残り続けた、あの日の景色

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残り続けた、あの日の景色

Photo & Text: 阿部 永遠ビクトリア

Trip / 2022.01.29

Luke magazine special contents #10
今この時代に、僕たちが「旅」について、思うこと。


海外はもちろん国内さえも自由に移動することが難しくなって、どんどん曖昧になってしまった「旅」という行為の価値。 そんな時代だからこそ、僕たちは「旅」について改めて考えてみたい。旅の経験値の少ない、20 歳前後の若者たち10人が語る「旅」についての自由な考察。

「旅」と聞くと、ほんわりと思い出すのはあの日の景色である。

私はメキシコとのハーフだから、家族に会うために海外に行く。でもそれは案外多くはなくて、この19年の人生の中で、ほんの3回である。でも友達にしてみれば「されど3回」らしい。よく街頭インタビューなどでたくさんの人が「旅行に行きたい」と話していて、このコロナ渦でその声をさらに聞くようになったように思う。もちろん自分の友達の間でもそういう話題でもちきりである。

幼い頃から旅に関連した話題になると必ずといっていいほど、「旅のことをなんでも知っている人」というような立ち位置に置かれた。しかし実際の私といえば、幼少期に日本に来たため言語についても文化についても語れることは少なく、海外へ出たのも旅行というより帰省であったため、旅というものに関しては先輩どころか初心者なのである。もちろん貴重な体験はしていると思うが、とりわけ「旅のベテランか」と言われたら違っているような、なんとも不思議な立ち位置にいるものだと、時々感じていた。

考えてみると「旅に関する記憶」は私自身ではなく、家族の中にあるように思う。私の家族は祖母、祖父、母共に旅行が大好きで、それぞれが旅行で起こったあれこれを時々聞かせてくれたのだ。今でこそあまり遠出はしなくなったものの、昔旅先で買ったお土産を楽しそうに持ち出して、キラキラと目を輝かせながら話をする彼らの姿を見る度に、また今すぐにでも飛行機で駆け出していきそうなエネルギーを感じるのだった。同時に、きっと当時はさらに盛り上がっていたに違いないと、話を聞くたびに心が温まったものである。

楽しそうに話を聞く私に彼らは決まって「大きくなったら一緒に行こう!」と声をかけてくれたが、私は話を聞くだけで十分満足だった。なぜなら私は怖がりであり、言葉を話せない異国の地へ踏み出す勇気など到底なかったからである。もちろん憧れはあったけれど、自分が海外にいることは、なぜだか遠い未来のことに感じられたのだ。その度に家族には「もったいない…」と不思議がられたけれど。

だからこそ、私にとってメキシコにいた時の記憶は貴重な世界との架け橋なのである。いつも頭の片隅にほんのり存在する景色は、どんな時でも「世界は広くて自由である」ことを、そして「多くの考え方がある」ということを思い出させてくれるのだ。ほんの少しだけのおぼろげな記憶だけれど、それが今の私の原動力となっていると思うと、確かに「されど3回」なのかもしれない。

旅にまつわる不思議な立ち位置に置かれていた私が常に感じていたことは、旅行は行ったことがなくても、行けなくても、「行きたいと思う気持ちそのものにパワーがある」ということだった。旅を通して成長した姿、渡されるお土産、そしてそれぞれが体験した素敵なエピソード。旅行から帰ってきた人は、いつだって旅に行っていない周りの人々さえも笑顔にさせていたのだ。

家族の旅行の話が旅と私をつなぎ続けてくれていたように、きっと昔から旅というものは「想像して」「思い出して」「誰かに話して」。そんな過程すべてが私たちを輝かせてくれる「その人自身の物語」なのだと思う。きっとこれからもずっと。

私にとっての旅は、いつまでも憧れであり、故郷の存在を感じる自分だけの物語なのだ。

この先旅をする時は、祖母のようにハラハラしながら旅を楽しめるだろうか? はたまた母のようにいろいろな人と自由な気分で話ができるだろうか? そんないつかの「自分の物語」を思って心を躍らせるのだ。

今も思い出されるあの景色。

とっても可愛いメキシコの宝物。

遠出させてくれた時の父との1枚。

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