HIKER TRASHーCDTアメリカ徒歩縦断記ー♯2

Contributed by anna magazine

Trip / apr.23.2018

6月27日、僕はモンタナ州のイーストグレーシャーへ続く農道を
ふらふらと力無く歩いていた。
時折民家の横を通過するが人影はどこにもない。
もう8日間もシャワーを浴びていない僕の体は
さぞかし強烈な悪臭を放っていることだろう。
変わりばえのない風景を眺めながら歩いていると、
ここ数日のハイキングの記憶が呼び起こされてきた。



コンチネンタル・ディバイド・トレイルを歩き始めて、
最初の数日は順調だったものの、徐々に標高が上がるにつれて雪に苦しむ事となった。
特に昨年はアメリカで記録的な大雪が降り、
6月になってもその影響でまだ残雪が所々に残っていた。



「これ、すごく怖いんだけど」

これから歩く雪の斜面に備えて、シューズに滑り止めの為のチェーンスパイクを
装着しながら、うんざりした表情を浮かべてパグパイは言った。

「でも、興奮するわよね」

そう笑っているのはストークトで、彼女達は20代前半のカナダ人ハイカーだ。

「まあ、ゆっくり歩くしかないさ。はは」

50代のアメリカ人ハイカーのツリーは巨体を揺らしながら低く笑う。
僕らは常に一緒に歩いている訳ではないのだが、
ここ数日は危険な箇所が増えてきた為に臨時でチームを組んでいた。



僕らがいる標高2254mのトリプルデバイドパスは積雪がなく安全だったが、
そこから岸壁をトレースしながら下るトレイルが雪で埋まってしまっていた。
もし足を滑らせてしまうと遥か下まで一気に落ちて恐らく死亡してまうだろう。

ランニングシューズにチェーンスパイクという軽装では安全だと言い難いが、
ここまで来たら引き返すことは難しい。
それに時間をかけて確実に歩けば落ちる可能性は低そうだ。


よし、行くか、と覚悟を決めて立ち上がると、
弱音を吐いていたマグパイが知らぬ間に歩き始めていた。

「彼女はいつもあんな感じなのよ」

ストークトがそう言って大きく笑う。
それに反応したマグパイが振り返った瞬間、片足が滑り落ちかけて、
僕らの表情は一瞬にして凍りついた。
2番手の僕は彼女の足跡をゆっくりと踏み固めながら歩く。
ほんの20m程の距離をたっぷりと時間と体力を使ってしまったが、
全員無事に渡り切ることができた。

CDTハイキングの歩き始めは体を慣らすためにのんびりと歩く計画をしていたが、
この後も危険箇所は所々に現れた為、連日日が暮れるまで歩き続けこととなってしまった。


こうして、なんとか1区間歩き終えた僕は、
食料補給の為にイーストグレーシャーに向かっていた。
食べ物は予備の1食分とスナックが少しあるだけなので、
バックパックはかなり軽くなっているが足取りは重い。


イーストグレーシャーはレトロな木造建築が並ぶ小規模の町だった。
"YOGI"というCDTのガイドブックで事前に調べておいた安宿にまず向かう。
宿の1階はパン屋兼雑貨屋になっていて、店内には香ばしい匂いが漂っている。
「ああ、やっと人里に降りて来たんだ」と安心した瞬間、
強い疲労感に一気に襲われて、その場に座り込みたくなった。

「すみません、一泊したいのですがドミトリー(相部屋)の空きはありますか?」
「ええ、もちろん! あなたはCDTハイカーね。今はたくさんのハイカーが泊まっているわよ」


クレジットカードで清算を済ませ、シーツとタオルとWifiパスワードが書かれた紙を受け取り、
奥にある古い木製の階段から2階に上がる。
僕は2段ベッドが並べられた小さな部屋に入るとバックパックを放り投げて、
急いでトイレに併設されているシャワールームに駆け込んだ。
そして乱暴に服を脱ぎ捨て、バルブを全開にして全身に熱いシャワーを浴びる。

「ああ! 最高だ!」

あまりの気持ち良さに思わず叫ぶ。実に8日ぶりのホットシャワーは
僕の体を溶かしていくようだった。
石鹸を体に擦り付けるが、全く泡が立たない。
それどころか石鹸がどんどん黒ずんでいく。
気がつけば足元に泥水が溜まっていた。
髪の毛はいくら洗っても黒い汚れが流れ落ち続けるので、途中で諦めることにした。
清潔なタオルで体を拭くと、まるで先ほどと違う自分に生まれ変わった様な気分だ。
さっぱりすると今度は無性にビールが飲みたくてたまらなくなってきた。
清潔な服はレインウェアくらいしかないので、素肌の上にそのまま着て外へ飛び出す。

食料品店は宿から歩いて15分程の場所にあった。
重い木の扉を押して中に入ると愛想の良い髭もじゃの男性が

「いらっしゃい!君はハイカーだろ?荷物の受け取りかい?」

と笑顔で声をかけてきた。

「いいえ、ちょっと買い物をしたくて」

足早に店の冷蔵コーナーに向かう。
アメリカらしく様々な州の地ビールが陳列されていて、値段も日本と比べるとかなり安い。
僕は綺麗な絵が印刷されたラベルのビールを2本取り出し、
ポテトチップスと一緒に会計を済ませて店を後にする。


店のベンチに腰をかけて、いよいよビールを飲むぞ、と思ったその時、
栓抜きを持っていないことに気がついた。
仕方なく手持ちのライターを使って栓を開けようと苦戦していると、
店からCDTハイカーのユーコンとヨニーが出てきた。

「ねぇユーコン、栓抜き持ってる?」

「持ってないけど、ライターで開けられるぜ」

そう言ってポンと簡単に開けてみせた。
僕にビールを渡し、紙袋から自分達のビールを取り出して
ポンポンと栓を抜いてライターをよこした。

「それじゃあ、CDTに乾杯!」

ライミーがビールを軽く上にあげて言った。

「乾杯!」

ビールを勢いよく流し込む。炭酸が喉で弾け、そして強い苦味が口にいっぱいに広がる。
あまりの美味さに全身が脱力した。
2人も同じ様子で飲むのに夢中で声を出せずにいた。
この時、ホットシャワーとビールこそがこの世で最も素晴らしいものかもしれない、
と僕は思わずにはいられなかった。



河戸良佑/イラストレーター
1986年生まれ、独学で絵を描いていたら、いつの間にかイラストレーターに。
20代は海外をバックパッキングしていたが、最近では海外の長距離ハイキングに興味を持っている。
2015年にパシフィック・クレスト・トレイル、2017年にはコンチネンタル・ディバイト・トレイルを踏破。

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