西洋視点の学問の場で、アイデンティティの穴にすこんと落っこちる

Old Me, New Me, New York #2

西洋視点の学問の場で、アイデンティティの穴にすこんと落っこちる

Contributed by COOKIEHEAD

Trip / 2024.04.16

東京からNYCに移住して11年。ファッション業界で働くかたわら、ウェブマガジン『THE LITTLE WHIM』やその他媒体での執筆を通して社会やコミュニティにまつわる自身の思いを発信し続けるCOOKIEHEADさんが、今までを振り返り、現在を見つめ、未来を想像し、自分のアイデンティティを模索する中で見つけた、「わたし」を見つめ直すためのヒントをお届け。

#2



 今振り返るともうずっと前のことで、記憶はぼんやりしている。でも、ニューヨークに移住しそこで学生に戻った時間が、自分のこの街でのアイデンティティについて考えるようになる最初のフェーズだったことは、よく覚えている。

 この街に引っ越してきた翌年の2014年——ファッションで特に知られる美術大学であるパーソンズ・スクール・オブ・デザインに、私は通い始めた。

 パーソンズのファッション学部にはクリエイティブなものだけでなくビジネスもあり、私の専攻はファッションマーケティング——なかでも少し特殊なカリキュラムで、4年制大学を卒業していることが条件だけれど、アートやファッションの大学や分野の出身ではない人にも門戸を開き、修士課程よりも敷居を下げてくれる感じのもの。私の場合は、日本の大学ではマーケティングと消費者行動学を学んだので、ファッションマーケティングのマーケティングの部分は延長線上にあり、一方でファッションの部分はテンポよく一から学んでいく感覚だった。



 ゆえに1年目は、デザイン専攻の学生たちと教室を共にする必修科目がいくつもあった。週の半分を占めていたのは、カラーセオリー、デザイン画、生産技術、テキスタイル、ファッション史などなど、まさにファッション大学の真髄のような授業。

 正直なところ、マーケティング専攻なのに必要なのかな(アメリカの大学って単位ごとに支払うんでしょ、学費キツいな。てか画材ってこんなに高いのか)と思う必修もあった。けれども、授業は純粋におもしろかったし、土台ゼロで伸びしろしかない学びは久しぶりでエキサイティング。そしてなにより、デザインの学生とマーケティングの学生が机を並べ様々なことを共有する経験は、その後働く環境とリンクしたので理にかなっていたな。



 なかでもすごく楽しくて今も記憶に残っているのは、ファッションブランドのカルチャーやロジックの理解を深める授業。そしてそこでは、日本のデザイナーがたびたび取り上げられた。川久保玲、三宅一生、山本耀司、高田賢三、山本寛斎といった、それぞれ70年代前後から世界で活躍してきた日本のデザイナーたち(ご存命の方が減っていくのが残念だけれども)は、長い時間を割く重要な「テーマ」だった。

 欧米を拠点とする西洋のファッションハウスの多くは、一定の美しさに普遍性を価値として与える訴求力を持ち、トレンドを牽引する傾向も高い。ブランディングも卓越しており、商業的成功をおさめる例は多い。それに対し、よりコンセプチュアルで文学的なストーリーを表現し、実験的な技術を突き詰め、予測不可能な創造性で世界を魅了してきた日本の代表的なデザイナーたち……かれらは言うなれば「変な服をつくり続ける人たち」なのだけれども、「服に対して『現代的な』アプローチをし続けている人たち」という見方もできる。

 たとえばかれらがつくる服は、市場の仕組み上メンズとウィメンズに分けて売るシステムが依然あるとはいえ、デザインそのものや着方の提案に目を向けると、ジェンダーの境界がしばしば曖昧になる。テーラリング(メンズ技術の基本)か、ドレスメイキングやドレーピング(ウィメンズ技術の基本)かで服のつくり方からしっかり分かれる「伝統的な」考え方も残る西洋のスタイルに比べると、日本のデザイナーのそれには、直感的にアンドロジナスな要素が多いと分析される。その「現代的な」考え方の奥には、日本の服飾の「伝統」が影響する部分があるとも言われ、非常に興味深い。



 とまぁこういったことを、初等的な学術資料で読んだり、議論したり。けれども西洋と日本のデザイナーやブランドにはそれぞれ、これらの例に当てはまらないものもたくさんあるというのが大前提。そこから発展しファッションカルチャーそのものの話をしようとすると、いっそう多角的な視点が必要になる。……ところがどっこい、日本の話となると、そうもいかない感じになる場面に遭遇する。

 特にデザイナー志望の学生たちは次々と、日本のデザイナーの特異性を賞賛し、そう思う理由を熱弁する。アイデアを追求し、それを服に落とし込む複雑なプロセスを知っているから、なおさらなのだろう。すると、議論がおもしろくなればなるほど、こういった授業で「テーマ」として取り上げられる日本の特定のデザイナーやブランドが、日本のファッションカルチャー全体の「ノーム」(標準)にすり替わっていく現象が起きるのだ。

 うーん、日本の人たちがみなコムデギャルソンやヨウジに身を包んでいるわけではないのにな……。むしろ、西洋のブランドを好む人たちも多いし……。日本の日常の「衣」は、縦にも横にも多様なのだけどな……。それなのに、フランスの人たちが誰しもシャネルやディオールを着ているわけでも、イタリアの人たちがこぞってグッチやプラダを身につけているわけでもないことが私に想像できるようには、日本の様子はどうも捉えられていない。「日本ではみんなkimono、男はsamuraiで女はgeisha」とはさすがに思われていないとはいえ、アップデートされたものもやはり極端過ぎない?



 さながらYouTubeの切り取り動画が広まるかのように日本の特定の部分が切り離されて、「日本の人」である私が知らないなにかになっていく。そこには、「西洋視点から見る日本の遠さ」がしぶとく存在しているように感じる。

 こういうのをさらに厳しく問うと、現代のオリエンタリズムやそこから派生するフェティシズムの疑いが生まれるかもしれない。たとえ賞賛するという形で表面化しているとしても、西が東を見る際の極端な「他者化」(othering)や、無関心による視座や知識の欠如が根本にあるかもしれない。うーん。

 「あなたはどう思う?」誰かが、教室で唯一の「日本の人」である私に問い、全員の視線がこちらを向く。冷静を装いながら目の前の様子を分析していた自分は、我に返る。

 私の頭のなかをぐるぐるしていた考えは、それはそれで繊細さに欠けている。異文化理解っていうのかな、そういうのを「日本の人」としてもっとていねいに続けたいな。なにか言わなきゃ!けれども、「日本の人」とはいえ服飾そのもの、その仕組みや背景をまさに学んでいる段階の自分は議論に自信が持てず、うまく言葉にできない。あぁ、なんだかとてももったいないことをしている……歯痒さだけが残った。

 穴があったら入りたい、ではなく、気づけばよくわからない穴にすこんと落っこちていた。



 ちなみに私はその後、日本の代表的なデザイナーブランドの一つで働くことになり、そのフィロソフィと技術について理解を深める機会をニューヨークで得た。ファッションがアートやデザインの分野として深く認識される場所を求めて日本を飛び出し、西洋そして世界に挑戦した背景も知った。今なら、あの時踏み込めなかった議論に挑む勇気が少しは持てるように思う。自分と同じように日本を故郷とするブランドと、日本から1万キロ離れた土地で距離を縮めたのだなぁ。

 一方で、そのデザイナーは独自のフィロソフィを具現化したデザインに実用性が共存した服づくりを追求してきた人だけれども、知れば知るほど、その希少性と、そこにどうしても存在する社会構造とのズレについても考えるようになった。ファッションの世界には結局、洋の東西を問わず、「万人ウケ」するしないにかかわらず、階級主義が存在しているという皮肉な共通点に身をもってぶち当たった。この皮肉は、もっともっとおおきな議題につながっていく。そういう話にも、「日本の人」としてだけでなくファッション業界に身を置く者として、今なら発展できる気がする。

 そしてなにより、西洋視点のアート学問の環境で「日本の人」として日本の「テーマ」を介して覚えた社会文化的な違和感と、しかしうまく整理できないままよくわからない穴に落っこちてそこから眺めることしかできなかった経験は、自分のアイデンティティをぐらぐらと揺らした。とはいえ、ぐらぐらしているにもかかわらず立ち止まることはせず、こめかみを押さえながら先へ進むことに忙しかった。

 学費だけでなく生活費もかさむ在学期間を短くするべく早く卒業したくて、2年のプログラムを私は1年半で終えた。元々テンポよく設計されたカリキュラムをさらに1.3倍速にした私だって、動画を切り取ってこそいないものの、YouTubeを早送り再生するかのように急いでいたわけだ。駆け足が過ぎた。



 アイデンティティが揺らぐ自分に気づいた際、もっとケアするべきだった。それは、服飾やデザインの知識が……などいうのとは、分けて考えなくてはいけない。まったく別の、そしてもっと大事なこと。手探りで歩く暗い道で突然現れる穴にすこんと落っこちた時、ただ闇雲に這い上がるだけでなく、次にまたそこを通る人のためにも穴をどうしたら平らにできるか、再び穴に遭遇した際にどう対処するか、そしてそもそも暗さにどうやって光を灯せるか……そういったことともっと向き合えたらよかったと思う。

 なので私にとって、パーソンズで過ごした時間はあくまで、アイデンティティについて考えるようになるきっかけをもたらしただけに過ぎない。でも過去は変えられないし、もし戻れたとしても同じかもしれない。

 であればせめて、あの時の自分が覚えたアイデンティティの揺らぎを忘れないでいたい。胸の中にずっととっておくことで、それが今につながっているという軌跡は残る——それに意味があることに気づく時は、遅かれ早かれきっとくるはずだということは、今ならわかるから……!



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