Old Me, New Me, New York #5
「想像できない」だけでなく、「実現したくてもできない」も考える
Contributed by COOKIEHEAD
Trip / 2024.05.28
#5
「結婚してる自分が想像できないわぁ」
ずっとそう思っていたし、口にしたこともあるのを覚えている。「結婚は制度に過ぎない」「婚姻はただの届出だ」と聞くと「そーだそーだ」「そういうのに縛られたくないわ」と感じていた。「問題」が多い家庭環境にいた自分に社会規範が与えた生きづらさ、そして社会を見ていて抱くさまざまな不安も、結婚を霞ませた。
そのはずなのに、自分でも拍子抜けするほどあっさりと、私は結婚した。しかもよりにもよって、ニューヨークで国際結婚!とはいえ、何年前だったか書こうにもすぐには思い出せなかったし(2015年だった)、結婚記念日を空で言えないことも。でも確実に、その制度をつかって届け出をしたことは、私の今と未来につながっている。
かつての自分は「想像できない」と思っていた結婚を実現した経験を久しぶりに振り返る。それは、個人の「婚」のあり方に向けられる他者の過剰な干渉と、「婚」自体を「実現したくてもできない」人たちがいる状況を考える時間にもなる。その2つは異なる領域で起きているようで、切り離せないもののように思うのだ。
いつもに増してパーソナルなことが多くなるけれど、自らの経験と、それを経て思うことを整理したい。
2013年の移住時からずっと一緒にいるbestest friend(究極の大親友)であるパートナーと結婚について具体的に話し合うようになったのは、私のニューヨークでの学生生活が折り返し地点を過ぎた頃。「制度に過ぎない」枠組みのなかで「ただの届け出」をすることについて、2人でじっくり議論した。
それらを利用すると、私(たち)はなにを得られるのか——アメリカで外国籍者の私が結婚を経て米国永住権を取得すると、2人で共にニューヨークで長く暮らしていくこと、そして私がニューヨークで安定して働き続けること、この2つがぐっと叶えやすくなる。ほかの手段も検討し、これがもっとも近道だと私たちは考えた。お互いの思いを共有し、この選択に伴う負担は私の方が大きいこともそれぞれ認識したうえで、合意した。
結婚そのものではなく、そこから先に続く2人一緒の未来が見えやすくなることに喜びを感じた。
そうして2015年の初夏の日、ニューヨーク市庁舎に出向いた。パートナーはニューヨーク出身のアメリカ市民(日本で言う国籍はアメリカでは市民権に当たるので、市民と記す)で、私はここでは外国籍を持つ非市民。だけれども、ニューヨーク市での結婚の申請は、事前に手配した結婚許可証とそれぞれの身分証明を持っていけば、司式者と立会人同席のもと受け付けてもらえる。私は日本のパスポートで身分証明したとはいえ、手続き自体はアメリカ市民同士である場合と変わらない。
「誰それさんと誰それさんの結婚」が記された結婚証明書が発行される。それなりに抱いていた緊張は肩すかしを食らってしまうほど、簡単だった。こうしてぺろっと渡された紙が、アメリカで2人の関係性を示す最大の書類となる。
その少しあと、日本での届け出をするべく、アメリカの結婚証明書を含めた諸書類を持って在ニューヨーク日本領事館も訪れた。ここでは、日本の戸籍制度が幅を利かす。その手続きを遠隔で受け付けてもらうことになる。(日本にも婚姻を証明する書類はあるようだけれども、婚姻関係を記す日本の公的書類として重視されるのは戸籍謄本である、という一般的理解で間違っていないと思う。)
日本での婚姻を申請すると、私のケースでは、それまでの戸籍から外れる。しかしながら、配偶者になる外国籍パートナーは日本の戸籍を持たないので、日本国籍者同士の場合のようには対応されない。私が筆頭者である新しい戸籍が編纂され、私しかいないその戸籍の「婚姻」の欄に、「アメリカ合衆国の誰それさんと、いついつ結婚した」が記載されるのみだった。「入籍」ってよく聞くけれど、新しい戸籍には誰も入ってこなくて、結婚した私はぼっちになるんだ……。ま、べつに構わないけれども、さ。
2人の婚姻関係が表れるアメリカの婚姻証明書と、あくまで日本国籍者である私1人とその婚姻の情報が記載されるだけの戸籍謄本。外国籍者との結婚の考え方の日米間の違いが、紙の上で見られるのを感じた。
さらには、日本の戸籍という枠組みのなかにはパートナー自身だけでなく彼の姓も存在しないので、私たちは日本でも別姓を維持できる。希望すれば姓変更も可能で、つまり「選択的」だった。日本で選択的夫婦別姓は未だ認められていないにもかかわらず、外国籍者と結婚したのでそれが適用されたわけだ。(ちなみにアメリカは姓を選べるようになって久しく、「選択的別姓」に当たるような用語をあえて聞こともない。)
日本での姓を変えたくなかった私は、まるで拾いもののような例外待遇を受けた。けれども、日本で選択的夫婦別姓が反対される際、「伝統的な家族観」や「家族の絆」といったものが叫ばれるのを知っている。であれば、別姓が選択できる国際結婚は、そこで言われる日本の「家族」というものに含まれていないようにも感じる。私自身は「家族観」や「家族の絆」の反映を公的なものに求めていないし、別姓を維持できて安堵したとはいえ、そのねじれを皮肉だとも思う。ま、べつに構わないけれども、さ。
そして同時に、戸籍や別姓選択から覚えた外国籍者に対する日本の排他性を「べつに構わないけれども」程度の感覚で片付けることができるのは、私たちが日本国内に居住していないからだろう、とも想像できる。日本でそれを経験する人たちは、どう受け止めるのだろう。
戸籍、姓、家族観……それらがどうもすっきりしない状態を、日本から遠く離れたマンハッタンにある日本の在外公館で考えた。
そのあと私たちを待っていたのは、面倒な米国永住権取得の手続き。ここ数年でいろいろ変わったかもしれないけれど、煩雑で出費がかさむ、長くて緊張するプロセスだった。
私に関わる手続きとはいえ、英語でのアメリカ国内の申請として、パートナーは自分の方がテキパキ動けることを見つけては積極的に請け負う。「ありがとう」「ん、当たり前でしょ」卒業と就職(就労一時許可は出ていた)と永住権取得が同時進行するストレスに苛まれていた私は、それがなによりうれしかった。
自分でどうにかしなくてはいけない学業と仕事に私が集中できるよう考え、そして永住権手続きはお互いのための共同作業だと受け止めた彼を見て、私は自分たちのパートナーシップとその先にある未来を一段と信じられるようになった。たとえばキラキラの指輪、豪華な結婚式やリゾート新婚旅行は私たちにはなかったけれど、そのどれよりもずっとずーっと深く心を満たした。
そして今も、結婚する前とさして変わらない関係性を保ちつつ、お互いの変化も一緒に観察できるbestest friendsとして2人一緒にいられることに、幸せと安心を感じる。具体的な言葉は避けるけれど、恋愛や性愛に重きを置かない状態を私たちはつくっていて、それも私にはすごく心地よい。子どもはおらず、2人と保護猫1匹の「家族の絆」を愛しく思う。
好きなものや関心が似ているし、違うものも共有したり尊重する。会話が口論に発展することはままあれど、絶妙なところで大ゲンカは回避する。家事は分担し、余暇を楽しむ。出かけるなら書店か図書館がいい……とはいえものぐさで、できたらおうちでずっと本を読んでいたい。そんな色気のない時間の過ごし方を2人で愛でる。自分たちの根暗さとヒネくれっぷりを時にジョークにしつつ、実は最高だと思っている。
「結婚してる自分が想像できないわぁ」今思うと、結婚してる自分なんて想像できなくて当然のことだったのだろうな。どうしても結婚には特定のイメージが漂っていたし、そこへの運びにもそれ以降の「ふうふの形」みたいなものにもつくられた固定観念があったから、社会規範がついて回る結婚に至る自分が見えなかった。
ましてやアメリカで、出身、人種、肌や瞳の色から、第一言語や文化背景まで違う人と結婚するなんて、考えたこともなかった。
「違う」が目立つ国際結婚をした自分たちには、特定の関心を持ったgaze(視線)が他者から向けられる。結婚すると周りに伝えると、返ってくる言葉は「おめでとう」の次に「子どもは絶対かわいいね」が多かった。「国際結婚とはね……」「白人男性とアジア系女性のカップルはね……」といったことをぶしつけに説明したり、国際結婚には離婚が多いということをネガティビティとしてほのめかす人もいた。ここに書けないし書きたくもない、性的な助言(?)を露骨な言葉でぶつけられたこともある。国際結婚の「他者スプ」(と私は呼んでいる)をされる幾多の場面に遭遇してきた。あぁ、どうしたものか。
けれども自分の周りやインターネットをふと見れば、どんな結婚であってもgazeや「他者スプ」はある。内に抱くだけでなく、当人にそれを伝える人たちもいる。実に、切に、どうしたものか。
月並みな言い回しになるとわかっているうえであえて書くけれど……結婚するもしないも、どんな結婚をするかも、それぞれの形がある。「正しい結婚」なんてなければ「正しくない結婚」もない。個人の選択に対して他者は適切な距離を置かないといけないし、一つひとつのあり方を尊重するべきだよな。そしてそれは、離婚も然り。
むしろ、身近な人であれ著名人であれ、誰かの「婚」の個人的な領域に踏み込み干渉するエネルギーが、そっくりそのまま、結婚や離婚を望む人たちの多様な選択を実現可能にしていくムーブメントにつかわれたらいいのにな、とよく思う。
日本領事館で頭をめぐったことが思い出され、日本のことを考える。選択的夫婦別姓は、いつまで経っても認められない。同性婚が合法化される日も見えない。一方で、あれよあれよと進められる共同親権に関する民法改正は、離婚の選択をおおいにコントロールし得る。配偶者のいる国で永住者である者としては、永住権の不条理な取り消しを可能にする法改正も、聞いていて胸がざわざわする。
アメリカに目を向ける。同性婚の権利が保障されたのは、ニューヨーク州で2011年、全米では2015年。ついこないだのことだし、今もそれを脅かそうとする動きはある。結婚や離婚におけるジェンダー不平等も、社会全体のそれを反映するように、アメリカでも見られる。たとえば、妊娠中の女性の離婚を規制する州が複数あると聞くと、身の毛がよだつ。
エネルギーをあてがう先は、ぱっと浮かぶだけでもこんなにある。結婚や離婚には、かつての自分が思っていた「想像できない」ではなく、「実現したくてもできない」が今も無数に存在する……。選択の機会が等しく与えられていない、しかも世間一般の偏見もそれを後押しする状況なんて、てんでおかしいのに。
国際結婚や異人種間結婚だって、アメリカでも日本でも、昔は認められていなかったり世間の風当たりは強かった。いつの時代もいろんな場所で、人々は闘ってきた。そのおかげで、私は今幸せと安心を得ているんだ。だから私たちは、てんでおかしいことはてんでおかしいと言い続けなくちゃいけない。
次にまた有名な人の結婚会見や離婚の報告が世に放たれる時、きっと多くの人々が情熱的にそれについて論じる。あちこちから意見が飛び交い渦巻くような現象が起き、個人的なジャッジメントも増えるにつれ距離感がバグっていく。そしてそれはおそらく当人たちにも届く。
いくら著名で影響力があるような人物だとしても、結婚や離婚に関する個人的な内容を公開する必要はそもそもあるのかな、と思わなくもない。とすると、ちいさな存在とはいえ、なぜ私も今これを書いているのだろう?どの程度パーソナルな内容を含めればメッセージは伝わりやすいと同時に、いかに読みものとして整えられる?と考えあぐねていることに気づく。ひとつの形として個人の経験や思いを本人が納得できる範囲で他者に伝えることは、ひいては「婚」の多様なあり方の理解につながると信じたい。これを書くことで、干渉だったり審判を下すような議論の加熱ではなく、関心をもっと向けるべきところにエネルギーを送れているといいな、と願っている。
思うに、誰かの個人的な「婚」をむやみやたらに干渉しないことと、「婚」に関する選択の機会が等しく与えられるよう広く望むこと……これらは違う次元のようで、実はきっと表裏一体みたいなもの。
そのどちらもが、多様な「婚」のあり方をあまねく祝福するうえで欠かせないことなのだろうな。
だって、「想像できない」を「制度に過ぎない」「ただの届け出」で実現した私は、ブルックリンの自宅でパートナーと保護猫と一緒に今を過ごし、そしてきっとその先に続くであろう未来までもなんとなくは「想像できる」——無数にある「婚」のひとつの形に過ぎなくても、それを愛おしみながら生きることができるのであれば、それってすごいことだと今の私は思うから。それを「実現したくてもできない」人たちがいるなんて、やっぱりてんでおかしいのだ。
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COOKIEHEAD
東京出身、2013年よりニューヨーク在住。ファッション業界で働くかたわら、市井のひととして、「木を見て森を見ず」になりがちなことを考え、文章を綴る。ブルックリンの自宅にて保護猫の隣で本を読む時間が、もっとも幸せ。