Couch Surfing Club -西海岸ロードトリップ編- #58
Finishing Line
Contributed by Yui Horiuchi
Trip / 2023.09.07
#58
スムーズにSFO入りし、昨年のようなトラブル(抗原検査の時間を間違えて搭乗できなかった)にはあわなかったものの、チェックインカウンターで行列は見当たらず、余裕をぶっこいていたのも束の間。
オンラインチェックインで座席指定ができなかったので、通路側か窓席が空いていないか確かめていたところ
「お客さん遅すぎるからもう真ん中の列のど真ん中しか空いてない」
とフィリピン英語で一喝される。
2時間前のチェックインは国際線だと遅いのか!!
あれ? そうだったっけ??
なんだか、コロナ禍の一年振りの渡航なのにアメリカの空の便は通常運行に戻っていて、自分だけ日本のペースに取り残されてしまったような感覚だ。
仕方がない、きっとこれも旅のネタのための巡り合わせだ。
潔く諦めてさっさと手荷物検査を通過した。
昨年は一度の滞在で米国内の移動を何度もしていたこともあって、SFOに12時間以上滞在した日もあった。
どこに何があるか大体記憶していたので、一度検査で空にしていたブリタに給水しに行く。
空港の水は買うと高いので旅の道中は基本このスタイル。
ゲートに向かう空港のフロアには19あるサンフランシスコの姉妹都市の一つ、コーク、アイルランドの照明が。
ちなみに日本で指定されているサンフランの姉妹都市は大阪にあたる、空港内のどこかに大阪の照明もあるんだろうか、探索するほど今回は時間がないので今度探してみたい。
ほどなくして搭乗ゲートの前まで行き、深夜前、しかも真ん中の席のレッドアイ(深夜便)に向けて、どこか横になれるところを探した。
搭乗ゲートに向かう階下のスペースが柱をつなぎベンチのようになっていて、クッションはないけど人ひとりが横になるには十分のスペースが確保できそうだ。
手荷物を枕にして、搭乗のアナウンスが流れるまで横になることにする。
少しの間目を閉じてスマホの充電をしていると、搭乗グループのアルファベット順にゲートに並ぶようにアナウンスが流れた。
私は後方の座席なのでグループも多かろう、実際の搭乗まではまだ先だと思ってゆっくり荷物を整理して靴を履いてゲートに向かった。
またここでもハプニングが。
ゲートに並ぶ人たちの手元には、搭乗の際のバーコード読み込みと座席の確認のための航空券が握られていた。
自分の座席の番号を忘れないように呪文のように唱えていると、ふと通りがかったおじさんのチケットにも同じ文字列が。
二度見する。
やっぱり。
同じ数字が同じ位置にプリントされている。
ダブルブッキングって起きるんだな。
手荷物を持ったまま、おじさんに声をかけ
「私たちダブルブッキングされてますよ」
と近くのグランドスタッフのいるカウンターまで一緒に行くことにした。
話を聞くとおじさんは奥さんの隣になるように並びの席を取っていたようで、座席は死守したい模様。
もはやレッドアイで通路の真ん中で14時間半以上のフライトに堪えられるとは思っていなかったので、フライトは譲って空港に残っていいからどっかマシな席にしてくれと頼む。
タカタカタカタカと搭乗口のパソコンで操作をするスタッフの人から、
「はい、これ新しいチケット」
そう言って渡されたものには同じフライトの65Cの文字が。
通路席だ!
『なんだ〜座席余ってんじゃん!』
ハプニング転じてラッキーな展開に胸を撫で下ろし、おじさんとともに安心して機内へ。
「Have a safe trip」とお互い言って機内でそれぞれの座席へ別れていった。
勝手な思い込みだけど、ピーポくんと旅に出るようになってから何かと悪い出来事も結果的には自分の身にとって危険なことは起きていないような気がする。
もちろん、気のせいかもだけど。
見上げた手荷物入れからピーポ君に見守られて出発だ。
深夜フライトだったこともあり、即爆睡。
片道10時間経った頃、最終目的地である日本の近くを通過したことに気づく。
回り道をした方がフライトが安いので仕方がない。
そろそろ機内の乗客も目が覚めてきてしまった様子。
トイレへ向かうために席を立つと機内にwifiがあることに気づいて、上空から友人に写真を送った。
朝食が運ばれてきたけど、わたしは持ち込みのフルーツやお菓子があったので、ご飯をスキップしていると隣のおばさんから何度も覗き込まれる始末。
英語は話せないのか特に声をかけるような状況にはならなかった。
友人の実家で取れた洋梨、思い出の味の一つ。
お裾分けしてもらったライスクリスピーズ。
裏切られても未だ愛してやまないトレジョーの干しみかん。
そろそろ着陸も近づいてくると入国書類が手渡される。わたしは乗り継ぎで入国しないので書類の受け取りもスキップしていると、隣のおばさんから必死にジェスチャーを交えながら、タガログ語で『なんで書かないのか!書け!』(憶測)と言われているようだった。
英語で「Transit」と言っても伝わらず、窓際に座っていた別の女性が見かねてタガログ語で通訳してくれた。
ようやく納得してくれたようだったけど、流石にタガログ語ではなんて言っていたのか全く分からなかったので知りたかったりもした。
機体はマニラのアキノイ空港第二ターミナル、フィリピン航空専用のターミナルに到着した。
時刻は現地時刻4:35am。
アメリカの西海岸は13:30頃だろう、朝焼けを見ているのにどこかすがすがしさより、夕焼けを見てほっこりしたような気分になる。
ここでSFOを出発してから14時間が経過。
太陽が完全に登りきったのは午前6時頃、自然光に体も慣れ始めて空港内を行ったり来たり。
24時間稼働のハブ空港ではあるけど、乗り継ぎ用のターミナル自体はそんなに大きくないので5分程度で一通り内部は把握できてしまう。
フィリピンではクリスマスのお祝いがとても盛大で有名だと聞いたことはあったけど、10月の初日にはもうこの飾り付けだ。
往路でクレジットカードが使えないお店が空港内にたくさんある中で、一軒だけ使えるというお店があると聞いていた。
ついに発見し、なんのお店かと思ったらパン屋さん。
朝食の時間ということもあり、知ってる人たちだろうか、空港内のお店で唯一列を作って待つ人だかりができていた。
他のお店はこんな感じ。
キオスクやスタンドといったいでたちで、カップ麺はオーダーするとお湯を入れて提供してくれるスタイルのようだ。
日本円で700円くらいだろうか、お高いです。
わたしはというと、引き続き飛行機で残した洋梨とライスクリスピーを待合席で頬張る。
見慣れた光景になってきた。
乗り継ぎの飛行機まで4時間もあったはずだが、2時間くらいはあっという間に過ぎてしまった。
お手洗いに行くと待ってましたと言わんばかりのハプニング再来。
ズボンを下ろすときに足を広げ過ぎてしまったようだ。
お尻のステッチがぱっくりいってしまう。
こういうこともあろうかと、手荷物には少しだけ着替えを入れてあったのでバイカーショーツにトイレの中で履き替える。
着替えたりゴソゴソやっていると右隣の個室から
「すいません、紙もらえないですか?」
と聞こえたので、
「あ、もちろん、ちょっと待ってね」
そう言って、一つペーパーホルダーからトイレットペーパーを外して間仕切りの下に持っていく。
長いネイルのかわいい手をしたアフリカンだと思われる女の子の手が隣から伸びてきて
「Thank you」
と言ってペーパーを受け取った。
ここだけのアメリカ女子トイレの話。
みんなアメリカのトイレって言われて何を想像するかな。
まず、個室が大きくて、足元のドアと隣の個室のギャップは大人が通れるくらい余裕がある。
ドアをロックしていても扉の隙間から中が見えるくらい。
これらは犯罪対策の面もあるし、ノックする必要がないっていう合理的な理由もある。
あとは日本ではお馴染みの音姫や消毒スプレーがなくて、使用後に流せる便座に敷く薄い使い捨てシートが置いてあるかな。
トイレットペーパーはすごい大きいロールだったり。もはや、なかったり。
だからこそトイレで出くわすハプニング(?)も日本と違って面白い。
ビーバーズの試合で訪れたスタジアムのトイレでもお隣の個室では女の子が3人、どちらのパンツが誰に似合うか着替えっこをしているようだった。
あと、バスルームセルフィーは今となっては定番。
男子トイレの話もいつか聞いてみたい。
出発ゲートに戻っていい席を見つけて、さあ、あとは日本に向かうフライトを待つだけと思っていた矢先、また見つけてしまった、次なる事件。
この旅のために購入したSea to Summitのパッカブルのダッフルバックに横一列に鋭利なもので裂かれた痕跡を発見。
やわなことじゃ裂けたりしない生地なので意図的に鋭利なもので刺されていたのかもしれない。
修復は無理でも帰ったら海外保険で物損の申請はしないとな。
コロナの治療費然り、今回は海外保険を掛け捨てることなく、むしろ大変お世話になりました。
もう帰るだけだ、焦っても仕方がないので搭乗に備えた。
SFO同様に搭乗グループのアルファベットを呼ばれ機体に向かった。
日本行きのフライトも満席だったが、窓際の座席が取れた。
ここから日本まであと4時間!
マニラの現地時刻では西海岸の午後17時だ。
日本に着く頃には日本時間午後2時くらいを想定していたのだけど、長旅で疲れ切っていてフライト中はまたも爆睡してしまった。
ようやく羽田に帰郷したのは、10月1日の13:50。
サンフランシスコは22時くらいだろう。
ここまでに既に出発してから23時間経ってるじゃないか!
衝撃しかない。
ふらふらしながら手荷物の受け取りレーンに向かい、そこで最後に一つ残しておいた洋梨を食べたかったが、ビーグルに見つかってしまい没収された。
最後の楽しみに取っておいたのに……。
荷物を受け取り、いざ入国だ。
日本時間は既に14:30、自宅に帰る頃にはベッド直行決定だな。
帰国した時の様子がアメリカに5週間も滞在していたとは思えないような身軽さだったけど、無事に帰って来れました。
1年間に渡って、2022年の夏に滞在したアメリカの滞在期を投稿させてもらいましたが、計50話、コロナになったり、食中毒になったり、体調不良多めの滞在で体験記として何かしら今後海外に行かれる誰かの役に立つと嬉しいです。
一旦、西海岸ロードトリップ編はこれにて終了ですが、次はどんな旅に出ようか。
また新たな旅を始める時はここで再会できるかな。
今までお読みいただいた皆様、どうもありがとうございました。
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Yui Horiuchi
東京を拠点に活動するアーティスト。幼少期をワシントンD.C.で過ごし、現在は雑誌のイラストや大型作品まで幅広く手掛ける。2015年に発表した「FROM BEHIND」は代表作。自然の中にある女性の後ろ姿を水彩画で描いた。自然に存在する美や豊かな色彩を主題にする彼女の作品は海外でも評価されている。