『YELLOWS PLUS』のメガネ

Just One Thing #51

『YELLOWS PLUS』のメガネ

新井慧斗(フレームメーカー)

Contributed by ivy -Yohei Aikawa-

People / 2024.03.14

街は、スタイルが行き交う場所だ。仕事、住む場所、友だち、パートナー、その人が大切にしていることが集約された「佇まい」それこそがその人のスタイルだと思う。
 絶えず変わりゆく人生の中で、当然、スタイルだって変わる。そんな中でも、一番愛用しているものにこそ、その人のスタイルが出るんじゃないかって。今、気になるあの人に、聞いてみた。
「一番長く、愛用しているものを見せてくれないか」


#51


2年ほど前、ワーキングホリデービザでロンドンへと旅立ったケイト。彼は今、ロンドンを拠点とするアイウェアブランド『Cubitts』のフレームメーカーとして働いている。あまり聞き慣れない職業かもしれないが、メガネのフレームを作る職人のことだ。

この日は仕事終わりに待ち合わせ。ロンドン市内、『Cubitts』の本社オフィス内にある工房へ招いてくれた。見慣れない機械が並び、フレームを作るアセテートや水牛の角といった素材が棚に入っている。ケイトはダック地の厚いエプロンに白い無地のTシャツ姿。仕事着ということもあってか、身に着けているものは最小限だが、彼の目元はお気に入りのメガネをかけていた。



日本でもいくつかのアイウェアショップで『Cubitts』の商品の扱いはあるが、イギリス本国では顧客からのオーダーを受けてから製作するビスポークスタイルでの受注を行っている。ケイトが担当しているのはその個人受注をしたものだ。

ケイトがロンドンへ行く際、最初からメガネ職人になると決めていた。2021年7月、英語が話せない状態で行ったという。まるで取りつかれたかのようなメガネ好きだ。この日かけている『YELLOWS PLUS』の『SEAN』は、大学2年生の時に買ったもので、最も長くかけているお気に入りの一本だという。

「元々メガネを買ったのは、まあ目が悪かったからなんですけど……。せっかくだからいいものを買おうと思って決めたのがこれでした。僕、眼球のカーブが他人より浅いらしいんです。だから、ゴロゴロしない、目にピッタリ合うコンタクトがなかなかなくて、値段も高くついちゃう。それなら、一本いいメガネを買えば節約になるかなあと思って」

最初のメガネが日本を代表するアイウェアブランドのもので、自らがフレームメーカーとして働く今でも愛用しているというのが興味深い。『YELLOWS PLUS』自体、恐らくメガネが好きでないとたどり着かないブランドだ。所謂量販店で売られているブランドではないし、知名度自体もそこまで高くはない。そして何より、決して安い買い物ではない。

「メガネ以前に、“モノ”が好きなんですよね。だから、メガネも“モノ作り”の目線で納得できる“モノ”が欲しかった。日本製のメガネが持つ、フレームメーカーの丁寧な仕事ぶりが詰まっていて、自分でフレームを作っている今だからこそ初心を忘れないために手元に持っています。イギリスやアメリカのスタイルを踏襲しつつ、日本人にも似合うし、ファッションのテイストも選ばないデザインだと思います」

ケイトの丁寧な語り口を聴いていると、これを手に入れた時点で相当なこだわりを持って購入に踏み切ったことがうかがえる。本人が言う“モノ”を好きになったのはいつ頃からなのか。





「もう本当に、ずっとです(笑)。小学生の頃からかもしれない。同級生がある日デニムを履いてきたんですよ。小学生でデニムって珍しいじゃないですか。幼心にもかっこいいなと思ってすぐ真似をして。多分、それが一番最初です。僕の場合、ファッションも好きだけど、全体のコーディネートというよりも、それぞれのアイテム単体を掘り下げたい側なんです。もちろん、コーディネートも好きですけどね」

そんなケイトにとって一日中大好きなモノができあがっていく過程に携わる日々はまさに思い描いていた理想の生活といっていい。元々都内のメガネ店でスタッフとして働いていたケイトだが、フレームメーカーとしての経験は渡英するまでない。

「僕、運に恵まれているんですよ。元々英語も話せない状態でロンドンのワーホリに当選して、当時働いてたメガネ屋の紹介で『Cubitts』で働くことになって」

ロンドンへのワーキングホリデービザは抽選で選ばれる。少し前までは滅多に当選しない程倍率が高く、非常に狭き門だった。

「フレームメーキングは、どうしても習いたいと思っている職人がいて、その人へ弟子入りするつもりでした。ただ、あっちで職人に弟子入りするときってこちらがお金を払うんですよ(笑)。師匠はLawrenceっていうおじいちゃんで、もう職人としては引退していたんですけど、週4日教えてくれることになって。それで平日は『Cubitts』で働いて生活費を稼ぐことになりました」

ここまで聞くと本人が言うとおり、相当運がいい。周囲が彼の目的を実現するのを後押ししてくれている。ただ、実際にフレームメイカーとして手に職をつけ、好きなことで報酬を得るようになるまでにはやはりそう簡単な話ではなかったようだ。

「正直、本当に好きなことが何だったかわからなくなってくるんですよ(苦笑)。『Cubitts』に入ったときは一切英語が話せなくて。今もあまり話せないんですけど、当時は全くダメだったから接客もできなくて、在庫管理の仕事をしていました。生活もだけど実際にやりたかったこと(フレームメーキング)ができるようになるのか、なかなか不安でした」

そもそも異国の地で新たな挑戦へと踏み切ったこと自体がかなり思い切っている。フレームメーキングを学ぶ場として敢えてロンドンを選んだのも、明らかにいばらの道だ。とはいえ、彼自身が好きな英国のアイウェアを本場で学ぶのは大きな収穫と、結果として目的への近道になった。





「工房での制作手順やこだわり方は、渡英前に思っていたよりも日本とイギリスで結構違います。Lawrenceから教わったことも勿論、『Cubitts』で働くようになってからも新しく気づくことは多いですね」

既に師匠・Lawrenceの工房は閉鎖されており、完全に引退しているという。とはいえ、そこでの経験が実を結び、やがてフレームメーキングを仕事として任されるようになった。彼が体現していることは、好きを仕事にすることの難しさはもちろん、好きなことを好きでい続けることの難しさだ。

どれだけ好きなことであっても、それを続けるためには想像もしないような乗り越えなくてはいけないことや我慢しなくてはいけないことがある。もっといえば、気持ちが前を向いているのに前進させてくれない、もどかしさ、焦りが心をむしばんでいくこともある。生活への不安、本当にやりたかったことができないまま過ぎていく時間、悩み続ける中でも、彼が今自らのやりたいことを仕事にできているのは他でもない継続の成果だ。どんなに気持ちが揺らぐようなことがあったとしても自身の決断を信じぬくこと。これ自体が彼の才能であるように思う。



“モノ”を好きでいることというのは、ここに繋がってくる。今の時代、次から次へと目新しいものが提示されていく。実際に手に取ることが物理的に不可能なくらい、“モノ”が溢れかえっている。そういう中で、自身が納得したものを愛でて、長く愛するということ自体が自身の決断を信じるという行為を無意識のうちにしていることになる。
ケイトがかけているメガネは、その道を生業にしようと思い立つよりかなり前、自ら手に取ったものだ。それを物作りの初心として、忘れないために肌身離さず持っていること。それこそが彼が大好きなメガネを作ることで生活できている一番の要因なのかもしれない。

仕事の片づけをしながら、ケイトは楽し気に仕事仲間たちと談笑していた。時折、工房へ他の部署のメンバーが顔を出して、そこに加わる。

「僕を入れて、3人のフレームメーカーでやっています。最近、別の部署からの異動で新しくフレームメーキングをやってみたいっていうメンバーもいます。どうやら僕が教えるみたいです」

途中、ケイトへ自分で作ってみたというフレームを見せに来たメンバーがいた。どうやらこれからケイトにフレームメーキングを習う新メンバーのようだ。好きなことを好きでい続ければ、それによって環境や周囲との関係性が作られていく。ケイトが「運がいい」と語るのは、実は自分でそういう環境を創り出している。この日の様子を見ていて、それが確信に変わった。



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新井慧斗(フレームメーカー)
埼玉県秩父市出身。東京・青山にあるアイウェアショップのスタッフを経て、フレームメ―カーの仕事を志し、渡英した。現在はロンドンに在住し、イギリス発のアイウェアブランド『Cubitts』でフレームメーカーとして働きつつ、師匠・Lawrence Jenkin氏のもとでデザイン、制作を学んでいる。実家はスパイスカレー店『マジョラム』を営んでおり、カレー好きの間では知る人ぞ知る人気店。
Instagram:@keito_framemaking

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