$HOW5(#テガキ)Vol.1
Contributed by Takashi Suzuki
People / 2017.12.05
数々の音楽アーティストのアルバムジャケットを描き続けるイラストレーターの $HOW5さん。ジャケットをモチーフにしたイラストは、似ているようで似ていない、似ていないようで似ている、そんなズレが心地いい。学生の頃から描き続けてきた膨大な作品の数々は、多くの音楽ファンの心をつかみ、「ローリングストーン」をはじめとした海外メディアにも度々取り上げられるほど。創作のきっかけから今後の野望まで様々なお話を聞いた。
創作のきっかけ
―まず初めに、創作のきっかけを教えて下さい。
もともと父親がレコードコレクターで、産まれた時から家に 1 万枚以上のアナログレコードがありました。小さい頃は、毎週日曜日になるとレコード屋に連れまわされ、時には熱中症でぐったりしながら車の中で待たされたりしていました。その頃は、音楽そのものへの関心はまだ薄くて、「ジェームスブラウン」を「グッチ裕三」ぐらいの感覚でとらえてマネして踊っていました。動きが面白いおじさんだな、みたいな。
僕が育ったのは兵庫県の尼崎と伊丹。ガラの悪い下町で、ヤンキーがめちゃめちゃいる地域でした。パンチパーマの先輩が 20 人ぐらいいて、この人たちに何か命令されたら断れない、そんなハードな環境に身を置いていました。
高校生の頃は、ちょうどヒップホップがアメリカから日本に広まりだした時期でした。当時のラッパーたちって、めちゃめちゃ柄が悪かった。そこに地元のヤンキーの 先輩と同じリアリティを感じて、すごく衝撃を受けました。しかもヤンキーよりも都会的で 何かこっちの方がイケてる!って。それからヒップホップにどんどんハマっていきました。やがて、ヒップホップを聴くうちにあることに気が付きました。それは、父親の膨大なレコードコレクションの中にヒップホップのサンプリングネタがほとんどあったということです。ヤンキーの先輩に囲まれて、くじけそうなときに出会ったヒップホップ。そのルーツと なる音源がほとんど自宅にあることを知って、初めて父親を尊敬しました(笑)。
それからは、学校にも行かずにひたすらレコードを聴いて過ごしていました。レコードを 聴くときは必ずカセットテープに録音していました。だけど、聴いているだけだと手持ちぶさたというか暇だったんです。その時に思いついたのが、自分なりのイラストでそのジャケットを表現することでした。愛着も沸くし、ただ聴くより記憶に残るなと思って自然と描き始めたのがイラストを描き始めたきっかけです。
―なるほど。創作のきっかけには育った環境が大きく影響していたんですね。もともと絵を描くのが好きだったんですか?
そうですね。母親が図工の先生で絵の道具が揃っていました。それと父親も先生で、両親とも忙しいからいつもひとりの時間があった、というのも関係している気がします。道具はあるし、時間もあるし、じゃあ絵を描くか、って感じで何の違和感もなくイラストを描きはじめました。性格が引きこもりっぽいから、描いていたら精神が安定するんです。
高校を卒業してデザイン系の大学に進学したんですけど、自分が何を仕事にしたいのかも決まらず、途方に暮れていました。だから、相変わらず 1 日中家にいて、音楽の絵を描く日々を繰り返していました。
デザイン系の大学を選んだのは、工業デザインに興味があったからなのですが、授業で学ぶものづくりへの姿勢に疑問を覚え、なかなか馴染めませんでした。当時は反抗的で、売るためのデザインは大事だけど、そのためだけになにかを作るのは馬鹿げていると思っていました。製図版に起こせないものはデザインじゃないとか、大量に作れるもの以外はデザインじゃない、みたいな風潮にすごく違和感があったんです。かといって自分が何をしたいのかもわからずに、なにもやる気になれなかったんですけどね。
そんな時でも、音楽と絵は相変わらず好きでした。音楽は、ただ聴くだけじゃなくて、その背景にあるカルチャーをもっと知りたい、吸収したいという思いが強くありました。なかでも当時、特に興味を持っていたのがレコードジャケットデザインとソウルトレインという番組でした。ジャケットはそのレコードの顔だから、アーティストやレーベルの意思を反映した様々な趣向が凝らされていて、見ているだけでも本当に面白い。ソウルトレインはとにかく格好良くて、その世界に強い憧れを抱きながら勝手に 70 年代にタイムスリップしていました。気がつけば 本当にアフロヘア―にしていました(笑)。その当時全く流行っていなかったですが(笑)。
―ひたすら絵を描き続けて 1 日を過ごしていた大学時代。その中でなにか転機となったことはあったんですか?
1 日中家でレコードを聴きながらジャケットをモチーフにしたイラストを描く日々を 2 年くらい過ごしていた時、大学で面白い先生に出会ったり、古い音楽が好きな DJ を探しているという人に出会ったりと、僕の価値観が変わるような偶然の出会いがいくつも重なったんです。
大学3年になり、そろそろ就職のゼミを選択するという際に、あえて一番怖そうな先生のところを選んだんです。その先生が見た目とは裏腹にすごく面白い人だった。アフロヘア― にプレイボーイのジャージを着て、ラジカセを持ちながら学校に通っていた僕を見て、「お前は面白い髪型しているから、周りからどういうリアクションがあるか、ちゃんと観察しろよ。ただやるのと、どのように人が感じるかを意識しながらやるのとは、全然意味合いが違うぞ。どんどん面白いことをやれ、その代わりどんなリアクションがきたか俺にレポートしてくれ」と言ってくれた。物事を感覚的に捉える「表現」という行為をロジックで論理的に説明されたのが初めての経験だったから感動したんです。この先生のゼミで、もうちょっと学んでみたいと思うようになりました。それから家に引きこもっているよりも積極的に外に出て、いろんなことを学ぼうと思うようになって、デザイン自体にもどんどん興味が湧いてきたんです。
同じタイミングで、古い音楽が好きな DJ を探している人がいて、僕にDJの依頼があったんです。それで急に引きこもりだった僕が、いきなり 300 人〜600人くらいのパーティーで DJ をすることになったんです。ゼミ活動に励んだり、DJ 活動をしたり、急にアクティブになったのは良かったんですけど、少し前まで引きこもりだったから全然人と喋れない(笑)。けど、そんな感じで社会復帰し始めました。
自宅の DJ スペースにて
―いろんな活動が活発になっていく中で、作品が知られるようになったのはいつ頃ですか?
地元の先輩や友達には以前から作品を見せていたんですが、作品展などのパブリックな場で発表するようになったのには、2つきっかけがありました。
まず1つは、スチャダラパーの作品のジャケットを手がけているのが湯村輝彦※さんだったり、ブッダブランド※のデヴ・ラージさん※が自らアートワークを描いていたりするところにシンパシーを感じていました。上京して、働きながら音楽イベントに遊びに行っているうちに、デヴ・ラージさんやスチャダラパーのシンコさん※にイラストを見せる機会が偶然あって、2 人に『本格的に展示会をした方がいいよ』って言ってもらえた。大好きだった人たちにそう言われて初めて自信を持って作品を発表 できるようになりました。
それと、もう一つはインスタグラムが日本で広まりはじめた時、海外のサイトが取り上げてくれたんです。その後、日本のサンプリングラブさんやアニさん※のスチャダラ通信などにも取り上げていただいて、「あのテガキの人ですよね」って知らない人に声を掛けられたりすることが多くなりました。
―憧れのアーティストに作品を見せる機会があったり、SNS を始めて国内外のメディアに取り上げられたり、そこからどんどん名前が知られていくんですね。僕も SNS きっかけで $HOW5さんを知った一人です。最近は、個展も定期的に行っているようですが、最初に始めたのはいつ頃ですか?
個展を開くようになったのは、 2014 年が最初です。個展を企画する上でいろいろと不安もありましたが、シンコさんとデヴ・ラージさんが DJとか協力するよって言ってくださったのが大きな後押しになりました。個展の DJ イベントにシンコさんやデヴ・ラージさんに参加してもらえたら、すごくスペシャルなイベントになるし。そんな展示会は自分でも行ってみたい!って強烈に思いました。「FACT magazine」※とか「ローリングストーン」※に取り上げられたのも後から気付いたらという感じでした。中でも元MO WAX※、現在もPALACE※のグラフィックを手がけているThe Trilogy Tapes※のWill Bankhead※がTTT(The Trilogy Tapes)のサイトに僕の絵をあげてくれた時は本当に嬉しかったです。
僕は自分のイラストを見た人に どうこう思ってもらおうとは考えていなくて、作品づくりは相変わらず僕の中で ただの精神安定剤です。音楽の絵を描いてると何故か心が落ち着く。
その中で、たまたま同じような音楽が好きな人が『これあのジャケットじゃん』とか『なにこの表情』とか『この人にはこのジャケットがこういう風に見えているんだ』とか、ちょっとズレてるところ、違和感を自由に楽しんでくれたら嬉しいなとは思っています。同じだったら別に描く意味はないし、『なんか違う!』みたいなイラダチすら重要かもしれない。微妙なズレが気持ち良かったり気持ち悪かったり、そのズレを勝手に感じてもらえてたら嬉しいですね。
Vol.2に続く。
来週公開予定です。お楽しみに!
Profile
$HOW5(#テガキ)
レコードコレクターの父親の影響で胎児の頃からレコードに囲まれて育つ。ジャケットを空CDRやカセットに描き始める。そのサイトhttp://showfive.tumblr.comが EgoTrip(NY) ,FACT(UK),RollingStone , Samplingloveやスチャダラ通信などで紹介され世界中の音楽ファンの間で話題に。instagram:show5orizinal
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※
湯村輝彦
イラストレーター、デザイナー、漫画家、音楽評論家。ヘタウマなイラストと、
スウィート・ソウルなどの R&B や、G ラップのフリークとしても知られる日本グラフィック界のレジェンド。
ブッダブランド
1989 年に結成、日本のヒップホップユニット。
デヴ・ラージ
ブッダブランドのリーダー、 MC、トラックメイカー。
シンコ
スチャダラパーの DJ、トラックメイカー。
アニ
スチャダラパーの MC。
FACT magazine
2003 年にイギリスでスタートした、音楽とユースカルチャーを紹介するウェブメディア。
ローリングストーン
音楽や政治、大衆文化を扱うアメリカ合衆国の隔週発行の雑誌。
MO WAX
UKのヒップホップ、トリップホップ、ブレイクビーツなどを主にリリースしているレーベル。
DJ Shadow、DJ Krushなどを輩出、Ninja Tuneと共に、90'sのクラブ・カルチャーに絶大な影響を与えた。
PALACE
2010年にLev Tanju(レヴ・タンジュ)が立ち上げたイギリス発のインディペンデントブランド、Palace Skateboards。
The Trilogy Tapes
UKの人気カルト・レーベル。
Will Bankhead
Mo’Waxでメイン・ヴィジュアル・ディレクターを務めたのち、PARK WALK、ANSWERといったアパレル・レーベルを経て、The Trilogy Tapes(TTT)を立ち上げる。TTTの運営と並行し、現在はミュージック・レーベルのHonest Jon's Records、スケートボード・カンパニーのPalace Skateboardsなどにデザインの提供もおこなう。
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Takashi Suzuki