What brought you to NY?

No Sleep Ever #3

What brought you to NY?

Contributed by Chika Hasebe

Trip / 2022.08.19

「NYは毎日どこかで何かしら起きている、本当に忙しい街」
目標に向かって、自ら道を開拓し続ける会社員・Chika Hasebeさんが、眠れない街NYへ旅に出た。誰よりも好奇心に従順な彼女だからこそ感じる、NYでの新しい発見と、心揺らすできごと。


#3

そもそもNYに二週間以上も何をしにきたのか。
仕事だとか、やりたいプロジェクトのためとか、そういった大義名分はない。
沸々と湧き上がる海外で居場所を見つけたいというささやかな野望、学びへの飽くなき探求、それを満たすにNYという場所はどうなんだろうという視察に近かった。



きっかけはアイルランドに留学した時。専攻を途中で変える学生に多く出会った。わたしはそこで、回り道などと考えず、自分の学びたいものを学ぶべきなんだって遅いながら気づいた。ちょうどそれは、大学って勉強するところというより研究機関なんだとやっと理解した頃だった。

そこから自分は何を勉強したいのかずっと考えている。大学在学中は結局他の学生みたいに専攻や大学を変えることができなかった。きっと臆病だったんだと思う。なんとなく、変えるならそれは絶対に自分がしたいことでなければならない、次の選択は間違えてはいけないと思っていた。自分にとって解がなんなのかわからないまま、ただ大学卒業後はそのまま海外の大学で芸術について勉強したいと漠然と考えていた。

でもそこでコロナが流行った。コロナのせいで行けなくなったという悔しさは不思議と全くなかった。正直なところ、晩年臆病なわたしにしてみたら、コロナは良い言い訳だったのかもしれない。一度大学を卒業してから、自分で学費を払いながら海外の大学に通うのは現実的ではなかった。奨学金をもらえるほど、熱意を持って今まで勉強してきたわけでもないし、なんなら自分にとって未知の分野に踏み入ろうとしている。誰がそんなリスクの塊に投資したいだろうか。親だって今回こそはしたがらなかった。

留学すると言い張って興味すら示さなかった就活に向き合わなければならなくなった。というよりそう感じた。今思えばそれもかなり凝り固まった考えだったと思う。別に大学を卒業する必要だってないし、定職につく必要だってない。なぜわたしの人生選択には「しなければならない」が常に付き纏っていたんだろう。焦っていたわたしにとって就職先が見つかった時の安堵感はそれはそれは大きくて、それ以降就職することへの違和感やこの社会のパーツになる感覚は相対的に薄れてしまっていた。

そして就職した。そこで考えるようになった。これから自分はどこに向かっていくんだろう。自分のできるようになることと、自分がやりたいことがどんどん分岐した道のように遠ざかっていく。そこで決めた。多分本当にしたい方に進んだ方がいいと。

友人が漫画『BANANA FISH』が好きなので、聖地に興奮していたNY公共図書館。わたしにとってはドキュメンタリーのイメージが強い。


わたしは勉強することが好きだ。それはなんとなく大学に入って気づいた。話す人によっては怪訝な顔をされる。真面目ぶってるだとか堅い人間だとかそういうわたしへの印象が、彼らの顔には張り付いている。最近は別にそれでよくなった。気づいたら自分の周りは、わたしがふとそんなことを口に出したとしても理解してくれるような人しかいなくなっていた。

でもいまいち何が勉強したいのかわからなかった。漠然としたいことはあるけれど、どこに行けばいいのか掴めていなかった。なのにずっと海外の大学に行きたい気持ちは変わらない。なんなのだろうとずっと考えていた、そこは今も考えている。

卒業写真は集合写真よりソロ派が多い。


なんとなく思う。多分一番欲しいのは大学生の肩書きなのではないだろうか。最小限の努力でこなしてきた一回目の大学生活。アルバイトにほとんどの時間を割いたことで、単位を取るのは必死。訳のわからない判例をひたすら眺めては理解しようと努めるテスト前を何度も繰り返す。本来の大学の有効活用をしていなかった。自分の学ぶことに没頭する、その瞬間がまるでなかった。だからこそ今になってその状況への憧れを募らせているのかもしれない。



それと自分自身と向き合う時間が欲しくなった。ただ自分に甘えているだけなのかもしれないけれど、今は日々の仕事をこなすこと、好きな人たちと時間を過ごすこと、ほんの少しの自分一人の時間で一杯一杯だ。きっと自分をもっと奮い立たせられれば、時間なんて捻出できるはず。でもそれは試しても試しても失敗に終わる。最近は捻出する努力すら遠のいている。このままではいけない感覚だけ募っては、また「しないといけない」の思考に陥っていることに失望する、ネガティブになる。

そんな時必ず思い出すのは、アイルランドにいた時のこと。あの時以上に自分自身に向き合えた経験はない。もはやお金を出してその時間を買いに行ったといっても過言ではない。もちろんそれ以外の学びもたくさんあったが。

なぜそこまでできたのか。単純に言語がわからないからだと思う。自分が会話にいる時は相手の言いたいことはわかるが、もし周りで会話が流れていたとしたら、途端にそれはただのBGMに変わる。また、文化の違いもある。日本にいれば大半の情報は元々知っていることのアップデートに過ぎない。もちろん初めて知ることもたくさんあるけれど、それが自分の背景知識と結びつかない、out of nowhereなんてことは早々ない。だが、日本以外ではそれがざらにある。なんのことかさっぱりの状態から、一つ一つの情報に対して理解する。当たり前にエネルギーがかかる。そうなると無意識的に適度に情報を遮断し始めて、どんどん自分一人の空間に入っていく。

一見それって外への繋がりが絶たれているようで悪いことのように聞こえる。でもわたしは後から振り返ると、その分自分のことについて考えることできて、その時間にこそ価値があったと思う。

髭が生えてしまったJerry Seinfield.


そうした回顧を経て辿り着くのは、今の自分にはその時間が必要だということ。未だに答えらしい答えはないものの、それらがわたしに海外での学びの場が必要な理由の説明になっているのではないか。



そんなことを一通り考えながら来たNY。初めて来た街。東京と似ていると言われたとしても比べ物にならないくらい大きなものが蠢いている街。一式必要なものが揃った状態で、何か新しいものを常に生み出そうとする、そんな刺激が欲しい自分にとっては、少なくとも東京以上の都会でないと意味がない。だから候補地のリストでは当然のようにトップに来た。

大学時代から気になる学校がそこにはあった。それがどんなものなのかこの目で見てみたかった。でも行くまでもなかった。日本にいた時から何人かからその学校出身の人の話を聞いていたが、聞けば聞くほど違う気がしていた。だから、もはや現地では答え合わせにすぎない。ああ、違うなと確かめにいっただけだった。ただ、一日学校の階段に座って見ていられるほど、学生のoutfitは面白かった。



目標を失ったかのように見えるが、実はその候補の学校に行く前から、なんとなく芸術に強そうな大学はいくつか頭に浮かんでいた。自分が現地の時間に合わせて動いていることへの高揚感で、浮かんできた大学のadmissionに電話をかけまくる。懐かしい。アイルランドでアルバイトを探していた時のような感覚。

結局話を聞いてきても、すぐに決断はできなかった。でも久しぶりのワクワク感でいっぱいだった。ちなみにその浮かれた気分は、その後目にするあり得ない授業料でかき消された。ここから「検討」というあまり得意ではない段階にこれから入っていく。

みんなの電車待ちのエンターテインメント。



大学以外の面でNYはどうだろう。前に書いた通りのイメージを街は持っている。でも街自体の顔と、そこで学び働く日本人と街の関係性はまた違う。友人の紹介でNY拠点で活動する何人かに会えた。彼らが口を揃えていうのは、サバイバル。アジア人の中でもマイノリティかつ、同じ国籍同士でさほどつるまない日本人。かといって西洋文化ともかけ離れていて、どこの国に行ってもベン図で表せば、円の外にいるような人たちである。丸腰なのにサバイバルが求められる街、それが日本人からみたNYなのではないか。

NYという場所は自分にとってどうなんだろう。明確な答えが見つかったわけではない。まだまだ「検討」は続いていく。




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