アメリカの宿題

Beginning of my new Life #9

アメリカの宿題

Contributed by Asuka Naka

Trip / 2023.12.06

『とにかく旅をするのが好き!』高校生の時に初めて訪れたインドがトラベラーへのきっかけだった。多くの国を旅する好奇心旺盛な彼女だからこそ感じる面白さと発見。出会いと出来事を振り返りながら綴るAsuka Nakaさんの旅日記。

今回からは番外編として高校生の頃に訪れたアメリカでの交換留学の様子をお届け。



学校が始まってから毎日宿題が出る。
私の通っていた日本の学校では試験期間の前は宿題が多く出るものの、普段は部活動に専念する生徒も多いため、そこまでの量は出なかった。

アメリカの高校では部活動をやるやらないに関わらず容赦なく宿題が出る。数学はとても簡単だと聞いていた……にも関わらず何だか私が受けているクラスの数学では見たことのない記号すら出てくる。そして先生が教えてくれるのは、その問題をどのようにして電卓を用いて解くか。アメリカの電卓は高機能でなんとグラフまで出てくる。しかし高機能が故に使いこなすことが容易ではない。きっと今でいう高齢者にとってのスマートフォンのようなものだ。なので私は日本で習ったことのある系統の問題は電卓を使わずに解いていた。そして新しく学ぶものは、Google検索してどのように電卓を使わず解けるかを必死に勉強していた。しかし調べて解いていくのにも限界があり、やはり電卓を使わないとできない宿題も出される。ホストファミリーに聞くと、ホストファミリーが知り合いの学生に聞く。それでも誰も解けなかった。私は一体どんなレベルの数学の教室に入れられてしまったのだろうか。現に韓国人留学生の友達に数学の授業のプリントを見せてもらうと私が中学生の時に解いたような問題ばかりであった。しかし挫折のしようもないため私は放課後に数学の先生のいる教室に居残りをして、電卓の使い方を教えてもらうようにした。数週間後にはだいぶ慣れてきていた。自分を頼るしかない。



アメリカ史の授業では授業内にプリントが配られ、時間内に終われば宿題はなかった。しかし私にはその内容が何のことだかさっぱりわからない。韓国人留学生のハヨンも同じような状況であったのが伺えた。歴史というものは基本自国について小さい頃から教わる。そのため同じ世界大戦であったとしても見方はそれぞれの国によって異なるのだ。
実際に、ほとんどのアメリカ人はあの有名なGHQのマッカーサーを知らなかった。彼はアメリカ人ではあるものの、日本で活動をしていたため、アメリカでは教わらないのだ。という訳で、辿々しい英語で内容の想像もつかない歴史のプリントを解くということは私には到底無理であった。
それを見越した先生は、私たち留学生2人をクラスで一番発言していて歴史に詳しいであろう子の横につけた。そして彼はプリントを写させてくれるようになった。その子がいなかったらこの授業は諦めていたことであろう。



国語(英語)の授業が一番過酷であった。クラスの雰囲気はダークで何だか柄の悪いイメージ。誰にも話しかけることもできず、静かに着席して授業を聞いていた。先生も常に目を光らせていて生徒に厳しかった。そして生徒はしょっちゅうトイレに席を立つ。しかし授業が始まってすぐに宿題が出された。それはある物語の本を読む、または映画を見てその内容をプリントに埋めてくるというもの。そういえば「何か困ったことがあれば言って!」と言ってくれていたハヨンのホストシスターの友達がいた。
彼女にすぐにテキストメッセージでヘルプを送ると、「任せて! 明日昼食でね!」というような返事が来た。次の日その子は全ての物語の内容を説明してくれ、プリントに要約まで書いていてくれた。国語の授業に行くと、先生にあの子はあなたの友達? と聞かれた。どうやら私の宿題について先生にわざわざ交渉しに行ってくれていたらしい。彼女のおかげで私はその宿題を乗りこえることができた。



バンドのクラスでは宿題というものはないものの、楽譜が配られればすぐに皆楽器で弾けることが当たり前であった。ギター用のTAB譜は中高で読んでいたものの、普通の楽譜はピアノを習っていた小学生の時以来であった。そしてその楽譜でベースギターを弾いたことは初めてだったため新しい楽譜が毎日のように配られる中、毎日家に帰ると必死で練習した。次の日、パートごとに弾くときにパートの足を引っ張らないようにと全力だった。そして段々周りの生徒も「やるじゃんAsuka!」と褒めてくれるようになり、ホッとした。大好きな音楽のためであればどこまでも努力をできるような気がするとともに、他の演奏者と音合わせをした時の喜びを超えるものはなかった。

アメリカの高校の勉強は日本の高校生からしたらとっても簡単だと聞いていたが、全くもって簡単ではなかった。しかし、頑張らなくてはいけない所にいること自体が楽しかった。できないことができるようになる喜びを改めて感じることができた瞬間だった。周りに助けられてばかりではあったが、周りに助けを求めることの大事さも学べた。留学前は親に日本の勉強はどうするのかという理由で留学を反対されていたが、結果としてアメリカでの勉強でたくさんの壁にぶち当たることで、勉強の仕方も学べ、一年後日本に帰ったときにはほとんどの科目で今まで取ったことのないような高得点を取れた。留学というと他言語を学ぶ目的で行く人が多いが、留学で得るものは言語だけではないということを少しは表せた気がする。





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