SPOTABI By Luke Magazine #2
YUTAKA AIHARA’s journey
(Football Player, Coach)
Contributed by Daijiro Inaba
People / 2021.11.22
そう信じてやまない人材コンサルタント・DAIJIROが、スポーツに挑むさまざまな人々の旅路を綴る連載「SPOTABI」。プロの選手やスポーツチームだけでなく、スポーツに関わる多種多様な人々のリアルな一面にDAIJIRO独自の視点で奥深く切り込むこの企画、老若男女問わず、あらゆる形でスポーツに関わる人、そして関わりたい人に読んで欲しい熱き連載。
#2
SPOTABI第二弾は、元プロサッカー選手で、現在はタイでサッカーの指導者をしている相原豊さんにお話を伺いました! 生まれつき左手首から先を持っていない相原さん。タイ、バングラデシュ(日本人初)、ウガンダ(日本人初)でプロサッカー選手として活動をした相原豊さんの底知れぬエネルギーについてたくさん話を聞かせてもらいました!
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1.キャリアについて
2.サッカー選手になった日
3.Jリーガーと仮面ライダー
4.いかに自分をやめさせないか
5.読者に向けて
6.10年後の相原豊へ
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1.キャリアについて
Daijiro(以下、D):ゆたかさん初めまして! お話し伺いたい事がたくさんあるのですが、まずはキャリアについてお聞かせいただけますか?
相原豊さん(以下、Y):宜しくお願いします! 神奈川出身で、サッカー選手を目指していました。サイドバックで、誰よりも練習していたと思います。だけど、高校卒業時にどこからもスカウトがなかったから、「日本じゃプロになれないんだ」と思って、高校卒後後は働きだしました。
D:スカウト以外の選択肢はなかったのですか?
Y:今考えたらあったと思うんだけど、当時は情報がなかったですからね。
D:なるほど。社会人生活はいかがでしたか?
Y:いろいろ経験させてもらったし、仲間もできたけど、愚痴を吐く人達は嫌だなって思っていました。「お前もその一因だぞ! 辞めるか黙るか変えるかしかないんだぞ!」って思ってたんですよね。
D:すごく共感します。その人たちは「なら、辞めたら?」なんて言われたくないでしょうけどね(笑)。
Y:そうですね。そんなこと考えてた時期ですから、毎日「生きてねぇな」って感じてた気がします。
D:エネルギッシュなゆたかさんにもそんな時期があったんですね。
Y:ありましたね。今思えば、社会人時代が精神的に一番きつかったかもしれません。
D:なるほど。そこからどのようにサッカー選手になられたのですか?
Y:高校の先輩がいたチームで社会人サッカーをやっていて、その中にはプロレベルの人もたくさんいたんですよ。そこでサッカーやってたら、やっぱりこれだな、みたいに気持ちがなってきて。会社の休み全部使って、地方飛び回って、サッカーチームのセレクション受けました。アポも取りましたが、なかなか簡単には取れないのでドアノックもしましたね。スパイクも履いてコートに飛び込みしたら、警備員に止められたこともありました。あるチームから、「テスト生できてみないか」と誘っていただいたので、「今すぐ会社辞めていきます」ってお伝えしたら、チーム側から「それはやめとけ!」みたいなこともありました(笑)。
D:すごい行動力ですね。最終的にどうされたのですか?
Y:関東リーグのチームで少しプレーして、戻ってきて、また元々の社会人チームに戻ってきたんですけど、そこでスクールやってる人いるから紹介するよってメンバーが言ってくれて、それが「師匠」との出逢いだったんですよ。ブラジル・コロンビア・エクアドルでプロ選手をやっていた人で。「ブラジルのストリートサッカーが一番うまくなる」って考えの人で。その人のスクールに関わっていて一番面白かったのが、そこで出逢った大人たち。ブラジルとかウルグアイでプロ選手やっていた人とかが集まってやっていた。すごいメンバーだった。木曜の夜、体育館で子どもたちの指導後に体育館1時間空くから、大人たちが集まってフットサルしていたんです。師匠の教え方も面白いなーと思ったんだけど、師匠の周りにいる大人たちが本当に面白かった。その人たちとボール蹴った後にお酒飲んでいたら、すごく面白そうにサッカーの話をするんですよ。その姿がすごく良くて。「こんな大人になろう!」と決めたんですよね。
2.サッカー選手になった日
Y:地元の知り合いから「タイはサッカーが盛んだぞ」って紹介してくれて。片道切符でそのままタイに飛び込んで、どうにか生きていた。そこでフットサルしていたら、一緒にやっていた仲間が「俺の父がサッカーチームと繋がっているから、紹介してやる」と言ってくれて、その人に連れられて、一度試合に来いと言われて、地方の遠征に帯同して、そこで運よく点取れて、契約が決まったんですよね。
D:この瞬間がサッカー選手になった日、ということなんですね。
Y:はい、そういうことですね。
D:タイ、ウガンダ、バングラデシュで計3年プロサッカー選手として活動されて、その後はどうされたんですか?
Y:3年プロやったから、「育成の世界に行くか!」って思って日本に戻りました。日本でスクール事業をやっていた師匠が、「海外に行かなきゃいけないから、2年間スクール見ておいてくれ!」 みたいな感じで任してくれたから、「とにかくやってみよう!」ってことでどうにかやってみました。そこから独立をしました。
D:思い切りましたね。独立して何をされたんですか?
Y:一般の指導者としてやっていったら、なかなか一番になるのは難しいかなと思ったんですよね。生まれつき左手首から先がない自分だからこそ、「なにかしら障害を抱えている人の指導で一番になろう!」って思ったんです。そこで、ろう学校とかブラインドサッカーの現場とか色々回ったんだけど、全然相手にされなかったんです。
D:これだけ異色のキャリアを持っていても相手にされないんですね、、、
Y:僕が中田英寿選手や本田圭佑選手のような人だったら相手にされたと思うんですけどね。当時の「相原豊」のブランドは通用しなかったんです。
D:なるほどですね。大変な経験ですね。そこでどうされたんですか?
Y:タイで指導者をしよう、と思ってタイに行きました。タイなら日本人も多いし、選手としてプレーしていた経験もあるし。そこで出会った仲間に、ろう学校でサッカーの指導をやりたいんだよね、って話していたら紹介をしてもらえたんですよ。そこで指導を始めてすぐに「この子たちを日本に連れて行こう!」って思ったんですよね。
日本のデフサッカーの人で知り合いがいたので、そことも連携とりながら日本との交流会をやることが決まったんですよ。そこからどうにか資金集めですよね。旅費をどう集めるか 半年間くらいかけて ダメって言われたら、「わかった、じゃあ誰か紹介してくれ」みたいな感じで必死に回った。結果として200万くらい集まって、交流会を無事開催できることになったんですよ。
☆FC東京がイベントを開催してくれた時の1枚 黄色ユニが相原さん、隣の紺ユニが橋本拳人さん(FCロストフ所属、当時はFC東京所属)
3.Jリーガーと仮面ライダー
D:すごい! やりきったわけですね。念願の交流会はいかがでした?
Y:ろう学校に日本人が50人くらい集まってくれたんですよ。タイの子たちは全く人見知りとかしないので、すごく活発に交流するんですよね。日本側から「僕もやりたい」って言ってくれる人が出てきて、来年6人日本からタイに来てくれました。そこからお互い行き来する関係ができたんですよ。すごくよかったんだけど、会話をしていて気になることもあったんですよ。将来の夢を聞くと「デフサッカーの代表になりたい」と答える子が多かったんです。
D:それってすごいことですよね。何が気になったんですか?
Y:健常者に混ざってプロになってもいいじゃないですか。デフサッカーじゃなくても。僕はそこに違和感を感じたんです。子どもたちは、デフサッカーしか知らないから、Jリーガーになることなんて考えたこともないんですよ。Jリーガーと仮面ライダーが同じ立ち位置なんですよね。
D:なるほど。夢の世界なんですね。
Y:日本のサッカーつながりをたどって、どうにかプロを見せたい、頼む、と話をしていた。そうしたら、橋本拳人選手が来てくれた。そこで話をしてくれた。子どもたちにはすごく良い経験になったと思います。その後もタイにいる日本人選手と交流する機会も増えました。
D:大きな1歩だったわけですね。
Y:はい。そこから6年くらいして、日本側の子どもたちと試合した時に、見違えるほどレベルが上がってたんですよ。何があったんだろうと思って話を聞いてたんですけど、ある子どもと話した時に、「プロサッカー選手になりたい」って堂々と言ってきて。すごくうれしかったんですよね。どうにかこの子の力になりたいって思いました。
D:すごい、、子どもたちの世界が変わった瞬間ですね。
Y:はい。子どもたちが健常者と一緒にサッカーをやるようになったんです。僕はそこから、タイのフットサルチームの経営権を買って、そこで健常者とデフフットサル選手で構成されているチームを作りました。「世界初の障害者が活躍できるプロフットサルクラブ」を作ったんです。いまはタイの2部でやっています。
D:スクールの指導現場についてお話聞かせてください。
Y:指導って今、すごく難しいと思うんですよ。厳しくしすぎてもだめだし、甘やかしすぎ、ほめすぎも違うし。
D:確かにそうですよね。私もスポーツチームにいますし、オンラインサロン内でも学校の先生と話していて、すごく難しさを感じています。ゆたかさんはどのようなスタイルでやられているんですか?
Y:僕の場合は、「この人には何言っても無駄なんだな」という空気を作ります。最初説明した後に、「いろいろあるので文句言う人とか出てくるんですけど、大体そうゆう人はブスですよ」とか言っちゃいますね。そうしたら、この人に何言っても無駄だなってなるというか。
D:それはすごすぎますね笑なかなか真似できそうにありません(笑)。
Y:そうですよね。指導者って多くの人が「立派な自分」から入りすぎちゃうというか、自己プロデュースが下手な人が多い気がしています。「先生」って入り方しちゃうと、入りが高いところだから、そこからひたすら減点方式になる。僕は下から入るから、「あれ、ゆたか、意外とちゃんとやってるね」みたいな感じで会うたびに評価が上がっていくんですよね(笑)。
参加していた教育者たちも納得の表情 左上がゆたかさん
Y:あと子どもは、「居場所」を作ってあげることが大事だってすごく思うんです。居場所の作り方って色々あると思うんですけど、いじってあげることとかも大事だと思うんですよね。その中でも、「あだ名禁止」とかはすごく違和感があるんですよ。
D:教育の現場だとあるようですね。
Y:はい。あだ名をつけられるイコールいじめられるってゆうけど、本当はいじめられちゃうときって大人の教育の力がないだけだって思ってるんですよ。あだ名って本来人気のある子につくんで、おいしいはずなんですよ。
D:それは逆転の発想ですね、大人が悪い、と。
Y:はい。うちのスクールだと、「うちの子、まだあだ名がついてないんですけど、、」って相談に来る親がいるくらいですよ(笑)。あだ名がついたら、その特徴をいじれて、面白くしてあげられないといけないですね。各々のキャラの確立にもつながっていくので。中途半端に守るみたいなことをするから、いじめにつながるんだと僕は思っています。
D:そもそも、居場所を作ろうって思ったのはなぜですか?
Y:僕は、2:6:2の発想で考えています。下の2割の子って劣ってるみたいに言いますけど、すごく貴重で、その人たちはリスペクトの対象なんですよ。挑戦してますからね。組織全体で考えても面白いもので、上の2割が抜ける分にはそっちに向かって組織は伸びていくんですけど、下の2割が抜けちゃうとそっちに組織は動いていっちゃうので、下の2割って言われている人たちは欠かせないんですよ。めちゃめちゃ大事。そいつらが辞めずにいてほしいってホントに思ってます。
ろう学校の小学生たち
D:それにしてもすごく自身の考えを整理されていますね。
Y:そうですね、言語化することはすごく大事だと思っています。相手に伝わることもそうですけど、何かがあったときに自分を守るって意味でも大事だなって思いますね。例えばですけど、挨拶ってなんでするんですかね?
参加者Hさん:気持ちを、、凛とさせて、、一日頑張るため!
参加者Sさん:俺がしたいから!
Y:皆さん意見があっていいですね。僕は2パターン持っていて、一つは、「プロ選手になれなかったけど、今サッカーで食っていけてる。それは何でかって言ったら人とのコミュニケーションに尽きる。コミュニケーションって一朝一夕でどうこうなるものじゃないけど、世の中で一番短くて簡単にできるコミュニケーションって何?」
参加者H:挨拶!
Y:そうですよね。挨拶、しましょう。
D:おぉ! すごくしっくりきました! もう一つも教えてください!
Y:挨拶すると、頭良くなるんだよ。っても伝えますね。
D:どういうことですか?
Y:人間自分の話をしたがると思うんですけど、例えば何か良い情報を得て、誰かに誰かに話したいと思っている人がいた時に、「挨拶をしてくれた人」と「挨拶をしてくれない人」のどちらかに話すとしたらどっちだと思いますか?
D:挨拶してくれた人ですね。
Y:そうですね。挨拶すると自然に知識が集まるんです。だから頭、良くなるんですよ。
D:おおおお! すごくしっくりきました!!
4.いかに自分をやめさせないか
D:いつから今のキャラなのですか?
Y:色々偉そうに話してますけど、僕は普通の人間なんですよ。「自分の名前で飯を食っていこう」ってなってから行動力がついてきただけで。パラメーターの何かがとがっていないと食っていけないな、と思って行動してきただけで。僕がもともと持っていたものがあるとしたら、喋りだけです。それ以外は後から身に着けたものですね。
D:自分の名前でやっていこう! ってなったのはいつからなんですか?
Y:ろう学校まわったときに全然相手にされなかった時ですね。有名なサッカー選手との差をすごく感じたんですよね。そこから、どうしたら「この人は面白い人だよ」と言われるかをすごく考えたんです。
D:有名人だったらすぐ首を縦に振りそうなところで足止めをくらった経験ですね。
Y:はい。そこで、サッカーの指導者として何ができるかなって改めて考えたんです。サッカーの指導者って、まずライセンスとりに行くんですけど、それよりも先にやらなきゃいけないことがあるなって気づいたんですよ。
D:なんですか!
Y:「話を聞いてもらえる自分自身を作ること」です。学校の先生とか部活のコーチの話は皆聞くけど、事業主とかスクールのコートとかってなったらそうはいきません。「この人の話聞いたら面白そう」「この人の周りにいたら面白そう」ってなっていかないと、人は集まらないですからね。実力を発揮するのは、人が集まってからの話ですからね。
D:そこにたどり着いた出来事はなんでしたか?
Y:タイでサッカー選手になったときですかね。周りの人たちに、こんな人生を過ごしている、こうなりたい、こうしたい、みたいな話していたらみんな面白がってくれて、そこから色んな円に恵まれたので。面白い話ができたら人が集まると実感しましたね。
D:グサグサきます。先ほど、喋り以外は後からつけてきたとありましたが、その行動力はどのようにして身に着けたんですか?
Y:いや、もう、仕方なく、ですよ(笑)。行動するしかなかったんで。でも、そもそも行動力を身に着けるって難しいことじゃないんですよね。行動力に対して必要なのって、「イマジネーション」と「成功例」だと思っています。タイでどうにか成功事例を作れたから、バングラデシュでもやれるだろう、と思えたし、バングラデシュでやれたから、ウガンダでもやれるなって感じで。どんな小さなことでもいいと思うんですよ。ティッシュをゴミ箱に投げるでも良いし、願掛けみたいな感じでもよいんです。
D:成功事例を持っておくことで「成功できるだろう」という状態で挑戦を続けているんですね。
Y:はい。それでも人間感情があるので、ずっと高いところで気持ちを維持できないし、落ちるときもあると思うんですよね。僕も不安になってハッと目が覚めるような日もあります。そんな時に必要なのがイマジネーションです。
D:その話、すごく気になります。もう少し聞かせてください。
Y:ある程度人間は才能があるんですよ。僕も「サッカーで飯食っていこう」って生きていますけど、最低限のものはあるんですよ。勉強でも何でもよくて、「これがしたい」って思えるんであれば、その時点で才能、有るんですよ。でもそれが実現しない時に、何が足りないかって言ったら、「才能のスタミナ」なんですよね。
D:「才能のスタミナ」ですか! いい言葉ですね。
Y:継続すればするだけ確立は上がるってシンプルな話しなんですよね。僕は継続することには自信あるんですよ。そのスタミナの源泉は成功した時のイメージをずっと持ってるからなんです。僕がタイのろう学校の子たちを日本に連れて行った時も、資金集めすごく大変でしたけど、ずっと成功した時のイメージはあるんですよ。タイだけじゃなくてアジア各国のろう学校の子たちが集まってみんなでサッカーの大会をして、その場で僕がスピーチでもして、ろう学校の関係者から拍手してもらっている、っていう絵をずっと持ち続けてるんですよね。このイメージ持ってると「やったほうが楽しい」って思えるから続けられるんです。今だと、フットサルのアジアチャンピオンズリーグでデフの選手が活躍している姿をイメージしています。「いかに自分をやめさせないか」が勝負だと思うんですよね。
D:普段人事の仕事している気にも聞くんですけど、豊さんの仲間100人に、「豊さんってどんな人?」ってアンケートをとったとして、「ぶっちぎり1位」だったものがあったとしたらどんなキーワードだと思いますか?
Y:そうだなぁ。「面白い」か「エロス」のどちらかじゃないですかね。仕事で認めてくれてる人は「すごい」とか言ってくれるかもしれないですけど。でも僕が求めているのは「面白い」なのでね!
D:「エロス」についても…、聞いてもいいですか?(笑)
Y:そうですね、スレスレのところまで下ネタ言うので、そのあたりですかね(笑)。あとは、偉く見せようとしてないってところにもつながると思います。僕のチームの22歳の子にもいじられてますからね(笑)。
D:豊さんは周囲に「俺、これ成し遂げるから」と宣言をしていると聞いたのですが、今成し遂げる宣言をしていることって何ですか?
Y:「障害者の就職支援」の事例をひとつ作るってところですね。いまタイでオーナーをやっているチームのデフフットサル選手を一般企業で働かせたいなって思ってます。いくつかの日系企業とも話をしているので。あとは、「町おこし」です。昔シラチャFCがあって、町で試合があると町のみんなが試合会場に集まって、終わったらみんなで酒飲んで、ってなってあの空気感がすごく好きで。それをもう一度作りたいなって思っています。スポンサーに現地の企業も入ってくれているので、現地のネットワークを広げています。
5.読者に向けて
D:このコラムの読者は20代-30代の個性的だったり拘りをもって生きている人が多そうなんですけど、そんな皆様にメッセージをお願いできますか?
Y:まず、個性的になりたいとか拘りを持ちたいって思っている人がいるなら、その時点で普通の人なんですよね。僕も「面白くなりたい」っていつも思ってるから、普通の人間なんです。だから、そう思ってる人は普通の人間として輝き方を見つけていった方がいいと思ってます。普通の人間は、「努力で結果をつかむ人」なんで。
6.10年後の相原豊へ
D:最後になりますが、10年後の相原豊にメッセージをお願いできますか?
Y:「お前まだ現役やっていたか」ですね。選手としてやっていたい。タイのプロフットサル選手として、ピッチに立つと会場がわーっと湧くような名物おじさんでありたいですね。
D:名物おじさん! 僕も一緒にタイで湧きたいです! ありがとうございました!
-タイにこんなに面白い人がいたのかと感動だらけの時間でした。インタビュー何時間でもできそうなくらい経験がすごくて、コラム用にまとめるのが大変でした(笑)。
「この人には何言っても無駄だ」という相原豊象の話をしていたけど、インタビューをしていて、「この人には何言っても大丈夫、全部面白く話してくれる」ってゆう強烈なワクワクと安心感がありました。10年後のゆたかさんはどんな面白い人になっているんだろう…。タイで共に湧ける日が楽しみです。ありがとうございました!!!
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Daijiro Inaba
1986年川崎生まれ、東京育ち。葉山在住。趣味はSUP、ウクレレ、サウナ、フットサル、ワイン、BBQ、逆光アート、愛犬と過ごすこと。 オンラインサロン「大二郎酒場」主宰、教育系DAO「DSK」主催。