい グロリアという駅で降りた。久しぶりの都会。
朝家でマンゴーとバナナとココナッツウォーターでジュースを作り、2、3時間サーフィンしてアサイーを食べて何も食べてないのでお腹がぺこぺこ! とりあえず腹ごしらえをしようと歩くと角にレストランがありそこで遅めのランチ。生ビールを一杯のみ綺麗に食べていざ散策。
久しぶりに来た都会(と言ってもリオの中での都会)で人の動きがあり楽しい!
そのままマップは見ずに歩いてみることに。

インスタスポットで有名な階段を発見。とりあえず登ってみる。もっと上がありそうだと思い眺めを求めて石畳の坂を登り続けた。家は木造でポルトガル植民地時代の建物が残っていて壁にタイルが施されている家もあり、道は石畳で坂が多い。どこかリズボンらしい雰囲気。登り続けると、丘の上からは初めてみるリオの別の景色があった。汗ばむ肌に気持ちの良い風が吹く。
リオではワーゲンのビートルが時より走っていて可愛いのだけど、丘の上にも何台か停まっていてなんだかジブリ映画のワンシーンみたいだった。

そのまま歩き続け、石畳のクネクネ道をさっき登ってきた道とは違うルートでグロリアまで降りた。トイレに行くついでに町の角にあるバーでビールを頼む。そのまま人間観察。
ブラジルって面白いなあ。市内とはいえ沢山木が生えていてその一本一本がとにかく大きい。約束の時間が近づいてきた。でもまた坂を登るのはなあ。またUberタクシーのバイクを使った。

坂の上まで10分程度。料金は5BRL 160円くらい。やすー!

テツヤさんに指定されたバーはなんとさっき丘の上で通ったところだった。その時は地元のおっちゃんが数人いただけで観光客らしき人はいなかった。戻った時には満席。座れない人たちは立ち飲みスタイル。
しばらくしてテツヤさんを発見。初めましてと挨拶してビール片手に音楽を聴きながら今まで溜め込んでいたブラジルの知りたいことを次々と質問した。テツヤさんはリオに住んで12、3年という。MPBなどのブラジル音楽に魅了されてやってきたそうだ。私もブラジル音楽が好きで来てみたけど全てが新し過ぎ、そしてポルトガル語のボキャブラリーの低さでなかなか会話ができないので(文法はスペイン語と似ているので単語さえわかれば喋れる)文化までは突っ込んでいけていない。テツヤさんと色々話して、ブラジルはまだまだ大きいと実感した。また戻って来たい。

そのまま坂を歩いて下って、ダウンタウンのバーでパステルを頼んだ。ここのパステルは揚げ餃子みたいなスタイル。夜21時過ぎなのに人はどんどん増えていく。隣のバーではライブミュージック。
もうそろそろ帰ろうとなって23時ごろUberを呼んで帰路についた。途中寄ったガソリンスタンドでトイレを借りようと思ったらトイレはもう閉まってると言われた。そうするとUberの優しいお兄さんはすぐ近くのガソスタに寄ってくれてそこでトイレに行けた。が、男性用トイレしか空いてなかった。しかもあの男性用の立ちションスタイルしかない! それでどうしたかと言うと……。







1/30 DAY23



寝たのになんだか疲れている。多分、久しぶりの都会だったからだろう。
太陽はサンサン。海まで歩いてみると平日なのに人が多い。昨日テツヤさんからブラジルは今夏休み中だと聞いた。だから家族で海に来ている人が多いのか。そしてカーニバル期間は祝日だそうだ。いきなり、海で泳ぎたくなって家に帰って水着に着替えてまたビーチへ戻った。

太陽がジリジリ。海で泳いで、太陽浴びて、というのを3回くらい繰り返し、家へ戻りシャワーを浴びた。
その後残りのオクラを温めて、ソーセージとジャガイモを焼いてお昼。昨日の疲れもあったのか14時ごろには寝てしまっていて、起きたら16時だった。また海まで戻るとさらに人が増えていた。家の近くのあの安いご飯屋さんでテイクアウトしようと行ってみるとやってない。多分ランチ営業だけなのか。夜ご飯どうしようかな、なんて考えていたらベンから連絡が来た。家でご飯作るから食べにこない? なんていうタイミング! すぐ向かった。

今日はパステルを作るという。包むのと、揚げるのを手伝い、熱々を頬張る。美味しい!!
キッチンにいたらベンの泊まっているホステルのオーナーマルセロと遅れてマルセロの息子もやってきてみんなでパステルを食べながら話していた。マルセロも息子のマルセロもサーファー。父マルセロが80年代のブラジル、ハワイの話をしてくれた。ビッグウェーブ目指してブラジル人もハワイに行く人が多かった時代のようだ。当時のハワイのローカルサーファーは全然フレンドリーではなく、それこそアイランドスピリット(外部の人を嫌う)で、よく喧嘩していたらしい。でもブラジル人はブラジリアン柔術をやっている人が多いので喧嘩しても簡単に勝てたらしい。ハワイには一回しか行ったことはないけれど、私が抱いていたあの日本にあるハワイのイメージとは全く違った。







1/31 DAY25



昨日の夜、ベンとマルセロ達とMacumbaから車で5分くらいのPrainhaというビーチについて話していた。話には聞いていたがまだ行ったことがなかった。それで、今日行こうと言うことになり、朝10時前にベンと待ち合わせた。
何個か丘を越えてついたのはプライベートビーチ見たいな空間。人はそれなりにいるけれどMacumbaほどではなく雰囲気も素敵だった。ビーチの裏に軽いハイキングルートがあり、登ると景色が良いと聞いていたので着いて早速登った。
木々が茂って太陽が届かないところもあるのか少し湿っていてジャングル感! ビーチの裏なので軽いハイクだと思いきや意外とハード。こんなんでペルーのトレッキングは大丈夫なのか。。。

汗だくで登ること30分。展望台に到着! あいにく快晴ではないのでリオ市内までは見えなかったけど、かわりに雲の上に島々が浮いているような景色に出会えた。
その後また汗だくになりながら降ってビーチへ。サーフボードがあればな〜と思うほど腹むねサイズのファンウェーブ。ベンにボディーサーフィンのコツを教えてもらいずっと海で遊んでいた。しかしこのビーチ、電波がほぼない。また、ビーチにくる物売りは必ず免許がないといけないらしい。

1989年、ここPrainhaにコンドミニアムやホテル建設の話が出た時、マルセロをはじめとする地元のサーファー達が一丸となりこの環境を守るために反対運動をしたそうだ。それだけこのビーチは地元の人に守られている。それで、ふと奄美大島のジュラシックパークと呼ばれる嘉徳海岸を思い出した。あそこは津波予防のために自然を破壊してしまうテトラを入れる話になっていて、地元の人たちが必死に自然を守ろうと署名運動などをしていた。
もし、このPrainhaビーチにそんな話が上がったら地元住民の猛反対で可決されることは絶対にないだろう。

日本は、明治神宮前の銀杏並木にしても、ビーチにしても目先の利益で動いてしまう人が多いのはなぜなんだろう。やるせないもどかしさを感じた。
Prainhaなどのビーチだけでなくて、サンパウロの一番有名なスケートスポットになっているVale do anhangabauもスポットを一掃する話が出た時に地元のスケーターたちが反対して、今の形に変わって再度スケーターが集まりカルチャーが作られるスポットになっている。日本はなんなんだろうか。古民家や伝統的な建物を次々と壊し、新しいもの、海外のもの、となんでも変えたがる。なのに入れ墨やタトゥーに関してのイメージや温泉、公共施設でのルールは古いまま。なんだか天邪鬼な日本が悔しい。







2/1 DAY26



今日は事実上ブラジル最終日。自然の凄さに圧倒され続けた数週間だった。予報は雨だったのに朝から晴れ、また昨日行ったPrainhaに泳ぎに行った。
しかも昨日より晴れているというのに人は少ない。今日も数時間海を出たり入ったり、泳ぎまくった。
途中ココナッツウォーターを買って水分補給。ココナッツを割って中の果肉もいただく。これはサンパウロで出会った友達が教えてくれた。この果肉が美味しい。そういえばカンボジアでもココナッツを買うと持参のペットボトルにココナッツウォーターと果肉を入れてくれていたな。ビーチの目の前にあるキオスク(ブラジルでは海に年中ある海の家をキオスクと呼ぶ)へ行くと、マルセロパパがいた。どうやらパイプラインの試合を観るために家に14時過ぎには帰るという。ついでに乗っけてってくれることになった。ラッキー! そう、ここは電波が弱いので少し移動しないと帰りのUberが呼べないのだ。

昨日のランチを食べた家の向かいのマカイでおろしてもらうことにした。今日もお腹いっぱい。ここのご飯は美味しい。10日間も滞在していたのに。。もっと早くくればよかったな。







2/2 DAY27



ハッと目が覚めた。まだ23時前。疲れていて昨日は21時には寝たみたいだ。また目が覚める。夜中1:47、トイレに行った。また目が覚めた。2:30 あと1時間か……うるさいアラームの音でパッと目が覚めた。さっき起きてから、また気がついたら寝てた。パッキングは昨日のうちに99%終わらせていたので、顔を洗い、歯を磨き、着替えて残りの荷物を詰めた。

ブラジルのUberみたいな99と言うアプリで空港までのタクシーを探した。こんな夜中でもいるんだな。
実は数日前、Uberが捕まるのか心配でシロに聞いてみたら、いるよと言っていた。が、昨日シロから「友達が送迎サービスやってるから送っていけるよ」と言われていたので値段を聞いたら150BRL 5000円もする。アプリを使えば半分の値段でいける。それは事前に調べてあったので、丁寧にお断りした。友達ではないし宿泊者とエアビーのホストと言う関係は崩れないのか、と考えなくても当たり前なことか。
99でタクシーを調べたら72BRL 2000円ちょっとで見つかった。安い。頼まなくてよかった。さて、問題はゲートのドア。この家は外に出るのも鍵が必要。シロに昨日確認したら、メインのエントランス(一回も使ったことない)からボタンを押せばゲートが開くけど、たまにボタンが反応しない時があるから別の裏口を開けっぱなしにして鍵を返しに戻ってくるしかないかもねと。通常はより海に近い別の裏口から出入りしていた。そして、今朝噂のボタンを押してみるとやっぱり何も反応がない。タクシーは呼んじゃってるしあー急がなきゃ!

70Lのバックを背負ったまま3階まで階段を登り、鍵を取ってゲートまで行って開けたドアをバックパックで押さえて、鍵を家の1階に置いてと思ったらタクシーはすでに到着していた。後部座席にバックパックを押し込み、Un momento! ちょっと待ってと伝えて、鍵を家の1階に戻しに行って置いた場所の写真を撮りさっきのエントランスに置いてきたもう一つのリュックを持って小走りした。ふう。
走り出して3分後、ケータイをみると航空会社から飛行機遅延のお知らせ。なんだって? そういえば乗り換えは間に合うのだろうか? と確認するペルーのリマ到着からクスコ行きの飛行機まで20分しかない。走れば間に合うのか? いや、南米だけどEUみたいな協定はないのでペルー着いたら最初に入国審査だよな? ん? 絶対間に合わないじゃん。とか色々考えていたけど、空港に着いたら聞けばいいやと少し落ち着くことにした。

空港につきチェックインカウンターへ向かう。ヨーロッパ旅行客らしき30人くらいの団体が並んでいる。でもチェックインの列の手前に並んでいるだけだ。この人達待ってたらたまったもんじゃない。チェックイン手前の係員に遅延に関して聞きたいことがあると伝えると通常の列ではない方にすんなり通してくれた。カウンターのお姉さんに乗り換えに20分しかないんだけどどうなるの? と尋ねる。

「うん、確実にその乗り換えは無理ね。代替え案を調べるからちょっと待ってね」
数分して、
「リマからクスコへ直行じゃなくて、アレキパでもう一回乗り換えることになってるけど知ってる?」
へ?? リオ〜リマ〜クスコで、リマ〜クスコは直行で取ったはず。
「いや、直行の便のはずだけど……?」
「うーーーん 変なの。ちょっと待ってね。」とお姉さん。
「リマ〜クスコ間は毎時間飛行機が出てるからすぐ次の便に乗れるように変更してくるからここで待ってて」
待つこと10分くらいだろうか?
「待たせて申し訳ない。残念ながら直行には席がなくて乗れないの。だからやっぱりアレキパ経友になるわ」
「荷物がちゃんと届くなら大丈夫」
「リマに着いたらまず荷物を受け取ってそれから入国審査よ。だから大丈夫。そのあとはドメスティックフライトだからね。」
「Thank you so much!」

当初はクスコには14時前に着く予定だった。新しい到着時刻は19時。まあ、今日着くだけいいか。
リオの空港でびっくりなのは、カプチーノが28BRLもすること!
だって、だって、一昨日私が食べたランチは25BRLだよ?! これはブラジルの低所得の人にとってはありえない金額だ。リオでバーに連れて行ってくれたテツヤさんの話によると、スーパーのレジの人で毎月1200BRLくらいの給料らしい。それは日本円にすると4万円弱。いわゆる低所得の人たち。小中高の先生でやっと5000BRL(15万弱)大学の先生になると1万5000レアルほどらしい。貧富の差が激しい。低所得の人たちは日本人からしたら普通のアパートの契約をするのが極めて難しいのでfavela内で契約なしで住めるエリアに住むしかないらしい。ちなみに外国人が家を借りるのはとても大変らしい。 

ブラジルは貧富の差が著しく激しく感じる国だった。それこそ私が今まで行った場所に例えるならインドネシアやカンボジアっぽい。だからその分考えさせられることも多い。でもブラジルでの私の経験だとビーチの物売りとビーチに遊びに来ている人たちも、ものを買わなくても会話を交わしていて、最後に「Tamo Junto!」we are in this together的なニュアンスだと思うけど、日本語には訳せない表現で、それぞれ色々あるけどお互い頑張ろうみたいな感じだろうか? 貧しくてもお金が腐るほどあっても、何かしら悩みを抱えるのは人間なら通常のこと。だからみんな同じなんだ。そんなことを真正面から教えてくれたのが私にとってのブラジル。
自分とは違う人、違う境遇の人、同じ考えを持たない人、そんな自分とは見た目や表面的な部分が違う人に前より共感して、優しくなれた気がする。

さて遅れて出発のフライトはガラガラ。
非常口の席だったので肘掛けがしまえず一列空いてる後ろの席に移動して寝た。5時間ちょっとのフライトを終えペルー、リマ到着! 入国審査を通ってまだ12時。次のフライトまでは4時間もある。とりあえず腹ペコなので調子の良さそうなレストランでご飯。
頼んだのはplato combinado(色々のったプレート) Chaufaと言われるペルー(エクアドルにもあるけど)のチャーハンみたいな上に鶏ももがのっている。そしてプランタンとペルーらしいソースのかかった芋とコーンの付け合わせ。お腹いっぱい〜! 久しぶりに自分の口にあったご飯で美味しかった! ブラジル料理も好きだけど味付けはペルー料理の方が好みだな。

さて、荷物を全部持って搭乗ゲートに向かった。
その前にセキュリティチェック。
フィルムは通したくない! と頑なに拒んだら手で検査してくれた。こういうところでその国の言葉が使えると本当に役にたつ。約1ヶ月ぶりにスペイン語が公用語の国に来て少しホッとした。ポルトガル語で説明しても通じなかったしフィルムを通す人なんてほぼいないから大丈夫大丈夫と言われ通さざるほかなかった。セキュリティでスキャンの際にきづいた。

あれ? このでっかいバックパックそういえばカウンターで預けてない! え?! やばい、どうしよう! と思い、手動でフィルムをチェックしてくれたお兄さんに聞くと「カウンターに行けば教えてくれるよ。でも重量分は払うことになると思うよ」
「いやでも、ゲートに来る前に荷物おろすところなんてなかったよ! 払いたくないよ! 高いもん! ここの空港初めてでわかりにくいよ!!」というと、戻っては来れるけど再入場で$2.50かかるよとのこと。
とりあえず搭乗口へ行ったらいいよと言われたのでゲート9番へ向かった。えーーーそんな看板というか標識どこにもなかったよ。こんな重い荷物お金絶対高いじゃん! どうしよう……とものすごく焦ったままカウンター前にいたお兄さんに、「これ預けるの忘れたんだけどすごい高い? どうしたらいい? 再入場するのに$2.5払ってもいいから一回外に出たいんだけど!!!」とスペイン語で説明すると
「荷物にお金払わないといけないなんて誰が言ったの?! 払わなくて平気だよ。乗り換えの人のはここでマニュアルで手続きするから」
「えー!! そうなの! ふう。よかったー本当どうなるかと思ったよ。ありがとう! ちなみにこれはクスコまで受け取らなくていいんだよね?」
「え? あ!(ヤベって顔して)間違えた。危ない危ない! 最終目的地はクスコか! 書き直すね!」
あーぶーねーーーー! 危うく私の荷物はアレキパで置いてけぼりになるところだった。確認してよかった。。。

スペイン語を久しぶりに話すから少し緊張したけど充分伝わるようで一安心。
しばらくしてゲート変更のアナウンスがあった。9から14に変わったらしい。14へ行っていざ乗ろうとすると飛行機が違うと言われた。リマはとても大きいハブ空港。毎時間同じ行き先の便が出ている。そんなわけで私は一本早い違う番号の飛行機に乗ろうとしていたのだった。
また荷物を全部もって元のゲートに戻った。
あー疲れたー。あと一回も乗り換えがあるのダル! そもそももう着いてるはずで乗り換えだって一回のフライトを買ったんだから、もしこの乗り換え2回のほうが安いなら差額返して欲しいわ!! 朝3:30から起きてて12時間経ってるのにまだ目的地には着いてない。

リオを出発してから16時間が過ぎやっとクスコに到着。荷物も無事。
あらかじめ予約していたタクシーと無事落ち合えて今回の宿へ。場所はクスコから車で1時間半ほどのウルバンバという村。当初は昼には着く予定だったので、タクシーとバスを乗り継いで行こうと思ったのだけどもう夜の19:30。初めての場所で何もわからないのでタクシーを選んだ。料金は90SOL 3500円ほど。
いかにもインカらしいタクシーのうんちゃん。「Bien venido a Cusco senorita!」と物腰柔らかな言葉とハグ、ほっぺにキスで迎えてくれた。

いざ出発。
「どこから来たの?」
「日本だよ。でもブラジルにいてブラジルから来たんだ。飛行機が遅れて本当は昼に着くはずが2回乗り換えしてやっと着いたんだよ!」
「長旅だったね〜。歳はいくつ? 彼氏はいるの?」
と、プライベートな質問を次々としてくるので少々びっくりしたが、久しぶりにちゃんとコミュニケーションが取れることが嬉しくてスペイン語を思い出しながら会話した。年齢を聞かれたから、うんちゃんの年齢も聞いてみたらなんと36歳。名前はモデストさん。私より一つ年上の87年生まれ。歳近いじゃん! となんだか一気に話しやすくなって道中、子供がいるか、結婚してるか(モデストさんは15歳と1歳3ヶ月の2人の息子がいて結婚はしてないらしい)、好きな食べ物は何か(クイが好きらしい)とか、お酒は飲むかとか色々話をした。街灯の無い暗闇を80kmで飛ばし、中央線はブラジルのように無視で車を抜かしながら走る。山を降ったり登ったり。途中一瞬寝落ちしながらもハッと起きて、ようやくトレッキングがはじまるまでの宿についた。ホストのホセとパートナーのジーナが迎えてくれた。

「ようこそ! 長旅だったね。何かあったらいつでも連絡してね!」
疲れすぎてそのままの服で寝てしまった。







2/3 DAY 28



6時に目が覚めた。昨夜は夜着いたので自分が泊まっているエリア「SemanaWasi」のことは何も知らず、ホセにもし時間があったら色々教えて欲しいとメールをした。すると、ちょうど連絡しようと思っていたようで、もう少ししたらSemanaWasiのツアーをしてくれるという。そしてホセが村までは歩いて20分くらいで、美味しいカフェがあると教えてくれたのでまずは腹ごしらえに村へ繰り出すことにした。現在泊まっているのはクスコの空港から車で1.5時間ほどのスペイン語でValle Sagradoに位置するUrubamba(ウルバンバ)というところ。宿を出てメインの通りに出て少し歩いただけで、その絶景に圧倒された。周りは山に囲まれていてその麓にある隣の町も見える。

背の小さい、浅黒いケチュア族の人々。インドの山奥でみたような景色と似ている。背中にたくさんの草を抱えて歩くおばあちゃんや、このアンデスらしい鮮やかな色使いの風呂敷に子供をおんぶしているお母さん。町を走るモトタクシーもカラフル。そう歩いているうちに村のマーケットに着いた。色、色、色! 野菜の色、野菜を入れる袋の色、市場のおばちゃんたちの服の色、全てが可愛い。また戻ってくることにして、ホセおすすめのカフェへ。市場から歩いてすぐのそのカフェは意外にもとてもモダンな作りでペルーにいる感じがしない。ミント入りのレモネードと、マキアート、そしてクロワッサンを頼んだ。

食事を終わらせまたワクワクのとまらない市場へ戻り写真を撮った。
宿に戻るとホセがSemanaWasiのツアーをしてくれた。ここ一帯には数件の家があり、物理的な境界は無いものの、ここから先は他の人の家の敷地などと案内してくれた。ホセはコロナ中にここを管理しているオーナーと出会い、私が今泊まっている宿などの管理のためにリマから家族で引っ越してきたそうだ。マチュピチュを始めとするインカの遺跡に囲まれている。

昼過ぎにホセとジーナがオリャンタイタンボへ連れて行ってくれた。インカの遺跡の一つでもあるらしい。ここからマチュピチュへ行きの電車が出ているそう。石造の道や家がそのまま残っていて、ブーゲンビリアなども咲いていてすごい綺麗な村。
私は無料で登れる遺跡の方へ行くことに。小雨が降ったかと思えば上に上がるにつれて止み太陽が顔を出した。太陽に照らされた村がキラキラと光っていて、その周りに聳え立つ山々が綺麗すぎてしばらく眺めていた。
そのあとは月曜から始まる4日間のトレッキングを企画してくれているフリオのレストランAMAへ。タイミングで行くと決めたけどマチュピチュや、その周りの山々の知識はゼロに近く、トレッキングの旅程をもらってもちんぷんかんぷんだったので、フリオとホセの話を聞きながら少しずつ理解した。幸いなことにマチュピチュはローシーズン。観光客が少ないそうだ。私たちがいるのは2800m地点。初日と2日目に4000mまで1500mほど登り、そのあとはほぼ降りだという。
少し安心した。でも2日目はほぼ降りといっても11時間歩くらしい! そしてaguas calientesまで行き、そこには温泉があるそうだ。楽しみ。トレッキング用の靴も、雨よけのジャケットも、ダウンも持ってきといてよかった。ペルーには絶対行きたいと思っていて、それなら必ずマチュピチュは行かないとな〜と漠然と考えていただけだけど導かれた気がする。







2/4 DAY29



今日の朝はひんやり気味。
シャワーを浴びてお茶を入れてダラダラしたのち、昨日のカフェへ朝ごはんを食べに行くことにした。でもその前にやっぱり市場が気になり寄ってみる。昨日とは別の方から市場へ潜入。写真を撮ろうとカメラを構えたら3枚とったらフィルムが終わってしまった。なんだよー。

それからカフェへ。なぜだかここで飲むコーヒーは酸っぱい。私は酸味のあるコーヒーが苦手だ。そのまま近所を散歩しているといきなり涙が出てきた。何故だかはわからない。教会らしき建物を発見し中にはいる。座った途端また涙。とりあえずヒクヒクとしばらく泣いていた。宿に戻ろうと落ち着いたところで教会を後にした。帰る途中、もう一つの教会から民族衣装を来た人たちがパレードをしている。あーあー。こういう時に肝心のフィルムがない。通り過ぎるのを眺め、また歩いて帰った。

それからも宿に戻り、芝生の木陰で寝転んでみる。寂しいとか孤独とかじゃないんだけど、なんか悔しい気持ちといろんな感情が混じり合って涙が溢れる。今日はとことん泣くか。夕方お腹が空いたのでまた村まで歩いた。行こうと思ったレストランはやってなくて、別のレストランへ。そこでチョウファを頼んで残りは持って帰った。雨が降りそうな空を背後に山道を歩いて帰る。

また涙が出る。
ようやく明日から始まる4日間のトレッキングの準備に取り掛かった。そして帰ってきてからの宿と、来週の宿の手配を済ませた。明日からトレッキング。自然の中に身を置いて少しケータイから離れよう。インスタのアプリをケータイから消した。








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