HIKER TRASH

ーCDTアメリカ徒歩縦断記ー #12

Contributed by Ryosuke Kawato

Trip / 2019.09.26

この世界には『ロング・ディスタンス・ハイキング』と呼ばれる、不思議な旅をする人種がいる。イラストレーターの河戸良佑氏も『その人種』のひとりだ。ロング・ディスタンス・ハイキングとは、その名の通りLong Distance(長距離)をHiking(山歩き)する事。アメリカには3つの有名なロング・ディスタンス・トレイルがある。ひとつは、東海岸の14州にまたがる3,500kmのアパラチアン・トレイル(AT)。もうひとつは西海岸を縦断する4,200kmのパシフィック・クレスト・トレイル(PCT)。そして、コンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)。

CDTはアメリカのモンタナ州、アイダホ州、ワイオミング州、コロラド州、ニューメキシコ州を縦断する全長5,000kmのトレイルで、メキシコ国境からカナダ国境まで続いている。この連載は、そんな無謀とも思える壮大なトレイルを旅した河戸氏の奇想天外な旅の記録だ。


CDT最南の町ローズ・バーグ

「なあ、スケッチ。ゴールをビールで祝うってのはどうだ?」

CDTハイカー仲間のバックトラックは酒屋を見つけて、僕に言った。彼の顔は赤黒く日焼けしていて、雑草のように乱れた髭をもっさりとたくわえている。

カナダの国境からコンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)を5ヶ月あまり歩き続け、ついに僕はニューメキシコ州の町ローズ・バーグに辿り着いていた。


CDTハイカー仲間のバックトラック。

「良い考えだな。よし、買いに行こう。」

電気料金節約の為なのか、薄暗い酒屋へ入る。寂れた雰囲気とは裏腹に酒の品揃えは豊富だった。果たしてこの旅の最後を飾るに相応しいビールとは一体どれだろうか、と僕は悩みはじめた。ふと、横を見ると彼も同じ心持ちのようで、大きな冷蔵室のガラス窓越しに陳列されているビールを睨んでいる。


レジスターと呼ばれるノートにハイカーは名前を書いて、誰がいつ通過したかを把握する。

そんな彼を見ていると、ふと不思議な心持ちになってきた。それは無人島に僕らだけ流れ着いたかのような強い孤立感だ。CDTはアメリカの3大ロング・ディスタンス・トレイルの中で、もっともハイカーの数が少ない。ハイキング開始当初は僅かながらいた顔なじみも、今はもう散り散りになってしまっていて、おそらく前後150キロ以内には僕とバックトラック以外のハイカーはいない。


CDT最後のセクションは広大な砂漠。

ローズ・バーグからメキシコ国境付近に位置するCDT最南ポイントのクレイジー・クックまでは、ただ広大な砂漠があるだけで、1度歩き始めてしまうと途中で離脱する事はヘリでも呼ばない限り不可能だ。僕らはただゴールだけを目指して、歩き続けなくてはならない。ロング・ディスタンス・ハイキングではトレイルに入ってしまうと、いくら金があってもどうにもならない。目的地に向かって歩き続ける事、それが唯一の解決法なのだ。


この2週間程はバックトラックとしか会っていない。

そんなことを考えていると、もはやビールの種類などどうでもよく思えてきた。僕はどこにでもあるコロナビールの瓶を1本、冷蔵庫から取り出すと会計を済ませ、店の外でバックトラックが出てくるのを待つ。外に出るとニューメキシコの鋭い日差しが顔を刺した。思わず手で顔を覆い、そしてサングラスをかける。日焼けクリームは塗っていない。もう取り返しのつかないほど肌が焦げてしまっているからだ。


乾燥しているので水場が無い。ハイカーはCDT協会にお金を払って、水をボックスに補填してもらう。

バックトラックが店から出て、ビールをバックパックに入れたのを見届けると、すぐに歩き始める。

実は、僕らに時間的な余裕がそれほど無かった。
最終目的地のクレイジー・クックは、先に述べたように砂漠の真ん中のメキシコ国境付近に位置している。もちろん、そんな場所に携帯の電波など無い。そこでハイカーたちは、事前にCDT協会の車をチャーターし、迎えに来てもらうのだ。しかし、これは1人100ドルもするので、どうしても資金を節約したい貧乏な僕らは、バックトラックの友人に迎えに来てもらう事にしていた。しかし、彼の友人は仕事の都合で週末にしか来られない為、想定していたよりも2日ほど早く到着する必要があったのだ。僕らは穴の開いたトレイルランニングシューズで砂埃を巻き上げ、急いでトレイルへ戻る。


目を開けると一面に星空

スマートフォンのアラームで目を覚ます。時刻は午前4時。大きく息を吐いて、エアマットレスの上で大きく体を伸ばす。テントは設置していない。砂の上に防水シートとエアマットだけを敷いて寝ていた僕の頭上には、煌びやかな星空が一面に広がっている。ヘッドライトをつけて15分ほどで手早くパッキングをすませる。そして、スニッカーズをひとつ食べ終えると、暗闇の中をヘッドライトの明かりを頼りに歩き始めた。


暗闇の中でライトに反射するCDTサインを追い続ける。

ローズ・バーグから歩き始めて5日が経っていた。乾燥した大地に群生するサボテン、所々にひび割れのような深い溝が走っている。砂漠の中に点在するCDTのサインを線で繋ぐように歩き続けてきた。景色はずっと変わらない。


起伏のない大地をひたすら進む。

歩くにつれてハイキングスタイルもシンプルになってきていた。午前4時に起き、スナックをかじりながら正午まで歩き、昼食にチーズとウィンナーをトルティーヤで巻いて食べる。そして、また日が暮れるまで歩き続け、夕食に同じ物を食べる。歯を磨いてから砂の上に寝転がり、音楽を聴きながら星空を眺め、そして眠りにつく。この繰り返しだ。


変わらぬ景色のため絵を描く意欲も湧かない。

この生活を続け、ついに僕はクレイジー・クックまで、あと歩いて数時間のところまで来ていた。


カナダ国境のCDTモニュメント

154日前にカナダ国境のグレーシャー国立公園をスタートした事が何年も昔に感じる。そこから5000キロ近く歩いたが、その実感は全く無い。CDTの思い出は全て僕の後ろにある。いったい、この先に何が待っているのだろうか。もしかしたら、何も無いのかもしれない。僕は、ただ暗闇の中をメキシコ国境の方向へ黙々と歩く。物音ひとつしない。 星々は煌びやかに夜空を飾り、時折その中のいくつかが雨粒の様にスっと落ちていった。メキシコ国境にかなり近づいているはずなのに、国境を隔てる壁のようなものは見当たらない。


モニュメントと星空

その時、ライトの明かりで何か大きな石のようなものがぼんやりと浮かび上がる。僕はそれが何なのか、すぐに見当がついた。横幅40cm程のそれはCDTの南ターミナルのモニュメントの台座だ。どういう訳か1m程の上部の柱は分かれた状態で、傍に立てられている。


ひとり、そっと座ってみる。

「CONTINENTAL DIVIDE NATIONAL SCENIC TRAIL」と台座に掘られた文字が見える。間違いなくここがコンチネンタル・ディバイド・トレイルの最南地点、つまり旅の終着点だ。周囲には何も無い。ついに辿り着いた。辿り着いてしまった。僕はゆっくりと近づき、その上に座ってみる。少しざらついた台座から、ひんやりとした感覚が伝わる。依然と星が燦々と輝いている。じっと見つめていると、次第に星が全てこちらに堕ちてくる様な錯覚に陥り、僕は不安になってぐっと目を閉じる。すると、僕の世界は静かな闇だけになった。闇の中では全てが不明確に感じる。自分の体の輪郭さえもだ。そんな中で尻から伝わる台座の冷たさだけが、僕が確かに存在している事、そしてコンチネンタル・ディバイド・トレイルが終わった事をはっきりと教えてくれていた。

そう、旅の終わりなんて、いつもそんなものだ。

おわり。


遅れて到着したバックトラックとビールで祝杯をあげる。


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