The Second-Hand Shop

世界のリサイクルショップ -イタリア編- #9

Contributed by Fumito Kato

Trip / 2020.03.12

雑誌、広告などの撮影の傍ら、世界各地のリサイクルショップを巡り、その国のカルチャー、埋もれゆくプロダクトの発掘をライフワークとして活動しているフォトグラファー加藤史人さん。今回、彼が訪れたのはイタリア。旅先で出会った魅力的なヴィンテージアイテムや食べ物の数々は、必見です。


#9

10/10(thu)
9:00
チェックアウトを済ませ、出発。
幸いにも車は無事であった。
なぜなら、車をホテル脇の
無料の公共駐車場に停めたからだ。
寿司屋、ナイトクラブ、家具店、
そして、ホテルとSex Shopで
この駐車場をシェアしているらしい。
昨夜は夜遊びの若者で賑わっていたため
ちょっとだけ、心配していたのだった。
疑ってすまぬ、若人よ。

13:00
Cose d'altre caseのモデナ支店をはじめ
モデナ〜レッジョ・エミリア周辺の
リサイクルショップを巡り、高速道路へ。
後はミラノ方面へひたすら走るのみだ。
本線へと合流する長いカーブの先から
セリエA・サッスオーロの本拠地
マペイ・スタジアムがちらりと顔を出した。



土日はピスタチオ収穫祭を訪れたため
恒例である蚤の市からのサッカー観戦が
叶わず、少々残念であった。
ここ数年、セリエA,Bの客足は落ちており
特定の試合を除いて、各地のスタジアムは
かつての川崎球場のような有様である。
だが、訪れた先のローカルなスタジアムで
地元のサポーターと一喜一憂することに
私は、すっかりやみつきになってしまった。
その土地のサポーターの気質やファッション、
飛び交うチャントの題材やスタジアムの軽食、
果てはバッタものを売る屋台まで
様々な興味深いものがここにはある。

3年前にフェラーラで観戦した
SPAL対VERONA戦は、49年ぶりの昇格に
沸き立つSPALサポーターたちの熱狂が
小さなスタジアムを満たしていた。
それはVERONAファンである私が
SPALに肩入れしてしまったほどである。


ラスト10分での同点弾に沸くSPALサポーターたち。

旅程と試合日程とを合わせるのは
なかなか至難の技ではあるが
次回はプーリア〜レッジョ・カラブリアの
リサイクルショップを巡るついでに
LECCE対VERONAの一戦を
観戦しようと目論んでいるところだ。
スタジアムに集う地元サポーターは
おそらく、ほとんどがその土地で生まれ
幼稚園から顔見知りである可能性も高い。
彼らが地元のクラブを応援する理由は
カンパニリズモ(帰属意識)であり、
信仰と言っても過言ではないだろう。
よそ者がその輪に入り込む余地はない。
だが、時に彼らはそのような迷い人を
いぶかしみつつ、受け入れる。
政治信条としては、リヴォルノや
ザンクト・パウリを応援すべきである
私は、こんなプロビンチャーレ巡りを
するうちに、他のチームに
浮気をしてしまうかもしれない。
もしも、現地のサポーターとの
友情が芽生えてしまったりすれば
尚更である。

クラシックの廉価盤CDの
ジャケットみたいな風景が続く。
あまりに漫然と運転をしていたため
うっかり、AUTOGRILLに入りそびれた。
(代わりに、外観写真は押さえたが)
次のAUTOGRILLまで何kmだろう?
ああ、腹がへった。





16:00
パルマを抜け、ミラノを横目に
マルペンサ空港近くのレニャーノまで
一気に北上し、初日に行けなかった店を
順に巡っていく。



ナビに導かれるまま
ほぼ一車線の田舎道をひた走る。
このような道でも、対向車は
私の車から20cmほどの距離を
猛スピードですれ違っていく。
STRUTという雑誌のコラムで読んだ
イタリア人の距離感覚に優れた運転とは
このことか。身をもって体感する。


夜になっても、彼らがスピードを緩めることはない。


木のトンネルの写真集をつくりたくなる。

最も期待していた店は
またも休みであったが、最後の最後で
重厚な雰囲気を放つトーチライトを捕獲。
調べたところ、第二次大戦でイタリア軍が
使用していたVIGILAの市販品であった。
このタイプのトーチライトは50年代に
流行ったらしく、デザインも国によって様々で
コレクターもそれなりにいるらしい。
当時の規格の電池は、既に廃盤となっているが
これぞというデザインのものがあれば
捕獲して、日常でも使えるよう
単三電池仕様に細工をしている。


モデナ〜ミラノ間での収穫品の一部。

リサイクルショップ巡りは、これにて終了。
今回、イタリア各地を取材する中で
印象に残った言葉がある。

「過去のものに新たな命を吹き込む」

これは、多くの店主が自らの店の
コンセプトとして述べていたものだ。
比喩や感傷的なレトリックは
イタリア人特有の表現方法ではある。
だが、その言葉の節々は先人たちが築いた
カルチャーへの愛で溢れている。
そして、耐用年数や使い捨ての概念とは
無縁だった時代の品質の良さを
彼らは知っている。壊れても直せばよい。
そう、直すことができるのだ。

いかに安く買うか。
これは、近年における最も重要なテーマだ。
便利で楽ができる機能の追求、
それも、結構。しかし、これらの要素は
次世代へと引き継ぐことができないほどの
消費速度、そして短命なものたちを
生み出す結果となってしまった。

イタリアで過ごす中で出会う
面食らうほど頑丈で旧式の鍵、
スピードは出なくても、必要充分な機能と
風物詩としての一面をも持つオート三輪。
過去のものが見た目だけでなく
質が良いことを知っている人々。
そして、それらを直し、伝える人々。
もの自体への関心が薄れ、
大量消費社会の限界がみえる中
次世代のものづくり、経済のあり方のヒントは
意外にも、ここイタリアにあるのではないか。
サスティナブルという文言の本来の意味である
「持続可能な」経済/カルチャーのあり方を
この国の人々は古来より実践しているのでは。
そう感じた数日間であった。

21:00
明日の帰国便に備え、今夜は
マルペンサ空港に近いエリアに宿をとった。
着いた先は、住宅街のど真ん中にある
クラブのようなバール。2Fが今日の宿だ。
出迎えてくれた宿のオーナーは
1Fのバールも経営しているらしく、
フードメニューもあるわよ、とのこと。
爆音の中でのディナーは気が進まないが
このエリアで他の飲食店は望めそうもない。
背に腹はかえられぬ。

リゾットがメニューになかったので
アマトリチャーナを頼むも、ううむ、微妙。
ローマ料理を他の地域で注文すると
失敗する確率の高いことよ。
炭酸水のパッケージがかわいかったのが
せめてもの救いであった。

イタリア人の水へのこだわりは
相当なもので、コーヒー問屋同様
エリアごとに大小様々なメーカーが存在する。
取水地によって違う水の硬度や、
炭酸の強弱、パッケージ・デザインなど、
定点で追っていくと非常に面白い要素だ。


庶民のイタリアン・デザインの真骨頂。

部屋に戻り、エスプレッソを淹れつつ
テラスでひとまず一服。
例え、ネスプレッソであっても
コーヒーが好きな時間にいただけて
テラスに出さえすれば煙草も吸える
イタリアの宿が、私は心底好きだ。


愛煙家にとって、テラス付きの宿は外せない旅の要素である。

どうやら、大型の台風が
日本に近づいているらしい。
北京で乗り継ぐ便の到着日時が
台風が関東に直撃する日時と、ほぼ同じだ。
しかし、国際便は多少の悪天候なら
欠航にならないという話を聞いたことがある。
ような気がするなあ、と高をくくりつつ、
パッキングを済ませて早めに就寝。

10/11(fri)
10:00
宿から30分ほどでマルペンサ空港に到着。
レンタカーを返却し、エアチャイナの
カウンターへ向かったところ
なにやら様子がおかしい。
エコノミークラスの列とは別に
人だかりができている。

「10/12北京発の日本への便はすべて欠航」

つづく。


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